第7話 新たな出会い②
「どうぞ適当に寛いでね」
部屋に足を踏み入れると、思っていた通りに僕の部屋と瓜二つの作りだった。ただ、家具の配置やインテリアが如何にも女の子らしいものだったため、幾分か違う部屋のように見えて少しばかりホッとする。
女の子の勧めるがままにソファに腰を下ろすと、テキパキとあっという間に目の前にお通しが運ばれてきた。
ホワイトカラーのカップに注がれたミルクティーと、木製のお皿に注がれたチョコクッキーだ。
それが見事に僕の好みのど真ん中ストレートをついてき過ぎていて、瞠目してしまう。コーヒーとかだったら飲めなかったからなぁ、苦すぎて。
そうしてまだまだお子様舌だなぁなんて思いながらミルクティーの香りを楽しんでいると、同じようなカップを持って女の子もソファの空いたスペースにちょこんと座り込んでくる。
「お隣良い? お兄ちゃんっ!」
「……ッ!」
距離の近さに驚き、ついドキドキバクバク心臓が鳴っている。
無邪気なのかはたまた確信犯なのか。どちらにしても2つ3つくらいしか歳が違わなそうなのに、ここまで可愛らしいものだろうか。うちの妹もこれくらい可愛げがあったらなぁなんて思ってしまう今日この頃の僕である。
とまあ冗談もそれくらいにして、僕は目の前のカップに手を伸ばし一口頂く。
甘めの味が疲れた身体と心に染み渡り、知らず吐息をついてしまう。
こうなってみると改めて僕の中での美夜の存在の大切さに気付いてしまう訳で、改めてあのときのことが酷く悔やまれてしまう訳だ。
「……ハァ」
何の気なしに溜め息がこぼれ、それがミルクティーに触れて甘い香りを舞い上がらせる。その香りがまた僕の心を優しく癒してくれる。
「ありがとうね、ホントに」
何がとも言わず、僕は隣の彼女にそう言っていた。言わずにはいられなかったのかも知れない。
「どういたしまして」
そして彼女も何も聞き返さないでくれた。柔らかな微笑みが、見えなくとも深々と伝わってくる。……家の中でもフードを取らないとは本当に徹底してるんですね。
「ところでさ、お兄さんってこの世界の人間じゃないでしょ?」
「……え」
なんて感傷に浸っていると、突然そんなことを聞かれて僕はあまりの衝撃にミルクティーを飲む手も止まりただ凍りつくように身体が固まってしまう。
ゆっくりと右隣を向くが、やはりフードに隠されてどんな表情をしているかは読み取れない。今となっては、フードが邪魔でしかない。
「お兄さんってさ、実は現実世界の人なんでしょ。私、何でも知ってるんだからっ」
「き、君は一体……」
無邪気に笑みを湛える少女に、僕は恐怖さえ感じていた。この子に着いてきたのが間違いだったのか!? と自問自答さえしてしまう。
けれど、返ってきた言葉はそんな僕の予感とは全く異なるものだった。
「私? んー、なんだろう。よく分かんないんだよね、私自身私が誰なのか」
「……は?」
「私は物知りだよ。この世界のことならだいたいのことは知ってる。だから言ったでしょ。『私、何でも知ってるんだからっ』って」
そう言う彼女は何か楽しそうで嬉しそうで、物知りであることを本当に誇りに思ってるだと僕はすぐに理解した。それに、彼女は悪い人間じゃあないんだろうってことも。
「でもね、私にも知らないことがあるの。それが、私自身のこと。私が誰で、どんな人間で、何でここにいて、何でこんなに物知りなのか。それがさっぱり分からないの。変だよね。何でも知ってるはずなのに、自分のことだけを知らないなんて」
でも、そう続ける彼女はどこか悲しそうで、切なそうで。それがしがない憐れみなのだとしても、僕には彼女に同情してあげることしか出来ない訳で。
「だから、お兄ちゃんがこの世界の外から来た他人だってことも知ってるし、それ以外のことも私のこと以外ならたくさん知っている。だからね、お兄さんの力になれるかもって思ったんだ」
最後にそう言って、少女ははにかみ笑いをおそらくだが浮かべた。
嘘をついているようになんて全く見えず、むしろ善意100%厚意100%感じるまである。つまり、この子は本当に心から僕のことを助けたいって思ってくれてる訳なのだ。
なんて良い子なんだろう。天使? 天使なのか? 見た目は黒魔女にしか見えないけれど、もしかして神様が僕に遣わしてくれた天使なのか?
