第19話 君の配慮と僕の誠意と

「起きて、起きて大翔くん……。目、覚ましてよぉ……」

「ーーだからそれは僕の台詞だって……」

 これでもう何度めかというほどに聞いた台詞を耳にして、僕はおもむろに瞼を開けた。

 と言っても、正確に意識がある状態で聞いたのはこれが初めてなんだけれど。

 そうして視界に映るのは、想像通り涙目で僕の枕元に座る美夜の姿と、その隣でじっと僕を見つめているエムの姿。

 たった数分ぶりのはずなのにやけに久しぶりに感じる二人の顔を見て、僕は開口一番そんな台詞と共にふっと軽い笑みを溢していた。

「……大翔、くん……?」

 そんな僕を見て、美夜は目をパチクリさせ一時呆気に取られたように動きを止める。

 そしてそれまでうっすらと浮かんでいた涙が一気に目頭に集まると、美夜は顔をくしゃくしゃにさせて飛び付いてきた。

「ーー大翔くんっ! 大翔くんっ! 良かったー……。本当に、大翔くんが目覚めてくれて良かったー……。大翔くんの意識が戻ってくれて良かったー……」

 僕の胸に抱きつき声をあげて泣く美夜。

 その姿があまりにも幼く愛らしく愛おしく見え、僕はついつい美夜の頭に手を持っていって赤子をあやすように撫でてしまう。

 途中で気付いてすぐに遠慮がちに手を戻したけれど、気恥ずかしくて思わず赤面してしまった。

 それを隠そうと視線を逸らす先で、不意にエムと目が合った。

 エムは僕の目を、まるで僕を労うように、この数分間にあった僕の葛藤と覚悟を讃えてくれるように、優しさに富んだ目で見て微笑み、うんと一つと頷いてくれる。

 僕はそれだけで自分の行いが間違いではなかった、合っていたんだと思え、目頭が熱くなるのを感じた。

 けれど、今は感動して泣いている暇なんてないし、何なら涙は最後まで取っておきたい。美夜の命を救って現実世界に帰ってそこで美夜ともう一度会えたときに涙が出なかったら締まらないからね、この展開的に。

 だから僕も目頭がグッとなるのをどうにか抑えると、エムに力強く頷き返して美夜に顔を向けた。

 さっきよりかは泣き止んだとは言え、まだ鼻を啜る音は消えてはいない。今もきっと美夜の顔は涙と鼻水で酷いことになっているのだろう。

「……おい美夜、そんなに泣かなくても良いだろ? たかが数分気を失ってただけだ。僕はこの通りなんともないんだからさ」

 なんて軽口を叩くように僕は美夜に声をかける。そっと背中に手を遣って、宥めるように軽く擦ったりもした。

 すると美夜は一度大きくズルルと鼻を啜るとゆっくりと顔を上げてそのまま元の椅子に座り、右目と左目を交互に擦りながら拗ねるようにあるいは甘えるように口を開いた。

「……だって、このまま大翔くんと会えなくなっちゃうんじゃないかと思ったんだもん……」

 わずかに乱れた黒髪と涙が滲み潤んだ瞳、さらには興奮で桃色に上気した頬と小さく結ばれる唇が合わさって、今美夜は異常なまでの可愛さを放っていた。解き放っていた。解放していた。

 そんな現実世界の美夜とも違う綺麗さを内包した色っぽい可愛さに、僕はエムが見ているのも憚らずにずいぶんと長い時間見惚れてしまった。

「コホンコホン。あー、お兄ちゃん?」

「……ッ!」

 と、聞こえてきた可愛らしい咳払いで僕ははっとなり、慌ててゴッホンと大仰に咳払いをする。まあ、有り体に言えば誤魔化した訳だ。誤魔化せられたかは知らないけれど。

 そうして僕は居ずまいを正すと、未だぐすぐす言っている美夜に今度は諭すように声をかけた。目を見て、瞳を見て、少しでも美夜の不安を取り除こうと。

「美夜、僕はもうどこにも行かないから。だからさ……泣かないで、美夜」

「……うん」

 美夜は頷くと、手の平でごしごしと目元を拭う。手を離すと、そこには薄赤くなった涙の跡が浮かんでいた。

「……ホント、心配かけてごめんな」

 その光景に、僕は唐突ながらもそう口をついた。

 理由はどうあれ、美夜を泣かせてしまったという事実が今更ながらに僕の心を強く突いたのだ。

 美夜はふるふると小さく首を振ると、キュッと軽く手を握る。

「ううん。私は、大翔くんが無事ならそれだけで嬉しいから。大翔くんがいてくれれば、私はそれだけで嬉しいから」

 そう言ってくれて僕も嬉しいから!

