第15話 いざ、国立歴史博物館へ
ーー日野上市。
それは風吹市から45kmほど離れた位置にある都内でも比較的大きな市である。市の中心地には大型ショッピングセンターや各種アミューズメント施設、繁華街が広がり、風吹市にも勝るとも劣らない賑わいを見せている。
また中心部郊外には都内一の敷地面積を誇る国立日野上公園があり、敷地内には国立歴史博物館を初めとした大小様々な博物館及び美術館が建てられている。
謂わば日野上市とは、若者も年配の方も一様に楽しめるお出掛けには最適の街なのである。
そんな日野上市の中心部、相も変わらず謎表記の『ヒのガみエき』に、僕を初め美夜とエムは降り立っていた。
改札を出て真っ先に目の飛び込むのはやはり大型ショッピングセンターで、良く見れば映画館も備えているらしい。
観たい映画が特にあるという訳ではないけれど、最近映画館に行けていなかったこともあって妙に惹かれてしまう。
「ダメだよ大翔くん。今日は博物館巡りに付き合ってくれるんでしょ?」
そんな思いを見透かされてしまったのか、ピッと改札機がICカードを読み取った音が後に背中越しにそう言われてしまう。
「分かってるって美夜。今日はとことんお前に付き合うからさ」
「ふふっ、そうだね。ありがとう、大翔くん」
そう言ってニコッと微笑む美夜。白を基調とした綺麗系ファッションに身を包んだ美しい姿ながら、今日のその笑みにはふわふわした可愛らしさが現れていた。
「なんか今日はいつにも増して機嫌良さそうだな」
「そうかな? 大翔くんと1日中一緒にいられるからじゃない?」
「……ッ! お前なぁ……」
良くもまあそんな甘ったるい台詞を言えたものだなぁと呆れてしまう。ホント、美夜がこんなにストレートだと調子が狂っちゃうよ。現実世界ではツンが強めだった気がするから。
でも、今はそんなイレギュラーな美夜との関係が心地良かったりする訳で。だから美夜の甘々な言葉もくすぐったく感じられた。
「あのー、改札口付近でイチャつかないでもらえますか?」
「「……ッ!」」
そのとき美夜のさらに後方、改札の奥からからかうような声が聞こえてきた。昨日の夜のデジャブ以上のデジャブなのだけれど、そんなことは気にもせずに反射で上ずった言葉が出る。
「べ、別にイチャついてないし!」
「はいはい。イチャついてる人は大抵そうやって言うんですよ」
美夜のときとはまた違ったピコンッという音を立てて、手をひらひらさせながらエムは改札を通り抜けてくる。
こちらはまた昨日と同じフードに身を纏った姿で特に代わり映えはない。そもそも代わりもなにも暗色のフード自体が映えていない。冴えない格好をした僕が言うのもなんだけれどね。
「ーーま、そんな悪ふざけはここまでにして、直通バスの時間でも調べますか」
「お前が言うか!」
「エムちゃんがそれを言うのね……」
手をパチンと叩いてスマホを取り出すエムに、僕と美夜のツッコミが重なる。
まあ、普通はそう思うよね、普通は。
「今がだいたい10時10分だから……あと2分後には来るみたいだね」
国立歴史博物館のホームページでも見ていたのだろう。スマホから目線を上げてエムは僕らにそう伝えてくる。
うん、僕らのツッコミは完全無視なようですね。まあ良いんですけど。完全でも感覚で夢見てなければ。
「じゃあ、バス停に行って待ってようか」
アハハ……と苦笑にも似た笑みを浮かべる美夜。僕もエムもそれに了解と頷きで返すと、表示に従い駅を出てバス停やらタクシー乗り場やらのある乗降場へと歩いていく。
とそのとき、ふとさっき聞いた美夜の言葉が気になった。
「ーーそう言えばさっきエムのことエムちゃんって言ってなかった? 昨日までは管理人さんって呼んでた気がするけどなんかあったの?」
「え? ああ。昨日の夜ね、エムちゃんは私の部屋で一緒に寝たでしょ? そのときにね、ちょっとお話ししたの。それで、管理人さんっていうのも他人行儀すぎるから変えて良いって聞いて、良いですよって言ってくれたから変えたのよ。どう、可愛いでしょう?」
