第13話 夜ご飯を食べよう
「あれ、もう出てきたの? もう少し入ってても良かったのに」
洗面所から廊下、そしてキッチンへと続く扉を開くと、花柄のエプロンをつけた美夜がお皿を持って立っていた。
そこにはレタスやらトマトやらが色鮮やかに盛り付けられており、ぱっと見でも瑞々しさが伝わってくる。キッチンから出ようとしているところを見ると、そのサラダを運ぶところだったようだ。
「いや、あんまり長く入ってても悪いかなって」
美夜の問いがお風呂のことだとすぐに察した僕はそうそつなく答える。
まあ、事実ではあるからね。夕食の準備をしてもらってるのに一人だけ寛いでるのは。ただ、他の理由がないかと言われれば否定できないけど。
つい浴室の中の香りを思い出してしまい身体が熱くなる。
「どうしたの? 顔が赤くなってるけど」
「あ、いや。その、お風呂上がりだから火照ってるんだよ、うん」
「そう? なら良いんだけど」
それで納得したのか、美夜はそう言うと特に追及してくることもなくサラダをテーブルに運んでいった。
僕はそれにホッとして軽く息を吐いた。
ただ、それでも火照った身体はすぐには冷えないものだから面倒で、今すぐにでも夜風に当たりたくなってくるものではあるのだけれど。
「お兄さんそこ邪魔だよ?」
「……ッ!」
と、また突然キッチンの方から声が聞こえてきて僕は少し肩を震わした。
見遣れば、エムがお盆に3つのスープカップを乗せて立っている。……相変わらずフードで顔は見えないけれど。
それにしても、姿が見えないなとは思っていたもののまさか食膳の手伝いをしているとは想像もしていなかったため、2度3度と目をパチクリさせてしまう。
「どうしたの、鳩が豆鉄砲を食ったような顔して?」
「え、いや、エムも手伝ってたんだなぁ、と……」
怪訝そうな目を問われ、僕は感じたまま感じたことだけを答える。そう、冒険みたいに。
すると、エムは得心がいったという顔をして頷いてみせる。
「ああ、それね。そりゃ手伝うよ。だって今晩泊めてもらうんだよ。これくらいでも手伝わないと申し訳ないでしょ」
そうして、でしょでしょ? 冒険でっしょ? とばかりに同意を求めてくる態度から僕はすぐに察した。
急いで視線を動かしキッチンの奥を見る。IHコンロがあり、その横。そこには、焼きたてホヤホヤソースかけたて熱々のハンバーグが。遠目からでも湯気からは香ばしい香りがし、その肉厚さからはジューシーに溢れ出す肉汁が容易に想像できる。
一言で言おう。どう見たって美味しそう!
ただエムがその語調や態度から伝えたいのはそこではなく、むしろその前段階。美味しくいただく前のこと。つまりは、働かざる者食うべからず、である。
それを察したがために、僕は軽く溜め息をついた。
「……分かったよ。僕があそこのハンバーグをテーブルまで運べば良いんだろう?」
「運べば?」
すると言葉が悪かったのだろう。エムがでしょでしょ? のにこやか笑顔のままなんとも冷めた声で聞き返してくるではないか。
「いや、運ばさせていただきます」
「うんよろしい。じゃあお願いねっ、お兄ちゃん」
そうして僕が慌てて言い直すと、声音は瞬く間に戻され、そのままエムはそそくさとテーブルの方へと向かっていく。
ハンバーグの盛られたお皿をお盆に乗せると、僕もその背姿を見てテーブルの方へ歩いていく。今後ともエムには逆らえそうにないなと先立つ不幸を憂いながら。訂正。不幸などでは決してないですよ。
「あ、ありがとう大翔くん。ちょうど取りに行こうと思ってたんだ」
「ま、まあな」
テーブルに着くなり美夜からお褒めの言葉に預かって、僕は大変恐縮な気持ちになる。まあ、俗に言うと照れてるんですね、これが。
見れば向かいの席ではエムがなにやらニタニタ笑みを湛えているようだ。ね、手伝っておいて良かったでしょ? とでも言わんばかりの顔に少々苛立ちを覚えてしまった。……まあその通りなんだけれどね。
