第20話 最後の覚悟

「ーーなるほどね。それがお兄さんが見てきた今現在の現実世界って訳か。確かにことが急を急ぐのは間違いないみたいだね」

 そう言ってエムはふむと頷く。

 長かったのか短かったのか、どうにかこうにか説明をし終えてエムには理解してもらえたみたいです。ホント、短く纏めて話すのがこんなにも難しいだなんて思わなかったよ。だから小レポート書くのが苦手だったのか。納得だよ納得。

 と一人勝手に得心しながら、僕は顎に手を遣るエムに一つ疑問を投げ掛けた。

「なあエム。昨日カフェでしてくれた話、現実世界で眠りにつくからこの『裏側の世界』に意識の主導権が移ってくるんだよな? でも美夜の場合確実にこの世界での活動が現実世界の美夜が意識を取り戻さない原因になってる。この因果の逆転はどういうことなんだ?」

 そう、それは美夜の病状を知ったときからずっと引っ掛かっていた問題だ。

 僕はエムをそしてエムの話を全面的に信じているし、実際にこの目で見てエムの話が本当のことだと確信を得ている。エムの話す因果関係に間違いはないのだろう。

 けれど、やっぱり美夜の場合においてはその逆の現象が起きており不可逆のはずの現象が見られているのだ。まさかクー・フーリンでもあるまいし……とでも思ってしまうけれど、それが事実で現実なのだ、正真正銘の。

 いくら考えても答えは出ず、僕はこてと首を傾げる。

 見ればエムも首を傾げており、口を開いたかと思えば珍しく探り探り憶測のように話し出した。

「まずこの世界の仕組みだけど、お兄さんの言う通り昨日私が教えたままで間違いはないの。自分自身が誰だか分からない私だけど、それ以外なら何でも知ってるから。それに現実世界で美夜お姉さんが目覚めないこととこの世界の存在とが関係してるって読みも、残念だけど外れじゃないと思う。……けれど、だからと言ってこの世界のせいで現実世界の人間が命を落とすもしくは落とそうとしてるなんてのは信じられない話だよ。確かにこの世界と現実世界の人間が連動してるのは事実だけど、それはあくまで現実世界が主でこの世界が従での連動だからね」

「そうだよなぁ。いくら例外の例外だからってそんな都合の良いことが起こるはずないよなぁ……」

「そうだよいくら例外の例外だから、って……例外……? 例外……例外……」

「……ん?」

 エムの話も理に適っていたため勘が外れたかとふーむと頭を捻ろうとしていると、突然エムが口を止めった。

 見れば僕の言葉に引っ掛かったことがあったようで、一人じっと黙り込んでいる。

 すると次には何か閃いたようにはっと顔を上げると、これだとばかりに手を叩いて頷いた。

「……ああっ、なるほど! 例外、例外か!」

 そうしてなるほどなるほどと再度再々度頷いたところで、僕の方を向くと目をキラーンッと輝かせて確信と自信に満ちた声音で説明してくれた。もちろんフードには隠れてるんだけれどね。

「私としたことが忘れてた。確かに基本的にこの世界と現実世界とは従と主の関係で連動してるけど、それには例外中の例外中の例外があって、極稀にだけど『裏側の世界』との適合力が強すぎて現実世界にまで影響を与える人がいるらしいの。本当に極稀にしかいないから私も忘れてたけど、もし美夜お姉さんがその例外中の例外中の例外に当てはまるなら因果の逆転も証明がつくよ」

「……と言うと?」

「普通なら現実世界の人間の言動や思考がこの世界に作用してこの世界の人間の在り方が形成される。だから現実世界では叶えられなかった願望を抱えているとその遂行にこの世界の人間は動くんだよね。この世界はあくまのあくまでも現実世界の従属的な世界だから。けれど、極稀に現れる適合力の強い人間の場合は違うの。適合力ってのはこの世界の人が潜在的に持つこの世界の理に対する相性の良さを言って、この世界の理ってのはずばり願望を果たさせるために存在するってこと。つまり、適合力が強いってことは願望を果たそうとする力が一般の人間より強く働くってことなの。ここまではオーケー?」