「まあ、可愛いかどうかは別として、仲良さげではあるな。実際にも仲良い訳だし」
「でしょ? ふふっ、そう言ってもらえて嬉しいな」
何が嬉しいのか、まあエムと仲良しだと僕に言われたことだとは思うけれど、美夜はまた柔らかく微笑んだ。
けれどそれに、僕の心をなぜかキュッと締め付けられるような感覚を感じていた。
「あったよお兄さん、美夜お姉さん。なんかもうバス来てるみたいだよ」
すると、左前方からそうエムの声が聞こえてくる。
見遣ればエムはこちらに手を振って呼んでおり、その横には国立博物館群のシルエットがあしらわれたバスが停車している。
今すぐにでも出発するという風には見えないけれど、急ぐに越したことはないだろう。
「エムもああ言ってるし少し急ぐか」
「うん、そうだね」
という訳で、僕と美夜は急ぎ気味でバス停に向かった。
そうして小走りすること50mあまり、バス停に到着する。
「……やっぱり余裕で間に合ったな」
やはり停車しているもののまだ出発する訳ではないらしい。急ぐに越したことはないとは思ったものの、少し損をした気分になってしまう。
「じゃあ乗りましょうか」
待ち合いスペースで時刻表を見ていたエムは僕と美夜とを確認すると、そう言って乗り気でバスに乗り始めた。
「なんであんなに乗り気なの?」
「分からないけど、昨日の夜から楽しみにはしてたっぽいよ」
「へー」
相変わらず良く分からないやつだなー。今更だけれど結局エムって誰なんだろうな、分かる由もないけれど。
なんて思いながら返事をしたら、気のない返事みたくなってしまった。
自分で聞いといてなんだよって自分で思っちゃうよね、全く。
そうしてバスに乗り込んで、僕らは座席についた。場所はもちろんバスの後方。僕は窓側が良いということで窓側に座らせてもらい、僕の隣に美夜が。僕の前の席にエムが座った。
「思った以上に空いてるんだな」
バス内を見渡しても、僕達以外にいるのは二グループばかり。普段がどれ程かにも依るけれど、多いとは決して思えなかった。
「まあ平日だからね。でも普段もこんなものだと思うよ」
独り言として言ったつもりだったのだけれど、前から返事が送られてきた。それも何か意味深な物言いや雰囲気を含めて。
「何か知ってるのか、エム?」
これには僕も興味を惹かれ、座席から身を乗り出して聞いてみた。
エムはちらと僕を見ると、耳打ちするとばかりに手招く。僕ははてと首を傾げつつも、従って耳を貸した。
「だってここは『裏側の世界』だよ、現実世界では果たせない願望を果たさせるためにある。国立博物館くらい誰でも現実世界で行けるでしょ。だからわざわざこの世界で行く人はそういないよ」
「言われてみれば、確かに……」
僕は聞きながら何度も相槌を打った。一つ疑問に感じたことを除いて。
「……でもそれならなんでお前そんなに乗り気で楽しそうなの? それに美夜も」
するとエムは一瞬気付かれた!? とばかりに肩を震わせた。
「……ッ! わ、私は別に乗り気じゃないよ! 楽しみにはしてるけど」
「してるのかよ……」
「ーーでも、そうだね。美夜お姉さんの場合はどうなんだろうね」
それは僕への問いなのかそれとも自問自答なのか。どちらにしても、返答は得られないに違いないと思う。
だって僕もきっとエムも、美夜の望みを知りたいからここにいるのであって、その返答を得られるのならばとっくに美夜の望みなど叶えているであろうから。
結局、美夜の考えは美夜にしか分からないのだから。今の段階では。
「ねぇ、さっきからこそこそ何話してるの?」
「「……ッ!」」
「私がどうのって聞こえたけど、どうしたの?」
僕の肩をトントンとつつくと、美夜がそう言って身を寄せてくる。甘く涼やかな香りが微光をくすぐり、嫌でも美夜との距離を意識してしまう。
「や、その、気にしないで、うん」
近い良い匂いする近い良い匂いする近い良い匂いする。……ん? 近いから良い匂いするのか良い匂いするから近いのかどっちだ?
