第二十八話 千河ヒカル親衛隊

 ――六月中旬。


 夏予選の組み合わせ抽選会を目前に控えた明来ナインはグラウンドでアップを行っていた。

 全員でグラウンドを大きく5周してから練習に取り掛かる事になっている。


「千河くーん! 頑張ってー!」

 

 グラウンドの外から声が聞こえてきた。

 守は声がする方向へ振り向いた。


「なっ……!?」


 守は目を疑った。


 無理もない。

 明来女子生徒の大集団が、守の名前が書かれたパネルやらイラストやらを持って練習を見学しているのだ。


 その光景を見て思わず立ち止まる明来ナインであった。


「キャー! 千河君が今私のこと見てるー!」


「何言ってるのアンタ! 私の方を見たに決まってんじゃん」


「アンタたち邪魔! ヒカル君が見れないでしょ」


「はぁー!? テメーなに勝手に下の名前で呼んでんだよ」


 ……二十人以上はいるだろうか。全員が守の勇姿を観にきているらしい。


 ちなみに忘れちゃいけないが守の正体はれっきとした女子。

 グラウンドのフェンス越しに黄色い声援を掛けている子達と同じ性別である。


「すみません。練習中ですので大声は出さないでもらえますか?」


 瑞穂が女子集団に注意を促す。


「は? アンタ誰よ? 私たちは千河ヒカル親衛隊ですけど」

 

「そうですか。私は野球部のマネージャーです。応援はありがたいのですが選手の邪魔にならないようにして貰えますか? 明らかに皆、意識が皆さんに向いてます」


「マネージャー? どーせアンタも千河君狙いでしょ」


「あ、清水隊長。私コイツ見たことある。よく千河君と歩いてる尻軽女だよコイツ!」


「はあ? 誰に許可取って抜け駆けしてんだよ、ちょっと顔が良いからってこのクソビッチ!」


 この口が悪いのが迷惑団のボスで、清水っていうのか……と瑞穂は呆れていた。


「ヒカルと私は幼馴染みです。一緒に歩いてもなにも変ではないでしょう。それにそんな汚い言葉ばっか話してると誰にもモテませんよ? 清水さん」


 瑞穂と清水の目からバチバチとしたモノが弾けている様に見える。

 明来ナインはそれを見て兎に角ビビっていた。


「こええよ……何これ女子こええよ」


 大田だった。至極もっともな感想だ。


「全く……これだから三次元は困る。その点二次元は常に我々の味方でござる」


「山神殿。ひよこタソはいつでも貴方のそばにいるでござる」


「おほほほほほ! 生きてて良かったー!」


 山神と松本は別ベクトルでテンションを上げていた。


「ちっ……あんなん無視して走るぞ。千河テメー調子に乗るなよ!」


 東雲が精一杯強がってランニングを再開させた。

 他のメンバーもつられて走り出した。


 ――アップが終わり、各々分かれて練習場所に移動した。

 守のメニューはこの後ブルペン投球だ。


「キャー! 千河君カッコいいー!」


「投げ方キレー! 顔ちっちゃーい」


 ブルペンは黄色い声に包まれている。

 ブルペンはグランドの端のため、フェンス越しの親衛隊がかなり近い場所にいる。

 かなり集中できない環境だが、それ以上に隣で指導している東雲がイライラしている。


「……東雲。この前試したチェンジアップの握りなんだけど」


「うっせー! てめームカツクから教えねー」


 明らかに親衛隊の存在が東雲をイライラさせていた。それが可哀想なことに守に怒りをぶつけているようだ。


「ちょっとそこのヤンキーみたいな奴! なに千河君いじめてんのよ!」


「あの千河君が教えてって頼んでんだから黙って教えろ! そんなんだとモテねーぞ細眉」


 やめて……やめてくれ。勘弁してください……守は心から祈っていた。

 これ以上東雲の機嫌が悪くなると困る。教えてくれなくなる。

 ……そして私は女だと言いたい気持ちだったが、守は全力でグッと抑えていた。


 ピシャー!