 指でオーケーマークを作るエムに、僕はコクリと頷きで返す。

「それで願望を果たそうとする力が強いと、あまりに長い間願望が果たせない状況が続いた場合にある現象を起こしてしまうの。それが、お兄さんの言ってた因果の逆転現象。原理としては、強引にも願望を果たそうとして現実世界における生命エネルギーをこの世界に強制逆輸入させることで現実世界と『裏側の世界』の主従関係を反転させてしまうの。例えるなら、本来は控え選手だったのに試合に勝ちた過ぎてスタメンの呑気なプレーに我慢できず自ら試合に出てスタメン選手を控えにしちゃうって感じかな。それで、ここで大事なのが生命エネルギーの強制逆輸入の話なんだけど、これはもう平たく言っちゃえば生命力の搾取と同じ。つまり、普通なら現実世界での生命活動に使う分のエネルギーを根こそぎこの世界に奪い取っちゃうことを言うの。だから現実世界の人間は何の疾患もないのに心臓の働きが急激に悪くなり、まるで異常なまでの負荷をかけられているかのような状態になってしまうの」

 その最後の言葉に僕はすぐにピンと来た。

 現実の世界に戻ったときに聞いた、病院の先生が言った言葉ーー常に心臓に正体不明の強大な負荷がかけられた状態になっているのですーー。

 それはまさしく今エムが説明している症状の通りで、もはやパクリか後付けじゃないかと想像してしまうレベルだ。そりゃ到底現代医学じゃ解明できないだろうと思ってしまうし、エムの説明が本当に正しいのだと確信できてしまう。エムが何回にも渡ってなるほどと言っていたのも納得だ。

「……ってことは、その心臓の負荷は美夜の願望が叶えられるまでかけられ続けるってことで、願望を叶えさえすれば美夜の命も助かるってことか」

「そういうことだね。……でもまさか美夜お姉さんの意識を戻させるだけじゃなくて美夜お姉さんの命を救うことにもなるなんて。最初から気付けなくて本当にごめん。一分一秒が惜しいって言うのに」

「いや、良いよ。エムだってわざと忘れてた訳じゃないんだからさ。それよりもそう、時間だよ。現実世界の病院の先生はこのまま行くと今夜が山だって言ってた。それから考えると、現実世界とこの世界の時間の進みが同じだとしてももう半日もない。美夜の願望が未だに分からない今となっちゃあ思い付くものを全部試したところでもキリがない。海外旅行に行きたいなんて言われても如何せん間に合わないんだから。それで何かないか、エム? 良い方法が」

 そう聞きながら、僕は微妙にも不甲斐ない気持ちを抱いていた。

 もちろんこんな緊急事態に陥って手段は選んでいられないし、使える伝手は存分に使うべきだ。それに目的も手段も問わず美夜を助けられるという結果にだけ拘るとも決めた。だから、そういう意味ではむしろエムに聞くのは妥当案だ。

 けれども、やっぱり自分でやると決めたことは自分の力で成し遂げたいという思いもある訳で、あれだけ啖呵切っておいて結局誰かに頼らなければいけないこの状況を情けなく思うところもあるのだ。