なんてどこかのラブコメ主人公みたいな胸の高鳴りをリアルにも感じながら、とりあえず誤魔化すことには成功した……のだろうか。
「そうですよ美夜お姉さん。秘密にしていることなんてありませんから」
「そう……。なら良いんだけど」
納得してくれたのか美夜はそれ以上は聞いてこず、体勢も元に戻してくれる。
そうして僕は落ち着きを取り戻せた訳だ。まあ、さっきの状況もなきにしもあらずだったんだけれどね。
と、そのとき運転手からの案内放送が流れ扉が閉められると、バスが動き始めた。車内時計に目を遣れば10時13分。予定時刻通りの出発である。
中心部郊外と言っても風吹駅から国立日野上公園はそれほど遠くなく、今乗っている直通バスで10分もかからない。ここが如何に『裏側の世界』とは言え、そこに変わりはないとは思われる。実際電車の時刻表や所要時間は現実世界と変わらなかったしね。
故に10分など短いものだと思っていたのだけれど、バスが動き始めてから以降、隣に美夜がいるためか1分1分が異様に長くゆっくりと進むように感じられている。
こう言うと語弊が生じるかもしれないけれど、僕は美夜といるのが嫌だとか退屈だとか思っている訳ではない。嫌だったらそもそもこんなところに来ていないし、退屈だったら退屈なりの時間の潰し方は心得ている。むしろ正直に言って、今の状況は非常に新鮮で心が弾んでいるまである。
ただ、問題はその非常に新鮮で心弾んでいるのが反対に一種の緊張感として押し寄せているということで、嫌だったり退屈だったりしないが故に変に美夜のことを意識して勝手に心臓バクバクさせてしまっていることだったりする。
つまり今僕の心臓は、釣れたばかりの新鮮な魚のように、文字通りぴょんぴょんビチビチ弾んでいるという訳で、自分で言うのもあれだけれど、言い得て妙とはまさにこのことであるのだ。
だから僕は目線を前の座席に固定したままただ呼吸をするだけの機械と化している訳で、知らず人差し指が単調にリズムを刻んで叩かれていく。
なんてったって、左を向けば美夜の顔があり、右を向けば美夜の顔が映った窓ガラスがある訳だから。まあ、極論前さえ向けられれば良いからね。究極前さえ向けられなくても良いからね、後があれば。
「……なんか、こういうの久しぶりだから緊張するね」
そんな言い訳紛いのことを長々とつらつらと氷柱の如く長く考えて気を紛らわしていると、そう美夜の方から聞こえてきた。
なんと、緊張していたのは僕だけじゃなかったようである。ただ、緊張するという言とは裏腹にその声音はどことなく弾んでいるようにも聞こえる訳だけれど。いや、緊張しているなら弾んでいてもおかしくないのか。やっぱり僕と一緒だな。
「……僕もだよ。ホント、いつぶりなんだろうな」
「小学校4年生のとき以来だよ。二人でバスに乗って隣町の資料館に行った」
遠く昔を懐かしむかのような目をして、美夜は静かに答えた。穏やかで、和やかで、落ち着いていて、それでいて酷く物憂げで、感情が痛くストレートに伝わってきて。
「そう、だな。そんなこともあったんだな……」
だから、自然と僕の声も自分でも信じられないほど優しいものになり、おもむろに目線も窓の外へと移っていた。
そして窓に映る美夜の儚くも綺麗な微笑みが目に入り、図らずも見惚れてしまった。
「……だからかな。今日こうして大翔くんと一緒に過ごせるのが嬉しいんだ。ホントに夢みたいで、夢見てるみたいで、夢の中にいるみたいで、さ」
「そう、だな……」
そう、本当にここは夢の中で、夢みたいな夢の中で、僕も美夜も夢を見ているんだ。きっと、そうに違いない。
そう思えるだけの、一時の幻のような美しい何かが、僕達二人の間にはあったのだ。
「お兄さん、そろそろ着きそ、う……。……ごめん取り込み中だった、かな?」
そのとき、エムが勢い良くこちらを振り返ってきた。そしてすぐに状況を察したのか、僕と美夜の顔を交互に見ると次第に口ごもり気まずそうに頬を掻いた。
「……フッ。いや、なんでもない。なあ、美夜?」
その姿が妙に滑稽に見え、僕はつい笑いを溢してしまう。
「ふふっ。そうだね。なんでもないよね」
隣では、美夜も同じようにクスクスと顔を綻ばせていた。
「……ふーん。ま、なら良いんですけど。それよりも見てよ、もう公園に着くみたいだよ!」
怪しむように目を細める仕草を見せた後、エムはそう言って窓の外を指差した。
興奮していると見えて声音は高らかとしており、窓に張り付いてわぁーと子どものような歓声を上げている。
ホント楽しみにしてたんですね。楽しみにし過ぎてますね。むしろこの中で一番楽しみにしてたまであるね、そのテンション。
「ホントだね! ……ほわぁ、広いねぇー」
おっとこちらにもお子様がいらっしゃいましたか。まあ彼女の場合、歴史好きが高じたが故ですけどね。前の席の方みたいに純粋に子どもみたいに喜んでる訳じゃあないですけどね。……そうですよね、美夜さん?