 美夜のあまりの健気さ故にそう飛び出しそうになった言葉を心のうちに抑え込む。

 働け、僕の理性。怠けろ、僕の感情。……ふぅ。

 そうしてどうにか抑え込んで、僕は安堵の吐息を漏らした。

 さて、これでようやく本件に進める訳で、ようやく本源的な解決に乗り出せる訳である。

 ふと窓の外に目を遣れば、まだお昼真っ只中だというのに空は陰り始めている。太陽の光が覆い隠され大地が薄暗い空気に包まれる様は、まるで美夜の運命を示しているようだった。

 いや、僕がそんなことを思ってはいけない。僕が、そんな美夜の運命を打ち砕くのだから。良くある台詞を借りるならば、運命など決まっていない。人間の行動次第で、運命は変わるのだから。

 そんなこんなで今になって自分のいるところが病室的なところだと気付く訳だけれど、そこはもうどうだって良い。

 僕は窓から目を離すと、僕らを微笑ましそうに見ていたエムにきりっと視線を向ける。

 今まずしなければいけないのは情報共有。昨日今日の2日間で僕は数多くの情報を入手することが出来た。ならばそれをこの世界に精通したエムと共有することで、美夜の命を救うヒントを得られるかもしれない。それが、差し迫った僕なりのタスクなのだ。

 するとそのことを察してくれたのだろう、エムは僕の目に迷うことなくコクリと頷いてくれた。

 これで準備は整った。

 これまでの情報収集が第一フェーズだとするならば、ここからはそれらの情報をもとにして実情を把握する第二フェーズに突入する訳だ。まあ、これまでも何回か作戦と名のつくものがあった気もするんだけれどね。

「美夜。悪いんだけど、ちょっとの間出ててくれないか? エムと確認したいことだあるんだよ」

 端からしたら突然にしか聞こえないだろう僕の頼みに、一瞬不安そうな顔を浮かべた美夜だったけれど、すぐに頷いて腰を上げてくれる。

「……うん、分かった。ちょうど喉も渇いてたから、自販機のある辺りに行ってるね」

「……ごめ、……。いや、ありがとう……」

 思わず出掛けた言葉を引き留め、ちゃんと相応しい言葉に言い換える。

 美夜がなぜ一瞬詰まったのか、今なら酷く分かる。だから、美夜の気持ちを知った今、こうした態度を示したりこうした行動をしたりするのは美夜からしたら辛いことに違いない。それが例え、相手がエムという妹のような存在だとしても。

 でも、それでも謝るというのはきっと違うのだろう。美夜は、きっと謝られるのを望んでいる訳ではない。ごめんって謝ったって、美夜はきっと良い気持ちにはならないのだ。

 ならば、僕は感謝を告げる。謝るのではなく、感謝を言うのだ。それが、今僕に出来る精一杯なのだから。

 美夜がそのときどう思ったのかは分からない。分からないけれど、僕には確かに美夜が微笑んでくれたように見えた。

 美夜が僕の言葉に対して、柔らかい微笑みで返してくれたように見えたのだ。

 そしてそのまま、美夜は何も言わずに部屋を後にした。

 コツコツと美夜の足音が遠く小さくなっていく。

 僕はそれを耳にしながら、美夜が去った後も扉に目を遣り続けていた。

 ただそこにあるのは美夜への感謝とより一層の覚悟のみ。

 扉が閉まり低く大きな音が鳴り響く。

 僕は大きく深呼吸をすると、背筋を正してエムに身体を向けた。

「ーーエム、真面目な話、良いか?」

 言葉の通り、字面の通り、僕は自分の出来得る限りの真剣な声音で問いかける。

 そんな僕に、エムはフッと笑みを綻ばせた。

「もちろんっ、そのための私だからねっ!」

 返ってきたのは、二つ返事のオーケー返事。

 あまりに潔い適当な即答ぶりに、聞いたこちらが思わず拍子抜けしてしまう。

 けれど、そのある意味の適当ぶりがエムらしいと言うかエムの本性と言うかそういう訳で、たった2日間の仲ではあるけれど、確かに僕が感じていたエムのここに在る意味なのだ。

 だから僕は、誰よりもいつ何時の自分よりも安心して頼れる相棒あるいは妹分であるエムに、僕がここに至った経緯を説明するのだった。

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