「キャー! なにすんのよクソ女!」


 瑞穂がブルペン周りをホースで水を拡散していた。清水たち親衛隊は瑞穂に怒りをぶつけた。


「当然マネージャー業です。ほどよく湿気を与えないと砂埃が舞いますし、熱中症リスクがも高まります。そこにいたら更に水がかかりますよー」


 ピシャー


「キャー! ちょっとマジで濡れたんだけど!」


 瑞穂が構わず水を拡散される。

 水分を含んだ彼女たちの制服は、少し中が透けてしまっている。


 その時、守は嫌な視線を感じた。

 東雲が何とも情けない表情で、その女子たちの姿をじっと見つめていた。

 守は内心、このドスケベヤローと思いながら頭を軽く叩いた。


「ってー! んだよテメーにいつも教えてやってんだから良いだろ! 謝礼だろ」


「ダメに決まってるでしょ。瑞穂に今の話言うよ?」


「ちっ……クソが。仕方ねぇから今日も教えてやるよ」


 東雲が転校してきて早二週間。何となく彼の扱い方がわかってきた守であった。


 だが、この状況はなんとかしないとな……と守は考えていた。

 応援は嬉しいけど、他のメンバーが集中できなくなったら元もこうもない。


 ――練習後、守は瑞穂と相談をしていた。結局練習中ずっと守のいるところに親衛隊がついて来ては大声を出されていた。瑞穂が妨害するが、それでも限界はある。


 そんな話をしながら二人はグラウンドを出た。


「千河君!」


 練習終わりを待ち構えていたのか、守たちの前には親衛隊が勢ぞろいしていた。


「千河君、そのマネージャーとはどういう関係なの? もしかして彼女?」


 清水が切り出した。

 他の親衛隊も固唾を飲んで回答を待っている。


「瑞穂と僕は幼馴染みだよ」


 親衛隊はホッとしたような顔をしている。そして何故だか瑞穂はガックリきている。


「ただ……」


「ただ……?」


 皆が守の言葉を待った。


「ただ瑞穂は僕の大切な親友だし、チームの大事なマネージャーだ。日々マネージャーとして頑張ってくれている彼女に酷いことを言うことは絶対に許さないよ」


 守はゆっくりと、だが力強く彼女たちに忠告した。

 親衛隊の全員が、ビックリしたように見えた。

 

「ご……ごめんなさい、つい言い過ぎちゃったの」


「あと応援は嬉しいけど、あそこまで大きな声を出したり他のメンバーを下げるような事を言われるのも困るよ。大会も近いし迷惑だよ」


 守は引き続き丁寧に、だがハッキリした口調で注意を続けた。


「千河君、ごめんなさい。もう邪魔しないようにするよ。もう練習にも顔を出さないから」


 清水含め、親衛隊の皆が涙目になっている。すっかり反省しきったように見える。


「清水さん……別に応援される事自体は嫌じゃないよ? むしろ嬉しい話だし」


「え……?」


「だから、僕以外にも全員を応援して欲しいんだ。もちろん瑞穂を含めてね」


 守は笑顔で清水の頭を撫でた。

 親衛隊は小声でキャーと叫び、かたや瑞穂は何故か狼狽している。


「千河君……私たち、また応援していいの?」


「もちろん。といっても練習中は困るけど、例えば大会とかー」


「分かりました! みんな! 今日から私たちはチアガールになるわよ!」


 一斉にオーと返事をする親衛隊。

 守はおまわぬ展開に動揺している。


「いや……その。大会を観に来てってレベルの話で、そこまでしてもらうのは」


「いえ、私たちのモットーは千河君を全力で応援! です! やるからには甲子園で映っても恥じないチアをやります!」


 守は困った顔をして瑞穂の方を見た。

 彼女もヤレヤレという表情をしているが、拒否はしていなかった。


「うん。じゃあ僕たちの応援よろしくね」


「任されましたわ、早速チア部設立の手続きをします! 瑞穂さん! あなたも私たちに負けないくらいマネージャー業頑張りなさいね!」


 そう言い残し清水たち一行はダッシュして学校の方に飛んで行った。

 まるでスポーツカーが走り去った後のようなスピード感だった。


「ま、これはこれでいいか。行こう、瑞穂」


「幼馴染み……こんな近い関係なのに幼馴染みなんて……」


 瑞穂はまだ落ち込んでいた。


 守は呆れながら、そのトボトボ歩きに付き合ってあげた。


 

 

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