第百五十九話 悔しい過去を振り返る件

 六回表の守備、守はマウンドの足場をならしていた。


「分かってるよな千河!! マジで一点でも取られたら……」


「分かってるよ。五寸釘刺して呪ってくるんでしょ」


「あぁん? 何言ってんだテメェ」


 東雲は首を捻り、訳がわからないと言った顔をしていた。


「……まぁ、俺様の所に打たせりゃアウトは取ってやるよ」


 そう言い残し、東雲はセカンドの守備位置へ向かった。



「千河さん。サインの確認良いっすか」


 今度は駄覇がマウンドへ向かってきた。


「あぁ……まだ決めてなかったね。どういうサインにしようかな」


「不破さんと一緒でいいっすよ」


「そう? だけど結構複雑だけど……」


「別にいいっすよ。東雲さんも、今までと同じサインでリードしたし」


「え……マジ?」


 守は驚いていた。不破のサインはかなり複雑で、イニング、アウトカウント、打者、ピッチャー毎に異なるのだ。


 近年サイン盗みが蔓延っている対策として不破が考えたサインは、完璧に覚えるだけでも数日かかるシロモノだった。

 不破としては、本当はカウント毎に入れ替わるサインを導入したかった様だが、守と東雲がギブアップした為、一人の打者の間は同じサインが適用される形で収まったのだ。



「なるほどなるほど……全部わかりました」


「マジ? 次のバッターだとして、これは?」


「ツーシーム」


「じゃあ次はワンナウトでバッター右の若林君、このサインは?」


「チェンジアップ」


 駄覇はどれも即答していた。


「嘘でしょ……」


「てか、お二人、カウント毎にはサイン変えないんすね。不破さんてっきり全員そこまで弄るのかと思ってたけど」


「駄覇は毎球サインが変わるの?」


「そうっすね。だってその方が相手にバレないっしょ。じゃあ俺戻りますわ」


 駄覇はサラッと答え、キャッチャーの定位置へ戻った。流石は野球エリート、野球IQはかなり高い様である。



「……すぅっ」



 守はマウンドで大きく深呼吸をした。そしてこれまでの皇帝との試合を回想した。


 去年の練習試合は十四失点の屈辱。

 夏の大会は無失点で切り抜けていたいたが、体が限界を迎え、六回裏ツーアウト満塁で無念の降板。


 皇帝学院側からすると、守は攻略できるピッチャーという認識でいる事だろう。


 守は思い出していた。練習試合後、水場で顔を洗っても洗っても止まることのない涙を。

 夏大会、ギリギリまで心身を削って投げ、太刀川にデッドボールを与えたところで瑞穂から交代を言い渡された事を。



『私はもう……あんな悔しい思いはしたくない』


 守は力一杯、投球練習を開始した。



 六回表 開始前


 皇帝 ゼロ対二 明来

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