第五十八話 ストレート

 ――九回裏、ツーアウトランナーなし。


 バッターボックスには四番の八城が打席に入っている。


 六回裏、守だけのオリジナルチェンジアップを習得してから、南場実業の打線を完全に封じ込めていた。やはり野球にはターニングポイントというものがある様だ。


 七回表には、ようやく勝負してもらえた氷室がツーランホームランを放ち、スコア四対ゼロ、明来リードとしていた。


 ――そして。


「八城、頼む! 打ってくれェェ!!!」


「まだだ、まだ終わらねェぞ!!!」


「頼むぞ八城ォォォ!!!」


 ベンチ、そして観客席から大声援が八城に送られる。彼は伝統校のキャプテンとして、何としても出塁する為にバットを短く握っている。


 流れは渡さない――。


 守は普段より少し早いフォームで投球した。打球はバックネットに突き刺さる。


 鳴り止まない南場実業のアルプススタンドからの大声援、祈りを捧げている南場実業のチアガール達。全員立ち上がって声援を送る南場ベンチ。彼らも必死に甲子園を目指している。


 だが、甲子園に行きたいのはこっちも一緒だ――。


 不破からのサインを見つめる。守は思わず笑みを溢す。守自身も最後はこのボールで締めたいと思っていたところだった。


 六回裏に掴んだ感覚――身体全体を使って投げるボールは、今までにないバッターの反応を見ることができたのだ。それが守にとって、たまらなく気持ちが良かった。


 インコース、ドンピシャのコースへ真っ直ぐ向かっていったボールは、八城のバットが通る前に、キャッチャーミットへ収まった。


 守渾身のストレートは、彼女としては自己最速の百二十五キロを計測していた。


「ストライク! バッターアウト!」


 守は左腕を大きく上げた。


「ゲームセット!!!」


 ――両校は整列し、互いの健闘を称え、正面に立つ相手選手と握手をした。


 グラウンド内外から鼻のすする音、声にならない泣き声が聞こえる。南場実業の選手たちの多くは顔が俯いたままであった。


「――ありがとうございました」


 守は正面に立っていた一色と握手をしていた。一色は唇が震えているのか、うまく声を出せない様だ。


「絶対……甲子園……行ってくれよ……」


 途切れ途切れの声だったが、その言葉は確かに守の耳に入った。


「もちろんだよ」


 守の声を聞き、一色はようやく顔を上げた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔だが、一生懸命戦った男の顔だった。


「千河」


 声の方へ視線を移すと、八城が右手を差し出して立っていた。


「あんな凄いボールがあるなんて、驚いたぜ。フォームも後半さらに良くなったな」

 

「まだ完成してなかったけど、八城……さんを抑える為に使ったんだ」


 八城は笑顔で話をしていた。爽やかな笑顔だが、砂と涙を纏った頬は真っ黒になっている。


「あのフォームとボールがあれば、最後みたいにストレートも活きる。お前の武器になるぜ」


 八城の言葉を聞いて、守は確信を持てた。


 彼女は今までストレートというボールについて、見逃しか、良いコースに投げて打ち損じを狙うというイメージで投じていた。守のストレートの球速が、男子高校生には打ちごろな事が理由である。

 だが、チェンジアップのコツを掴んでからは、ストレートに対するバッターの反応が明らかに変わっていた。


 更に、より身体全体を使う感覚を同時に得ることが出来た。その結果、ストレートも変化球もより威力が増し、より前の方でボールをリリースできる様になった。


「次は皇帝だな。あいつらは強いぞ」


「わかってます。――だけど」


 守は笑顔で話し続けた。


「僕たちは勝ちます」


 その言葉を聞いて、八城から笑みが溢れた。二人はもう一度、ガッチリと握手をした。


 両校の健闘をたたえた拍手は、暫く鳴り止むことはなかった。


 九回裏 試合終了


 明来 四対ゼロ 南場実業

 

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