 欺瞞もあっても良いとは断じたものの、欺瞞を抱えたままでいるのも気持ち良いものではないなとついつい深く感じ入ってしまった。

「……うーん、あるにはあるよ。って言うか、一番手っ取り早くて一番簡単な方法が」

「それは……?」

 少しばかりか顎に手を当て、首を捻ったエム。方法はあるという言葉に期待を抱き、僕は喉元に蟠った凝りを胸の奥底に飲み込むようにして、息を呑んで次の言葉を待った。

 そうして満を持したように絶妙な間が開けられて、エムは人差し指をピンと立てて答えた。

「ーー美夜お姉さん本人に聞いちゃえば良いんだよ。今一番何を望んでるのかって」

「……は?」

「……え?」

 間抜けた声が重なりしばしの間沈黙が流れる。

 外を吹き抜ける風が窓ガラスに当たり、カタカタと小さく震えた。

「え、ちょっと待って!? それで良かったの!?」

 僕はあまりの驚きに裏返りそうなくらいに声を荒げたが、対するエムははえ? とこれまた間抜けた顔をしている。

「良かったも何も……うん……そうだね」

「じゃあ何で最初からそう教えてくれなかったんだよ! そうすればすぐにでも美夜を助けられたのにさ!」

 自ずと僕の興奮度は増していく。増して増してマシマシになっていく。

 だってそうだろう。最初からそう教えてくれてれば今頃美夜の願望は叶えられ、僕と美夜は現実世界で再会できていたかもしれないんだから。

 エムもその僕の気迫と言うか危機迫る状況に鬼気迫る感情と言うかを察したようで、そうじゃないとばかりに首を振った。

「いや、違うの。そうじゃないの。確かに昨日の時点でそうすることも出来たよ。昨日お兄さんと美夜お姉さんが再会したときに美夜お姉さんに現実世界で起こっていることの全てを話して望みを教えてもらうことが。だけど、あのときにも言ったと思うけど昨日の時点ではそれは良策じゃなかったんだよ」

「……どういうことだよ?」

「だって考えても見てよ。この世界が『裏側の世界』だって全く知る由もない状態で、ここは現実世界の従属的世界である『裏側の世界』なんだとか君の意識は実はないんだとか言われるんだよ。内容がそもそも突拍子もない上に突然言われるんだよ。そんなの美夜お姉さんじゃなくても信じられる訳ないでしょ。いや、それだけじゃない。もしかしたら冗談や嘘みたいに思われて変な先入観を持たれていたかもしれない。そうなってたら、きっと願いを教えてって言ってもはぐらかされて終わりになってたよ」

 そう言われて僕は口ごもる。

 言われて冷静に考えてみればエムの言う通りの状況が嫌でも想像できたからだ。いや、想像どころか下手に実感することが出来たのだ。なぜなら、最初は僕も近い立場だったのだから。

 僕はまだ現実世界とは微妙に異なったこの世界のことや美夜の意識がないことを先んじて知っていたが故にエムからこの世界のことを聞いてもそこまで衝撃を受けなかったし、それほどまでにエムの話を疑うこともなかった。僕の方から情報を欲していたということもあっただろう。

 でも、美夜は違う。あのときの美夜は全く違った。それはまさにエムの言葉のままな訳で、加えてあのときは美夜に命の危機が迫っているとは分かっていなかった訳だから、本当の本当に、あのとき美夜に全てを明かすのは早計だったのだ。

「……だから仲良く寝泊まりもして怪しまれない関係性になっていてなおかつ美夜に命の危機が迫ってるって判明した今なら、直接手段に出ても大丈夫って訳か」

「うん、そういうこと。ついでに言うなら口実もあるって言えばあるしね。今一番行きたいところを聞いてここに来てるんだから、今一番望んでることを聞いても何もおかしくない。いやおかしいかもしれないけど、唐突じゃない。だから今なら条件は大方揃ってるんだよ」

「なるほどな……。……それじゃあ一つ、参考に聞いても良いか?」

 コクリも頷くエムを待って、僕は訥々と石橋を叩くように問いかけた。

「……もし……もし美夜の教えてくれた今一番望んでることが正解じゃなかったら、どうすれば良いんだ。そんなことはないと思うし、そんなことになってほしくもないけれど、万が一という時もある。その場合、どうすれば……」

 なぜならそれは、万が一にも百万が一にも億が一にもありえないのだとしても、聞いておいて考えておかなければならないことだから。そこまで準備して備えて覚悟しなければいけないことなのだから。例えそれが、僕の頭に思い浮かべる通りに僕も誰もが望まないものなのだとしても。

 するとそれまで淡々と説明してくれていたエムが、ふと口を塞いだ。

 そして顔を伏せると、酷く重たく今一番重々しい口調で口を開いた。

「……それはもう……諦めるしかないかもね」

「……ッ!」

「だってそうでしょ。自分では自覚してない願望を他人の私達が分かるはずもない。分かるはずもないものを的確に叶えられるはずもない。出来るとしたら美夜お姉さんの望むことを片っ端からしていくことだけど、これは時間的に間に合わない。ほとんど諦めてるって言ったって過言じゃないよ。これはお兄さん自身が一番良く分かってるでしょ?」