「じゃあ、皆揃ったことだし、いただきます!」
「「いただきます」」
美夜は僕とエムが席に着いているのを確認すると手を合わせて合掌する。次いで僕らも続いて合掌した。ゆっくりと時間をかけて味わおうとの祈りを込めて。
まずはスープから。目の前に置かれるまで分からなかったけれど、見た目からしてコンソメスープのようだ。漂ってくる湯気からはコンソメの香ばしい香りとほんのり効いた胡椒の匂いとが合わさり、食欲が沸いてくる。口に含んでみてもそれは変わらず、むしろタマネギなど野菜類の甘みが加わってより深くコクのある味に仕上がっている。正直言って母さんの作るコンソメスープの10倍から100倍は美味しい。間違いない。
では次はサラダ、と言いたいところだが、なにぶん眼前に佇むハンバーグという肉の塊から意識が離せない。サラダなんて放っておいて早くハンバーグを食べたい欲が込み上げてくる。なんならコンソメスープの香りを嗅ぐ前からハンバーグの匂いにそそられてました。嘘じゃありません。
そう言うか言わずか、何よりも早くハンバーグに箸を運ぶ。箸を入れると、微かな抵抗を残してすっと箸が通り抜けていく。かと言って柔らか過ぎる訳でもなく、中にもしっかりと火が通り表面も香ばしく焼き上げられている。やはり香ばしい度で言えばコンソメスープはハンバーグには勝てないようだ。そして箸で簡単に切れたハンバーグの一片をソースに絡め持ち上げる。見るからに濃厚なソースと絡むことで見た目の重厚感もさることながらハンバーグらしさも増し、食べなくても美味しいというのが分かる。分からないはずがない。だってこれだけ肉汁に溢れててソースも良い香りなんだもの。不味いなんて言葉はもう僕の辞書にはないので。
そうして存分に香りと見た目を堪能して、僕はようやくハンバーグを口に運ぶーー
「ーー長いッ!」
「……ッ!?」
ーー前に、正面から発せられた声に遮られてハンバーグは口に届かない。正確に言えば、その声に反応して手を止めたことでハンバーグは箸に挟まれたまま空中でホバリングしている訳だ。食リポ映像みたく。
「……何?」
若干の怒りを込めて正面の声の主、エムに問いかける。今にもハンバーグからは肉汁が垂れ落ち美味しさが減じていっている。勿体ないにも程がある。
「何が勿体ないなの。私からしたらお兄さんの方が充分勿体ないことしてるよ」
とそこで思い出す。そう言えばエムは読心術を身に付けている説があることを。長らく忘れていたけれど今になって使用するとはなんて小癪な。
なんて言えるはずもなく、僕はどういうことだと聞き返す。
すると、返ってきたのは驚くべき答えだった。
「だっていただきますからもう20分も経ってるんだよ。食べ終わらないにしても、まだ一口も口にしてないなんて勿体なさ過ぎるし意味が分からないよ」
「……は?」
意味が分からないとはこっちの台詞だと言いたくなるような言葉。内容。事実。慌てて時計を見てみれば、確かに分針が2から5まで移動していた。
「……どういうことだ?」
どう考えても理解が追い付かない。20分? そんなはずはない。思い返してみてもせいぜい2、3分だ。でも時計は20分経過を示している訳で、本当の本当に意味が分からない。
「どういうもなにも、お兄さんが自分でゆっくりカップを持ち上げたり箸を動かしたりしていたんじゃん。ねぇ、美夜お姉さん?」
「うん。これはホントだよ、大翔くん」
でも二人が嘘をついているようにも到底見えない。それにエムはともかく美夜は平気で嘘をつくような人間では絶対ない。こればかりは断言できる。
だから、全く以て信じられないが、これは事実なのだとむりくりにも自分を納得させるしかないのだろう。本当徹頭徹尾信じられないけれど。
「……その、なんだ……。それはごめん……」
