第9話 再会
「……探そうとは言ったものの、こう何百人といると見つけられないものだな、やっぱり」
大通りに面した横断歩道の前。信号の色が赤なのを確認して、青色に変わるのを待ちながら僕はそう呟く。
僕の後ろや横に列挙するのはたくさんの人々。それも主導権を持たぬロボットのような。故に、この呟きも誰にも聞かれることはない。返ってくるのはただの聞き取れぬ喋り声だけだ。
けれど、一つだけ返ってくる声もあった。
その声はフード越しに聞こえてくる。
「どこかないの? 美夜お姉さんが行きそうなところとか」
言って僕の顔を見上げてくるエムに、僕は顎に手を遣りながら思案しつつ答える。
「確かにね。あれから1時間半近く探して歩き回ってるのに見つけられないんだ。そろそろ探し方を変えないと不味いよね。でも美夜が行きそうなところかぁ。んー……」
「美夜お姉さんのお家に行くのは? 仲良しのお兄さんなんだから場所くらい知ってるでしょ?」
僕はふむと頷き、それでも首を捻った。
「まあ知ってはいるけど、たぶんいないよ。家には」
「どうして?」
「あいつ家の中にいるのがあまり好きじゃなかったから、インドア派のくせしてさ」
などと言いながら、僕は美夜のことを思い出していた。
そうだ。運動も苦手で文化部にしか入ったことのない根っからのインドア派だったくせに、美夜は妙に外出することを好んでいた。とは言っても山やら川やら海やらといったガッチリ目のアウトドアではなく、美夜が好きで行っていたのは書店や図書館、博物館といったところだったけれど。まあ、家に閉じ籠っているのが嫌なだけだったんだろう。もしかしたら、それだけ自由に生きたかったのかも知れないなぁ。
いつしかそんな遠い目をしていていると不意に信号が青に変わったのが見え、人波に乗るようにして横断歩道を渡っていく。
すると隣でエムがニヤニヤと暖かい目で微笑んでいるのに気が付いた。
どこかで見たことがあるにやけ方だなぁと思いながら、僕は首を傾げる。
「……どうしたの?」
「え? いや、お兄さんってホントに美夜お姉さんのこと好きなんだなーって思って」
「ハアッ!?」
口元を手で隠しながら言うエム。続けてからかうようにクスクスカラカラと笑いをたてる。
「だってお兄ちゃん、美夜お姉さんの話をするときすっごく嬉しそうなんだもん。顔とか特にすごいよ。緩みきってるよ。だらけてるよ。ゆるゆるのだるんだるんだよ」
「そ、そんなことッ! ……ある?」
「うん。ありあり」
「さいですか」
もうこれはあれですね、ホントのホントに緩んでるんですね、僕の顔。……なんか改めて認識すると気恥ずかしくなってきたな、うん、顔が熱い。
「でも良いよね。それだけ相手のことを想えるなんて。羨ましいよ」
「そ、そう、か。……そう、だな。ーーエムにもいるでしょ? その、そういう人ってさ」
横断歩道を渡りきり、再び人混みの中へ入っていく。それでもピークは過ぎているようでこの世界に来たばかりのときと比べて人は少ない。故に前後左右にゆったりとしたスペースを保てる訳だ。
「んー。そういう人って? どんな人?」
「えッ!? そ、それは……」
何となく話の矛先を変えようとして聞いてみたのが裏目に出てしまい、僕はまたまた気恥ずかしくなってしまう。
そ、そうやって改まって聞かれると、なんか好きな人のこと聞かれてるみたいじゃん! それってもう暴露してるようなものじゃん!
「ねえねえ教えてよ、お兄ちゃんっ!」
そんな僕を見てニタニタ笑顔を向けてくるエム。
お前、絶対僕をからかってるだろ。フードで隠れて見えてなくても分かってるんだぞ!
