百九十二話 酷い光景な件

 スイッチヒッターの山神は右打席に立った。それに合わせて再び麻布が立ち上がり、守備陣に細かく指示を送った。彼らとしても山神をかなり警戒していることが伺える。


「足を使えよ足。強打、バント全てをイメージしろ」


 そう言って麻布はマスクを被り、審判へ一礼した。


 マウンド上の赤坂が右足を上げ、投球動作に入った。鋭く振り抜かれた腕から放たれたボールは山神の胸元を抉り込む。


 ――キィィィン!!!


「ファウル!!」


 山神のバットから放たれた鋭い打球は、三塁線をわずかに左に切れるファウルとなった。


「サードテメェ一歩目が遅ぇんだよ!! 寝てんのかオイ!!」


「んだとテメェ、二年が粋がってんじゃねーよ!!」


「一年早く産まれただけでデカイ口叩いてんじゃねぇよノロマ! 次遅れたら潰すぞコラ!」


「テメェマジで後で殺すぞ」


「君たちいい加減にしなさい」


 主審から注意を受け、麻布とサードの選手が互いを睨みつけながらも口を閉ざした。高校野球の公式戦とは思えない、酷い光景が収まった。


「赤坂、気にせずインコース攻めろ。別にぶつけてもいいわ」

 

 麻布が耳を疑うような言葉を口にし、再びマスクを被った。


「君……」


 主審が麻布に声をかけようとしたところで、麻布が再び審判に一礼をした。


「口に気をつけなさい。あまりに酷いようだとプレーを中断するよ」


「申し訳ごさいません。少々熱くなっておりました。以後気をつけます」


 麻布はとても丁寧な口調で審判に謝罪していた。



 ――そして。



 ――ドスッ!!!


「……デッドボール」


 ボールは山神の左肘につけていたレガースに弾かれて、力なく地面に落ちた。


 山神は左肘を押さえながら一塁へ歩いた。赤坂とファーストの選手は帽子を取ることはなかった。


 一塁へ歩く山神の元へ、一塁コーチャーの守はコールドスプレーを持ち、そして噴射させた。


「山神、大丈夫か」


「心配御無用。レガースに当たっただけ故、多少痺れているだけでござる」


「それなら良かったけど……」


 守はそう言いながらマウンドの方を見つめた。


「デッドボールを与えておいて帽子を取らないとか、何なんだよコイツら!!」


「千河殿、落ち着くでござる。激昂しては相手の思う壺かと」


「クソっ!!」


 守は悔しそうに唇を噛んだ。



「三番、セカンド、駄覇君」


 打席には一年生、今大会初出場の駄覇が打席に立った。

 またしても麻布はマスクを外し、指示を送った。


「お前だけには打たせねぇよ」


 麻布は駄覇にだけ聞こえる声で呟いた。


「だから覚えてねーんだっつーの」


 駄覇は困った顔をしながら答えた。


 赤坂も随分気合が入っているのか、触っていたロジンパックを地面に叩きつけ、駄覇を睨み付けた。


「覚えてねーけど……」


「イイネその顔! ぶっ倒し甲斐があんじゃねーの!!!」


 駄覇はニヤニヤしながらいつものルーティンに入った。ピッチャーに向けてバットを縦に構え、左手で右袖を少し引っ張ってからバットを構えた。駄覇もすっかりスイッチが入った様子だ。


「いつ見てもムカつくんだよその構え……」


 マウンド上の赤坂も駄覇を睨みつける。


「ヴォラッ!!!」


 赤坂の左腕からボールは放たれた。



 一回表 途中 ワンナウトランナー一塁


 明来 ゼロ対ゼロ 蛭逗

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