結局最後まで納得の行かないまま、されど納得を行かせようと、僕は美夜に謝った。
何を謝っているのか正直言って分からない。けれど、謝る必要がありそうだと頭が勝手に認識していたのだ。
「良いよ、別に。大翔くんが美味しく食べてくれれば」
美夜はそう言って微笑んでくれる。
そしてこうも微笑まれたら早く食べない訳にはいかない。僕は止めていた手を動かしハンバーグを口に運び、一息に口に含む。
「……上手い。美味しい」
もう食リポ的な感想など要らず、ただひたすらに美味しい。美味しかった。
「ありがとう。作った甲斐があったよ。ねえ、管理人さん」
「はい、美夜お姉さん」
まるで姉妹のように笑顔を見せ合う二人。見ているこっちも微笑ましくなってくるよね、全く。
「……ところでさ、美夜は明日何か予定あるの?」
一人ご飯を食べながら、僕は重大な案件を切り出すことにした。お風呂でエムから期待を受けたあとずっと考えていたこと。そして、いずれ必ず僕が実行しなければいけないことを。
美夜の願望を知り、それを叶えさせる。そのための必勝の布石を。
「予定? 特にはないけど……どうして?」
キョトンと小首を捻って問い返してくる美夜。
まあ事情を知らなくて突然そんなことを聞かれても不思議に思うだけだからね。当然の反応だ。
だからこちらとしても最低限の回答は用意している訳で、それに従って答えようとする。
しかしちらと見れば、エムが私が言うよと目で合図を送ってきていた。最初の問いで僕の考えを即座に察したのだろう。ホント、頼れる助っ人様々である。
加えて謎にもやけに言いたそうにしているのも相まって、エムに答えてもらうことにした。さあエムさん、やってしまいなさい。
「えっとですね、平たく言ってしまえばお兄さんは美夜お姉さんとどこかに出掛けたいんですよ」
「そうそう……。えッ!?」
うんうん頷いて待っていたのとは違う言葉がエムの口から放たれて僕は思わず耳を疑った。
けれど、なんの聞き間違いでもなかった。エムの口から出るのは、根も葉もなくもない確かにそうだけどそうじゃないという話ばかりなのだ。
「お兄さんと美夜お姉さんって久しぶりにあった訳じゃないですか。だからお兄さんずっと言ってたんですよ、美夜お姉さんと昔みたいに遊んだりしたいなーって。それに明日の天気は絶好のおでかけ日和らしいじゃないですか。これを逃す手はありませんよ。ね、お兄ちゃん?」
「そうなの大翔くん?」
最後にはニッコリ邪悪な笑顔を向けてくるエムと、本気で驚いたとばかりに目を丸くして見てくる美夜。
その純粋な瞳。平素ならまだしも今に限って言えば純粋に悪魔的にしか見えないですね、ハイ。
「や、まあ、近からずも遠からずというか……そうだけどそうじゃないというか……」
変なプレッシャーに駆られつい濁らせた返事をしてしまう。
しかし、見ればそれでもなお美夜は期待に満ちた目で見つめてくる訳で。エムにいたってはほら言っちゃいなよ、とばかりに顎をくいくいさせている訳で。どうにもこうにも僕の選択肢は一個しかない訳だ。言葉は濁ってても、心は澄み渡ってるからね、僕!
「まあ、そうだよ。そういうことだよ。ただ平たく言うとだからな、平たく言うと!」
くーっ、言ってしまった。もう自分でも赤くなってるって分かる。熱いもん。熱いんだもん。それに中途半端に意地張っちゃったし! 無駄に念押ししちゃったし! ホント恥ずかしいったらないよ。
「……そう。そうなんだ……。なんか嬉しい、かな……」
ただまあ、美夜は素直に喜んでくれてるみたいだし、これで美夜にとっても僕にとっても望ましい結果になってくれるはずだし。良かったとするかな。
頬をほんのりと染めて恥ずかしそうに身体を捩る美夜を見て、僕はそうとりあえずはホッとする。一部ニタニタしたまま見てくるフードがいるんですけれどね。この小悪魔めッ!