「ほら、大翔くんも見なよ! 国立歴史博物館だよ、国立歴史博物館!」
どうやら純粋にはしゃいでるようですね、僕の肩を何回も叩いてきて。それに2回言わなくても分かるからね。
「ホ、ホントだな……」
女子二人が異様にハイテンションなため、僕もそれに合わせようと笑いを溢したけれど苦笑のようになってしまう。
まあ、ようにと言うかしっかりとした苦笑ではあるんだけれど。若干引き気味なのも確かだけれども。
などとまだ到着していないのに興奮冷めやらぬ美夜とエムに、空笑いと空返事と空相槌とを十全に駆使して僕は対応していく。けれど全部空っぽのスカスカで罪悪感に屈しての適当さにも関わらず、奇しくも二人は一向に気付かないばかりか、さらに興奮度を上げていく。もう本当、何しに来たんだろうね、僕。
すると、やっと到着したようで車掌さんの案内が入った後にようやくバスが停まった。
大きな音を上げて前の扉が開かれ、前方に座っていたお客さんから順にバスから降りていく。
「そう言えばお金いくらだっけ?」
そろそろかなと席を立ったときに今更ながら疑問に思い、二人に問いかける。
「運賃? えーっとね、460円だね」
スマホをポチポチしてエムが調べてくれる。
やっぱり便利だねぇスマホって。まだ上手く使いこなせないから時代遅れ感半端ないよガラパゴスゾウガメだよ半端なくデカイよ。で、460円だよね、460円……。えっ、460円!?
「高くない!? 片道でしょ!?」
「そう? これくらいじゃない? ねえ、美夜お姉さん」
「うーん、良く分からないけど高くはないんじゃない?」
「マジか。こんなくらいが妥当なのか?」
「「たぶん」」
「むぅ……」
口を揃えて頷く美夜とエム。
僕はそれに納得がいかず口を尖らせた。
「……ハァ。そんな顔しても値段は変わらないんだから、早く行くよお兄ちゃん」
「あ、ああ……」
やはり納得出来ないながらも、呆れ顔をして溜め息をつくエムに強引にも手を引っ張られてはどうもこうも出来ない。いい加減諦めて僕も渋々と出入り扉に向かう。
「……まあSuicaだから良いんだけどね」
そしてそんな言い訳にも満たない言い訳を未練がましくも虚しくかまし、運賃を払うとバスを降りた。
降り立ったのは国立日野上公園の正面入口に程近いバス停。標柱を見れば、『こクりツひノがミこウえン』と長々しく書かれている。ホント、読みにくいったらあらしない。
「じゃあ、まずはどこから観ようか」
標柱の横、待ち合いスペースに備えられていたパンフレットを一つ手に取ると、開いて目を通しながら美夜がそう聞いてくる。
まあ僕としては美夜の行きたいところならどこでも良い訳で、特に希望がある訳ではない。けれど、美夜がせっかく聞いてきたのにどこでも良いよじゃあ美夜は困るだろうし僕も後味が悪い。よって取るべきは無難な回答で……。
「歴史博物館からで良いんじゃないか。すぐそこに見えて一番近いしさ」
そう言いながら目線を今いるバス停の裏側、垣根の奥に向ける。
そこに見えるのは白漆喰の壁と黒漆喰の屋根が由緒ある風格を漂わせている大きな建物。それとその前方に位置する『こクりツれキしハくブつカん』とまた長々と彫られた石看板。美夜が予てから行きたいと言っていた、国立歴史博物館である。……まあ、例の謎表記からは歴史のれの字も感じられないんですけれどね。
「そうだね、そうしよっか。エムちゃんもそれで良い?」
「良いですよ」
「じゃあ決まりだな」
という訳で、美夜とエムの快い承諾を取り付けることに成功し、承諾に快さを取り付けたことが功を奏し、僕らは最初に国立歴史博物館に行くことになった。なったのだった。
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