第五話 野球が好きな気持ち

 兵藤がポーカーをしている頃、氷室渉ひむろ わたる風見俊かざみ しゅんの机の前に立っていた。


「風見、野球が好きなのか?」


「氷室君だっけ。なんでそんな事思ったの?」


 氷室からの問いかけに、風見は驚いた様子だった。


「それ、関東ジャガーズのキーホルダーじゃないか。クリアファイルだってジャガーズの選手のやつだし。どうだ、一緒に野球部に入らないか?」

 

 氷室は、風見の筆箱を指差しながら勧誘した。


「はは、確かにプロ野球を観るのは好きだよ。だけど僕はセンスがないから、野球はしないって決めてるんだ」


 風見は恥ずかしそうに筆箱をカバンにしまった。


「センスがない?」

 

 氷室は首を傾げた。


「そうだよ、これでも小四の時、一年間だけ少年野球チームに入ってたんだ。だけど全然上手くならなくて」


 風見が辛そうに話しているのを、氷室は真剣な顔で聞いていた。


「ヘタクソだから、チームメイトには馬鹿にされて……監督からも」


 風見は言葉が詰まり、うつむいた。おそらく彼のトラウマなのだろう。


「大好きな野球を嫌いになりたくなくて。だから野球のプレーは諦めて、観るだけにしたんだ」


 風見は俯いたまま話し、ふと顔を上げた。理由はわからないが、氷室は涙を流していた。


「ど、どうしたのさ氷室君」


 風見はあたふたしながら尋ねた。


「すまない、お前の辛い気持ちを知った途端、涙が止まらなくてな」


 氷室はハンカチで涙を拭きながら話を続けた。


「ただ、俺たちにはお前が必要なんだ、俺が絶対馬鹿にさせない。助けてくれないか?」


 氷室は頭を下げ、再度入部をお願いした。


 風見は戸惑った。トラウマはあれど、野球の練習自体は楽しかったのだ。

 そもそも、野球がやりたいから少年野球チームにも入ったのだ。その気持ちを、トラウマがずっと押し殺していた。


「僕が入っても迷惑になるだけだよ」


 風見が答える。


「そんな事は一切ない。俺たちはお前が必要だし、練習は俺がとことん付き合う」


 氷室は風見の両手を握った。


「……わかったよ。とりあえず体験で夏の大会までなら」


 風見は諦めたかの様に頷いた。ただ、同時にワクワクしているようだった。


「ありがとう……ありがとう風見! 宜しくな!」

 

 氷室はまた目に波を浮かべている。風見はその姿を見て笑っていた。


 涙を拭いた氷室は、早速チームの皆に報告しようと思い、スマホを取り出した。

 同タイミングで通知が鳴った。兵藤が一人、入部熱望者を見つけた様だ。


 ――大したやつだ。氷室はそう思いながら自身も報告した。


 『俺も夏まで戦ってくれる仲間を見つけた。全員でチームの魅力を感じてもらい、正式入部してもらおう』――氷室は送信した。


 氷室は風間の顔を見た。

 恥ずかしさの中に笑顔がある、とても良い表情だった。同時に野球をもっと好きになって欲しいとも思った。


 こうして、ひとまず明来ナインは完成した。男装JK投手、守の初試合は目前に迫っている。

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