とまあそこはもう無視しても良いとして、僕はこれで次の段階に進める訳なので、結局は初めの質問に戻ってくる訳だ。
「ーーそれで、美夜は明日用事とか入ってるの?」
「ううん。何にもないよ」
「そっか。じゃあ、明日は美夜の行きたいところに行って美夜のしたいことをしようよ」
そう、次の段階とは美夜のしたいことを聞き出すこと。つまり、僕の打つ必勝の布石及び作戦とは、美夜のしたいことを片っ端から実行していこう作戦。人呼んで全部やろう作戦、であるのだ。
「それって……デート、ってこと……?」
一瞬驚いた顔をした後、美夜は不安げに窺うような表情で僕の顔を覗き込んでくる。
しかしてその瞳は期待をするかのように煌めいており、唇も微かに震えている。美夜がこの話に乗り気況んや望んでいるのは誰から見ても明々白々一目瞭然だ。
「ま、まあ、そうとも言う……かな……?」
だから美夜の望む形、望む口実に則るのは当然であり、デートと言われて否定しないのも作戦遂行のための実利から故である訳だ。決して嬉しいとか心踊るとかではないですよ、うん、決して。
「そう、なんだ……。初めて、だね……」
「そ、そう……だね……」
照れたように喜ぶように嬉しそうに微笑んで視線を落とす美夜。そう照れられると僕もつい目を逸らしてしまう。
加えて時折視線を戻すと同時に視線を戻していた美夜と目が合い、なんとも気恥ずかしくまた目を逸らす。そしてもう一度視線を戻すと再び目が合って再び目を逸らして……と、それを何度も続けてしまう。
自分で言うのもあれだけど、なんだこの甘ったるい雰囲気は!? まあ居心地良くはあるんですけれどね!?
「あのーお二人さん。私がいるということをお忘れなくー」
「「……ッ!」」
呆れているように聞こえる間延びした声。その声で、僕はエムの存在を思い出した。いや、存在を思い出したと言うか、忘れていたのを思い出したと言うのか。まあ、結局忘れかけていたのには間違いがない訳で……。
「う、うん。忘れてはいないよ、管理人さん。だ、大丈夫大丈夫」
それは美夜も同じようで、ジトーと見つめるエムに対して手をあたふたさせながら慌てて言い訳らしきことを言っている。
「そ、そうだよエム。別に忘れてた訳じゃないからそう落ち込むなよ」
「いや落ち込んでないからッ!? ……まあ、それはもう良いよ。それよりも、明日のデート、私もついてくからね」
「えっ、そうなの?」
「当たり前でしょ。ここまで来たんだから、最後まで手伝わせてよ」
あまりにも普通のトーンでさも当たり前のように言うものだから僕が驚いて首を傾げると、エムは本当に当然だとそう主張してきた。
「まあ、それは確かに……」
これには僕も言い返すことが出来ず、勇んだ先から口をつぐんだ。
なぜなら、エムのお陰でここまで来られたのは渾然たる事実だし、この先も手を借りることになるとは容易に想像できてしまうからだ。
それにエムといるのは美夜といるのと同じように心地が良いのも確かで、その証拠に今日の半日近くはこれまで以上に楽しかった。それはきっとエムも同じことだと思う。美夜とエムの仲も良いみたいだしね。
言葉にはしないだけで、僕もエムもお互いのことを友人のようには感じてるんだ。もしかしたら、家族のようにも感じているのかもしれない。それが言い過ぎだとしても、それだけの親しみは確かにあるのだから。
「……じゃあ、明日は3人でどこか行こうか」
だから、結局明日も僕らは一緒なのだろう。僕と、美夜と、エムと。例え明日美夜の意識が戻り僕が現実世界に戻ったとしても、この先も、この『裏側の世界』では。
「それで美夜お姉さんはどこに行きたいんですか?」
その問いに美夜は顎に手を遣って考え、答えが出たとばかりに軽く頷くと段々と表情を明るくしていく。
「そうねぇ。……うん、日野上市の国立博物館とかかなぁ。何でも今幕末をテーマにした展示会をしてるらしいし、あそこならご飯屋さんとかカフェとかもたくさんあるからね」
「日野上市か。電車で50分くらいだからそんなに遠くないな。それに明日までまだ平日だし、特別快速に乗っても余裕で座って行けそうだな」
「そうだね。お昼前には着きたいから10時過ぎ発くらいかな?」
「10時17分発ですね、特別快速だと。だからここを経つのは10時くらいで大丈夫そうです」
美夜の問いかけに、エムがスマホを取り出してポチポチ操作すると即座にそう返す。その早業たるや、慣れにも手慣れたものであった。
……って言うかスマホ、久々に見たな。僕のどうしたんだっけ?
