第四十九話 打っちまえ

「うわー、次風見かよ。守備の準備しよー」


「かーっ、なんであんな遅い球に空振るかなー、センスねーな」


「風見、お前は一切バットを振るな。下手な事をするとフォアボールの可能性すらなくなるだろ?」


 ――風見は一瞬、昔のトラウマが頭をよぎった。


 嫌な記憶を思い出し、気持ちの悪い汗が流れる。


 六回表、お互い得点なしの状況、ツーアウト満塁。何故よりによってこんな場面で回ってきてしまったのだろうか……地面に立っている感覚すら持てないくらい心拍数が高まってしまっている。


「振るな!」


「振るな!」


「振るな!」


 また脳裏で声が響き渡る。気持ちが悪い、今にも倒れそうだ。風見はネクストバッターサークルから動けないでいた。


「……ざみ! 風見!」


 風見がふと顔を向けた先には氷室が立っていた。


「どうしたんだ、大丈夫か?」


「う……うん。緊張しただけだよ」


「確かにこの展開は緊張するよな。……思いっきり振って来いよ!」


 氷室は風見の背中を叩いてベンチに戻っていった。


 振って来い……僕が振っていいのか?

 風間は恐る恐るベンチの方を見た。


「風見くん! 練習通り思いっきり振って!」


「風見! 頼んだぞ!」


 ベンチの全員が打ってこいと言っている。監督からも初球からスイングする様にサインが出た。

 ランナーの選手からも声が聞こえる。誰一人振るなと言ってこない。

 不思議な感覚になりながらも、風見は右打席に入り、バットを構えた。


 セットポジションから一色が投球を行なった。入れにきた、甘いストレートだ。

 風見はスイングを開始する。


「振るな!」


「振るな!」


 またしても脳内で嫌な声が響く。


「……くっ!」


 風見は結局ハーフスイングの様な形でボールを見送ってしまった。コースはど真ん中、甘いストレートだった。


「ストライク!」


 その瞬間、観客席から叫び声が飛んできた。


「風見! テメーなんだそのクソみてーなスイングはよぉ!?」


 東雲がフェンス越しに怒っている。


「そんなスイングをする為に毎日俺様にバッピさせてたのかコラァ!」


 東雲が怒るのもわかる気がしていた。風見はほぼ毎日、東雲にバッティングピッチャーをして貰っていた。東雲は嫌な顔をせず、時にはアドバイスも交え、風見が満足するまで付き合っていたのだ。


「そんなヘナチョコ球なんか打っちまえよド下手くそが!」


 その後大会運営の人に制され、東雲は席に戻った。


 風見は深呼吸をして、素振りをしてから打席に戻った。


 一色は再びストレートを入れにきた。


 ――キィン!


「ファウル!」


「ファウル!」


「ボール!」


「ファウル!」


 風見は自分でも驚くくらいボールが見えていた。もう嫌な声も聞こえない。ただボールを打つことだけに集中していた。


 ――あっ!!

 一色の指から離れたボールが、少しいつもと違う感じがした。

 不規則な揺れ方…….ナックルボールだった。


 自分には投げてこないだろうと考えていたボール……だが頭の片隅にはシャトル打ちのイメージを常に残していた。


 ストライクゾーンに収まりそうな高さ、不規則な揺れから、急に角度を変え、アウトコースの方へ緩やかに曲がってくる。


 シャトルの軌道と似ている。打点を引きつけなければ不規則な変化に対応できない。

 しっかり目でボールを追い、そこにバットの軌道を合わせた。


 ――カィン!


 ナックルを打った打球はフラフラとセカンド後方へ飛んでいる。


 セカンドの四宮は半身になって打球を追いかける


「捕れぇぇ! 四宮ぁ!」


 八城が打球に一直線に向かいながら四宮へ声を送る。


「落ちろぉぉぉ!」


「落ちやがれコノヤロー!」


 一塁へ走りながら風見が叫ぶ。同時に観客席の東雲も立ち上がりながら叫ぶ。


 ――トッ!


 打球は飛び込んだ四宮のグラブの先をかすめ、ポトリとグランドに落ちた。


 六回表 途中

 

 風見の打席時点 


 明来 ゼロ対ゼロ 南場実業

 

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