なんて言えるはずもなく、僕は諦めたように溜め息を吐く。……だって否定したら本気で照れてるってバレちゃうからね。もうバレてるかも知れないけれど。
「……一緒にいて楽しいって言うか、心が安らぐって言うか、ずっと側にいて欲しいって思えるって言うか。まあ、とにかく大切な人ってことだよ」
「うん、まあ、分かってたけどね!」
こいつッ! 絶対後でしばくッ! しばいたるッ! ……ゴッホん。落ち着けー、落ち着けー、自分。
そう自分に言い聞かせ、大きく深呼吸をする。
「そっかー。大切な人かー」
そう静かに呟くエム。時折こちらをチラッチラッと見ているのに気付き、僕は目線で?を浮かべる。
するとエムはニッと微笑む仕草を見せたかと思うと、すぐに前を向いて朗らかにこう言った。
「お兄ちゃんには教えてあーげない!」
「ふっ、なんだよそれ」
言って笑顔を浮かべながら、僕は心のうちでは今のエムの言葉とあの日の自分の言葉とが重なり苦い思いを抱いていた。
エムに悪気がないのは分かる。きっと、あのときの僕も悪気はなかったのだ。けれど、結局あの言葉が引き金であの事故が起こってしまったのに変わりはない。いつまで悔やんでいても仕方がないとは自分でも理解しているけれど、やっぱり悔やんでも悔やみきれないものなのだ。
いっそ今すぐ目の前に現れてくれれば一発で何もかもを解消できるのになぁー。
そう思った矢先であった。
「キャッ!」
「……ッ!」
突然前から誰かがぶつかってきたのである。まあ僕が前方不注意だった可能性もないにはないが、ともかく急に誰かとぶつかったのである。
相手の人が押し倒され地面に尻餅をつく。僕は咄嗟に手を差し出して、その人を起き上がらせた。
あれ? なんかデジャブ感が……。それとどこかで嗅いだことのある香りがするんだけど……。
なんて思ったのも束の間、相手の人はお尻を軽く払い白いワンピースの裾をさっと正す。そして少しばかりずれた帽子を直すと、ゆっくりと頭を下げた。
……ん、白いワンピースに帽子?
「申し訳ありません、私の前方不注意で。お怪我はありませんか?」
「え、ああ大丈夫ですよ。あなたこそ大丈夫ですか?」
「ええ、私もこの通り大丈夫ですよ」
そう言って上げられる顔に、僕は驚愕した。いや、そのあまりの驚愕に、目を見開いて絶句してしまった。
「……あれ、大翔くん? こんなところで何してるの?」
「……み、美夜……?」
そう、なぜなら目の前にいる人物があれほど懸命に探しても見つからなかった美夜であったのだから。あんなにもう一回会いたくてやまなかった美夜であったのだから。そりゃもう驚かない訳がない。
「……あれ? なんか簡単に見つかっちゃったね、美夜お姉さん」
「だ、だな……」
なぜか至って平然と現状を受け止められているエムにひきつった顔で返しながら、僕は美夜を横目に入れる。
その姿は4日前と今日見かけたときと同様に真っ白いワンピースと帽子に長く艶やかな黒髪。そして右目の下には泣きぼくろが。正真正銘、美夜だけど美夜じゃない美夜である。
「どうしたの、黙っちゃって? 具合でも悪いの?」
言葉を出せずにいる僕に、美夜はそう心配そうに聞いてくる。
「い、いや……。大丈、夫……」
久しぶりに聞いた美夜の声、美夜の言葉、美夜の息遣いに、突然視界が歪んだかと思ったら僕は思わず涙ぐんでいた。
美夜が意識を失ったときにも出なかった涙が、今は止めどなく溢れてくる。あのとき出なかった分、今出てるのかも知れない。それだけ、自分でも涙を止められなかった。
「ちょ、ちょっと、全然大丈夫じゃないじゃない。本当にどうしたの大翔くん」
「……ごめん。ホント、ごめん……」
何に謝っているのか、自分でも分からない。
今みっともなく泣いて迷惑をかけていることに対してなのか。それとも、あの日にしてしまった行いに対してなのか。もしくは、そのどちらともに対してなのか。はたまた、そのどちらに対してでもないのか。
全く以て自分にも分からない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
「ごめん……。ごめんなぁ……」
この言葉を思い浮かべたときの罪悪感。口にしたときの充足感。美夜が頷いて聞き入れてくれたときの安心感。
それらを僕が心の底から感じているということだけは、何を隠そう確かだった。
「さすがに道の真ん中じゃ周りの人の邪魔になるから、……そうね、あそこにでも行こう、大翔くん」
そう言って美夜が指すのは大通りから少し逸れた道の始めにある停留所付近。脇道だけあって人通りは数少ない。
「……うん。分かった……」
涙を拭い鼻水を啜りながら答える。その様があまりに滑稽だったのか、美夜は優しく微笑んだ。
「じゃあ行くよ。着いてきて」
「ん……」
言われるがままに手を引かれ、少しばかりか人混みを抜けていく。
途中何人に奇異の目で見られたが、僕は少しも恥ずかしくなかった。ただ、美夜と一緒にいるという実感が、何よりも嬉しかったから。
ふと後ろに目が行ったとき、律儀にも後を着いてきているエムと目が合った。そのとき、エムが嬉しそうに微笑んでいるように、僕には見えた。
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