「それは……そうだよ、な……」

 そうだよ。僕だって本当は分かってるさ、これしか方法がないことくらい。ヒントも時間もなければ、やり直しもきかない。そんな賭けにも近い方法しか残ってないことくらい。

 僕は息が震えるのを自覚しながら大きく深呼吸をした。

 落ち着け。冷静になれ。感情的になるなと自分に言い聞かせる。

 覚悟も決めた。意も決した。腹も決めた。そのはずなのに、今になって失敗した後のことを考えてしまうのは如何なものなのか。考えてはいけない。少なくもこの僕が考えてはいけない。

 そう、それでも幾分かの不安に駈られてしまう心の一部を圧し殺して。

「……やるしかないんだよな。もうやるしかないんだよな?」

 エムに言っているのか、はたまた自分に言っているのか分からない。エムに聞くようにして、自分に更なる覚悟を求めたのかもしれない。

 けれども少なくともその分かりきった決まりきった問いをすることで、僕自身何か踏ん切りをつけようとしたのは確かだったのだ。

 覚悟を決めたと思ったらへこたれて、また覚悟したと思ったら弱気になって、ホント、自分のことながら難儀な性格だと再三痛感してしまう。

 エムは僕の問いを聞いて、もしくはそんな僕の苦笑を見てか、バシッとキメ顔で答えた。

「……そう、やるしかないんだよ。その選択肢しかお兄ちゃんには残されてないんだから。だから、失敗したときなんて考えなくて良い。この先どうなるのかなんて想像しなくて良い。今は今出来ることを怠らずやろう。大丈夫、私もついてるから。ーーね?」

「ーーああ、そうだな」

 そう答えて、僕はまた自嘲的にふっと微笑んだ。

 だって、エムにそうまで格好良い感じに言われたからには、僕としてももうくよくよなんてしてられない。

 そうさ。どうせ目指すことも一つで、やることだって一つだ。これ以上に分かりやすいものはない。為すべきことを為すときが、まさに今なのだ。

 僕は強く頷く。強く、自分を鼓舞するように。強く、心に燻る不安を取り除くように。強く、エムに自らの最後の覚悟を示すように。

 そうしてベッドから降りつつ軽く格好つけた自分に僅かばかり浸っていると、ふとエムが不思議そうな目でこちらを見ているのに気が付いた。

「……どうした?」

「……お兄さん、何か変わった?」

「……何でそう思う?」

 そう聞く僕に、エムは顎に人差し指を遣って、んー? と首を捻りながら僕の頭の中をを見透かすように答えた。 

「……何か目が生きてるって感じがするし、何よりも今まであった心の迷いがほとんどなくなってるから。言ったでしょ、私は何でも知ってるって」

 最後にニコッと笑みを浮かべるエム。

 そのフレーズが妙に懐かしく、また能天気にも頼もしく感じて、自然僕も頬が緩んでしまう。

「……そうだな、そうだったな。……確かに、僕はエムの言う通り変わったのかもしれないな……」

 何が変わったのかは言わない。いや、正直に言って分からない。ただ、やっぱりエムの言う通り何かが変わったという実感は確かにあったから。それに、変わったとしてもそれが自分自身の力によるものではないと分かっていたから。

 だから、僕はそんな風にはぐらかすようにも匂わすようにも答えていた。

 ちらと視界に入った時計に目を遣る。

 気が付かなかったけれど、僕の枕元で時計はずっと時を刻み続けていたのだ。

 その針が今も、一秒一秒刻々と数字の上を進み続けている。

 僕は靴を履き、身なりを整える。

 襟をきっちりとピタピタに正すと、こちらも準備万端のエムに目を向ける。

「美夜のところに行こう!」

 エムは頷き、僕は扉を開けた。

 もう御託なんていらない。僕らは今、本当の意味で一歩を踏み出したのだ。

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