第八十三話　逃げたいわけではない件

　三盗を決めた峰が、マウンド上の守に対して煽るように笑顔を向けている。心底人を馬鹿にしているような表情だった。


「タイム」


　不破はたまらずタイムをとり、マウンドまで走って行った。


「悪い、サードに投げられなかった」


　不破が先に謝罪した。


「いや、僕のボールが悪かった。まさかこのケースで走ってくるなんて考えてもなかったよ」


　そう言って、守も頭を下げた。


「峰さん……思った以上のくせ者みたいだな」


「ランナー三塁。パスボールは怖いけど、変化球のサインはドンドン出して構わないよ」


　守は自信たっぷりに不破を見つめた。


「……わかった。コースは厳しくな」


　そう言って不破はマウンドを降りて行った。


　守はロジンパックを手に取り、そして息を吹きかけた。変わらずのルーティンで気持ちを落ち着かせていた。


　ワンボール、ノーストライク。怖いところだが、出来るだけカウントは整えたい。出たサインはインコースのスライダーだ。守は要求通り、スライダーを投げた。


　――ギィィン！


「！？　真斗！」


　ファースト青山が一塁線上へ、決死の横っ飛びをした。


　だが幸いにも打球は僅かに切れ、ファウルのコールが響き渡った。皇帝学院側のアルプススタンドからはため息が漏れた。

　

　北大路は顔色一つ変えず、再び左打席に入り、足場を慣らしていた。


　――打たれる。


　守は直感した。


　逃げたいわけではない。ただ、前の打席から感じていたが、北大路はとにかく守にタイミングが合っている。


　虎の子の一点リード。あくまで勝負するメンタルを保っているのは以前の守から大きく成長した所だ。


　だが、その場に対峙している者だけが感じる違和感、これを守は信じる事にした。


「ボール、フォア！」


　北大路は雄叫びをあげながら、一塁へ歩いて行った。


　最後の球は明らかに外しにいった。スリーボールまでは、手を出したら儲け物と思いながら、際どいコースにボール球を投げていたが、北大路のバットはピクリとも動かなかった。


「四番、キャッチャー、太刀川君」


　皇帝ベンチ、アルプスから今日一番の声援があがる。六回裏で一打同点、ホームランが出れば一気に逆転の場面、盛り上がらないわけがないだろう。


　一打席目はショートゴロ、二打席目はセンターフライ。だがどちらも内容は悪くない。寧ろジワジワと守のボールに合っているように感じる。


　ネクストバッターボックスには神崎が立っている。彼もノーヒットだが、守のボールを捉えている。


『ここは逃げられないぞ……』


　不破はサインを送り、胸を叩いた。守に強い気持ちで投げろと言いたいのだろう。


　守は額から汗を流しながら、サインに頷いた。


　六回裏　ツーアウト、一三塁


　明来　一対ゼロ　皇帝学院

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