そう思ってお尻ポケットを擦ってみれば固く四角いものが入っている。確実にスマホである。むしろなぜ今まで気付かなかったのかが不思議なくらいにスマホスマホ感していた。
「どうかした、お兄ちゃん?」
そんな挙動が不可解だったのかエムが不思議そうに首を傾げてくる。
「いや、何でもないよ」
僕はそう答えると、再度その存在を確認するようにお尻ポケットを2回程軽く叩いた。
まあ単なる物忘れ的なものだろう。最近ちょくちょくあるからなー。くらいの感覚で。
「さ、明日の予定も決まったことだし、そろそろ解散にしよっか。私と管理人さんはまだお風呂に入らなきゃいけない訳だし。えーっと、寝る部屋だけど、管理人さんは私の部屋で、大翔くんは奥の和室を使って。お布団はもう敷いてあるから。それで、明日の朝ご飯は8時前には用意しておくつもりだから、それまでには二人とも起きてね」
そう言って美夜は席を立つ。手にはサラダやハンバーグの盛られていたお皿を皆分重ねて盛ってくれている。
僕は了解と返事をしながら、それがなんとも申し訳なく加えて危なく思ったため慌てて美夜に手を差し出した。
「食器くらい僕が持つよ。怪我とかされてもかなわないからさ」
「……ッ! そう……? ありがとう……」
美夜は最初驚いたようだったが、すぐに快く食器を手渡してくれた。感謝の言葉が妙に気恥ずかしかったけれど、まあ悪い気はしなかったから別に気にしない。うん、気にしない。
そうしてそのままキッチンの流しへと向かう。
「ここに置いておくね」
「ありがとう」
食器を流しに置きご飯茶碗などにはお湯を浸しておくと、僕は美夜にそれを伝える。すると隣の部屋から声が聞こえてきた。どうやらお風呂に向かったらしい。声の聞こえ具合からして、今は洗面所で服を脱いでいる途中なのだろう。
……っと、いかんいかん。変な想像はするべからず。なんといってもここは他所様のお宅ですからね。そんな粗相は起こせませんよ、いくら僕でも。
故に僕はそそくさと奥の和室に移ることにした。洗面所の前を通ることを避け、リビング経由で和室に向かう。
いつか聞いていた美夜の家の構造を覚えてて良かったなぁと今に思う。ホント、記憶力がそれなりに良くて良かったよ。
「ついに明日だね」
とかなんとか思っていると、不意にエムが話しかけてきた。見遣れば、今もご飯を食べたテーブルに座ってスマホを構っている。
こう見ると、もはやただの家出少女だな。
「そうだな。と言っても今日が1日目だからついにってほどでもないけどね」
「……明日が勝負だよ。長引けば長引くほど、良い結果とは言えなくなってくるから」
相の如くフードに隠れて顔は良く見えない。けれども、その話から、その言葉から、その息遣いから。冗談みたいな軽い話ではないとすぐに見当がいった。
「明日を逃したらどうなるんだ? 美夜は、美夜の意識は、大丈夫なのか?」
「分からない。けれど、一つ言えることはある。現実世界の美夜お姉さんに意識がないってことは、いくらこの世界の美夜お姉さんが元気でも、長い時間なんの音沙汰もないままだとまずい状況になる可能性が高いってこと」
「そうか……」
まあ分かっていたこととは言え、自ずとテンションは低くなってしまう。まずい状況が具体的に何を指すのか、そんなことはすぐにでも想像できる。出来てしまう。だから、変な現実味があって胸を締め付けるのだ。
ただ、可能性が高いということはそうならない可能性も低いは低いけれどもあるということで、まだ希望は残っているということでもあった。弱音を吐くつもりはないけれど、その希望によって焦燥感に駆られずにいられるという側面もある訳で、ホント、難儀な性格だと自分自身でも思わされてしまう。
「でもまあ、僕に出来ることは一つだけだし、為すべきこともただ一つだよ」
「……ふっ。……そうだね」
柄にもない宣言をしてリビングを去る前、そう言って笑うエムの顔が見えた。
本来なら顔は見えないはずなのに、今だけは遠目でぼんやりとだが、確実に。そして一瞬に。
僕はその笑顔に右手を挙げて返すと、リビングを出て廊下の奥に向かった。
「頑張ってね」
そう背中越しに言われた、優しくも力強い言葉を心に受けて。
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