第八十四話 信じて腕を振るしかない件

 守は今までにない疲労感を感じていた。真夏の気温の高さも相まって、汗が滝のように全身から流れ落ちる。


 正直、心身共に限界ギリギリだ。ここまで全力投球を続け、たった一点のリードを守り続けていたが、ボールを握る手に力が入らない。


 打席の太刀川を見て、ふと守は思ってしまった。三番、北大路との勝負は避けない方が良かったかもしれない……。


 だが、すぐにその考えを訂正した。あの場面は絶対に打たれていた。あれで正解だと。


 人一倍負けん気の強い守だが、相性という根拠なき力関係を信じざるを得なかった。


 守は疲れすぎて棒のようになっている足を何とか動かして足場を慣らした。そしてすっかり重りのついた様な左肩を回し、キャッチャーの不破に視線を向けた。


 初球のサインはチェンジアップ、初球から慎重なリードだ。そしてサインを出した不破は胸を強く叩いていた。気持ちで負けるなとでも言いたいのだろう。


『当たり前だ』


 守は額から汗を流しながら、そのサインとジェスチャーに頷いた。


『ストレート以上に腕を……振る!』


 ボールはフルスイングされたバットを避ける様に低めに沈んでいった。


「ストライク!」


 力一杯バットを振った太刀川の体制が崩れた。そのフルスイングにアルプススタンドから歓声があがった。


 敵ながら天晴れ、もの凄いスイングだった。もし考えなしにストレートを投げていたらと思うと冷や汗が出る。不破のリードは相変わらず冴えている様だ。

 

 二球目、ここでも要求はチェンジアップだった。


 守の沈むチェンジアップは確かに威力満点だ。しかし所詮は遅いボール。狙われたら長打は必至だろう。


 だが、守は迷わず頷いた。自分が限界に来ているのは、受けている不破が誰よりも感じている事だろう。その中で苦心してリードをして、ここまで皇帝打線を封じ込めているのだ。


 信じるしかない――スタミナの限界に来ている守は、不破の頭脳を信じて腕を振るしかないのだ。


 ――ブォンッ!!!


 ――パシィッ!


「ストライクツー!」


 二球目も、先ほどと同様のフルスイングだった。素振りならいざ知らず、試合の、しかも公式戦の場でここまでのスイングが出来るのは、プロ注目選手たる所以だろう。


 ノーボール、ツーストライク。カウント的には守の圧倒的有利な状況だが、彼女にはそんな余裕は一切なかった。


 すぐさま不破からサインが送られた。


 ――サインはストレート、インコースを攻め込むクロスファイヤーだ。


 恐らく不破は三球三振を狙っているのだろう。緩急が効いているこの場面で全てをかける。変にカウントを作られるほど、不利になる予感は守自身感じていた。


 投げるは胸元を抉る、鋭いストレート。


 思わずのけぞってしまう様な、エゲツないボール。


 この場面を抑えれば、勝てる。そんな予感がする。


 守はいつものルーティンでロジンパックに触れ、マウンド上を白い霧で覆った。


 ゆっくりと左足をプレートに触れさせ、セットポジションに入った。


 バッターボックスから、太刀川の鋭い視線を感じる。将来プロ野球選手になるであろう彼にとっても、流石にこの場面は力が入る様だ。


 完璧な体重移動、後から左腕が勝手に振られていく。いつも通り、自分が思った通りの場所にボールを放れる感覚だ。


 ――ピシッ


 突然、右足が一気に強張った。


 全体重を乗せ、ボールをリリースする直前だった。


 ――ドンッ。


 投じたボールは太刀川の腕に直撃した。


 六回裏 ツーアウト満塁


 明来 一対ゼロ 皇帝学院

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る