などと宣えるほどには、僕はこの子が優しい女の子のだと確信できた。確信できていた。
「……ごめん。今まで君のこと、疑ってた。力を借りようとしながらも、やっぱり心の奥ではどこか信頼してなかった。信用できないと思ってた。でも、違った。君はホントに信頼して良い子なんだって、心の底から頼りにしようって、今思えた。なんかお茶まで煎れてもらってあれだけど、今更ながらお願いするよ。僕に力を貸して欲しい。僕と一緒に美夜を取り戻して欲しい」
きっとこれも本心ではないのだろう。きっと今でも本心ではこの子を利用してやろうと思っているのかもしれない。なにせ僕の目的は美夜ともう一度会って美夜を取り戻すことで、この子はそのための手段でしかないのだから。
けれど、本心でないのだとしても、僕がこの子を信頼しようと思ったのは確かで、卑怯な思いは抱きたくないと思ったのも嘘ではない。
結局、本心や本音というのは理想でしかなく、現実に何ら則していない空虚な願望でしかない。そんな綺麗なだけの紛い物だけでは何も成し遂げられないときがある。きっと、今がそのときなのだろう。
だから、僕は心を込めて、本心ではないけれど真心を込めて、そう言うのだ。
すると、女の子が目を丸くして驚いているように見えた。よく見ると、ほんのりと肌が紅潮している。
僕はどうしたんだろうと首を傾げる。
女の子はそれを見て自分がどういった顔をしていたかに気付いたのだろう。慌ててフードの縁を引っ張って顔をさらに隠すと、照れたように口を開いた。
「ご、ごめんなさい。そんな面と向かって頼りにしてるなんて言われたのが初めてだったから、その、ちょっと驚いちゃって。ーーでも、そのお願い、ちゃんと聞き届けるから。ちゃんとお兄さんの力になるから。だから、お兄ちゃんも安心してね」
安心してね、か。女の子にそう言われちゃったら、安心するしかないじゃないか。
僕はふっと微笑むと、安心したよとばかりにこう言うのだ。
「うん、ありがとう」
女の子がまた照れたようにフードを引っ張るのが見えた。それがまた可愛らしくて、僕はまた微笑みを浮かべる。
ホント、こんな良い子を疑うなんてどうかしてたな、僕。
っと、そうだ。それとこの子にはまず聞かなくちゃいけないことがあるではないか。もう出会って1時間は悠に経つんだ。そろそろ聞かなければ不味かろう。
「ーーあのさ、名前、聞いて良い?」
僕の問いにしばし考えるような沈黙をあけた後、少女は伺いたてるように聞いてくる。
「……名前、詳しくは知らないけど……イニシャルみたいなのでも良い……?」
「……そっか。そうだよね。うん、良いよ。僕に呼んで欲しい呼び方を言ってくれたら良いよ」
出来る限り優しい顔で、出来る限り優しい声で、出来る限り優しい言葉で、僕はそう答える。
と、途端少女の顔はパァッと明るくなり、声もはずむように変わった。
「うん! えーと、えーとね、エムって呼んで欲しいかな」
「エム?」
「そう、エム。アルファベットのMのエム」
「分かった。エム、ね」
無邪気な子どものように自分の名前を何度も唱える少女改めエムに、僕は知らず微笑を溢していた。
それにしても良いね、エム。デスノートのエルみたいなカッコ良さもあれば、女の子特有の柔らかい感じも兼ね備えていて。実にこの子らしいと感心しちゃうよ、ホント。
「じゃあさ、エム。美夜のこと探しにいく前に、この世界のことを教えてよ。いや、教えてください、エム様」
僕は時代劇に出てくる小役人ばりに頭を下げる。
もちろん、これは冗談だ。面白くはないかも知れないけれど、まあ、僕なりの親しみの印とでも言うべきだろうか。ともかく、僕はエム様に教えを請ったのである。
するとエムも僕の考えを察し、こちらもまた面白半分で冗談めかして返してくれるではないか。
「うむ、苦しゅうない。面を上げよ。そちの頼み、とくと聞いてしんぜよう」
「ハハァー、ありがたき幸せ」
そうして、どちらからもとなく笑いが込み上げて笑い出していた。
6畳ほどの決して広くはない部屋に、僕とエムの笑い声が響き渡り、こだまする。お隣さんに迷惑をかけるなんてどちらも考えず、ただ楽しげに笑い合った。
これで、ようやく美夜の捜索に乗り出せる。本格的に、美夜を取り戻すための行動を始められる。これで、美夜とまた会うことが出来る。
そんな思いを、この胸に確かに抱きながら。
だって、僕の願いは変わらない。僕の望みも変わらない。それは、きっとこの先も変わらない。変わることのない、僕の永遠の願いなのだから。
エムの笑い声を聞きながら、僕はあの日美夜が最後に見せた笑顔を思い出し、秘かに涙を流していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます