第3話 君の想いは……
教室棟1号館から外に出ると、物凄い強風が駅の方向に向かって吹き抜けていった。
建物の周りに立つ街路樹には桜色の花びらが咲き誇り、それらが風に吹かれる度にひらひらと舞い落ちていく。
暦の上ではとっくに春だというのに肌を刺すように風は冷たく乾燥している。
少しばかりか照らしてくれる太陽が有り難いが、雲に陰ればその光も地上には届かず何も暖められはしない。
そんな無力な太陽が今の自分と重なり、僕は天を仰いで大きな溜め息をついた。
今は4限が終わり帰宅の途につくちょうどそのときであり、周りには僕と同様やっと授業を終え意気揚々と、もしくはまた明日も授業があるのかと意気消沈して駅前に向かう学生がぞろぞろいる。
友達数人で帰る者、イヤホンつけ一人で音楽を聞きながら帰る者、自転車で颯爽と間を縫って疾走していく者。
皆様々な形で校門を通り抜けていく。
当然僕も校門を通り抜け駅方面へと向かう訳だが、その隣には誰もおらずその耳には例の如くワイヤレスイヤホンがワイヤーレスで装着されている訳で。
心地よく流れるバラードがうるさい喧騒や風の音を消してくれて、僕もようやく落ち着いて帰宅の途につけるという訳だ。
すると、お尻ポケットからぶぶぶっ微少な振動を感じる。
そうかスマホを入れていたなと入れていたスマホを取り出し電源をつけると、画面には冬耶からのメッセージがありますとの表示が。
手慣れたものとボチボチポチポチタップしては操作していき、メッセージ画面を開いた。
『これから部活があるから俺は行けないけど、今日の内に神薙と仲直りしておけよ』
『それとあのときはさすがに悪ふざけが過ぎたわ、ごめんな』
絵文字もスタンプも使われない文字だけのシンプルな文面。
あのチャラそうな見た目に反した真面目にも真面目すぎる糞真面目な文章。
そして思ってもいないような最後の台詞。
それらがまた如何にも冬耶らしく、僕は読みながらクスッと微笑を浮かべてしまう。
「……何がごめんだよ。確信犯だった癖にさ」
でも、今はそれとこれとは関係がない。そんなことはどうでも良い。
重要なのは、また冬耶から機会をもらったということだ。
あのままの苦い気持ちのまま家に帰ろうとしていたとき、冬耶から仲直りしろよと言われた。
それは端から見ればしょうもないことかも知れないけれど、ちゃちなプライドと罪悪感に邪魔されて大事な一歩を踏み出さずにいた僕にとっては充分すぎる理由なのだ。
親友から機会をもらった理由をもらった勇気をもらった。
ならば、男ならばそれに応えなければいけないではないか。その程度のことだとしても良いじゃないか。
僕は、よしと意気込むと力強く一歩を踏み出した。
1号館から一歩進んだところにある街路樹、桜の木。
一度暴風が吹けば忽ち全ての花びらが飛んでいってしまいそうな儚くも華麗な木の下で、僕はかれこれ30分近く待っていた。
待っているのはもちろん美夜で、それ以外の誰でもない。にも関わらず、どうしてこうも見つけられない!?
『校門近くの桜の木の下にいるから』
こんなメッセージを送るべきだったか?
いやそれはない。絶対にない。
こんなのどう見たって告白するときのやつにしか見えないだろう。
美夜が変に勘違いしてまた照れ照れ甘々照り焼きコースに入ってもらっても困る。
それじゃあまたあのときの再来だ。
じゃあ美夜の教室にまで顔を出せば良かったのか?
いや、それも違う。かなり違う。
もしそうしてたら他の皆がいる前で公開処刑みたくなる訳で、もしかしたらその場であのときの再来になるかもしれない。
それは俺も美夜も誰も望んでいないアンリマユだ。
ならあいつの家の前まで行くのが良かったのか?
いや、それもまた違う。ちょっと違う。
それなら周りの誰にも迷惑をかけないけれど、こちらが限りなく気まずくなる。空気が不味くなる。もしかしたら気分が悪くなるまであるかも知れない。
なら、それも最適解ではない。
ということでここで待つことになっている訳だが、これが最適解だったかも未だ不明だ。
なにせ答えが分からないのだから。まだ答えの出されていない問題を解いているのだから。
そりゃ最適解も何も解自体がまだ存在しない訳ですからね。首を傾げたくもなりますよ。
などとあーでもないこーでもない大学に着ていくコーデもないと唸りながら思案していると、不意に1号館の隣、3号館から賑やかな笑い声が聞こえてくる。
どれも女の人の声で、3号館という点からしておそらく同学年のやつらである。
なにせ3号館は2年次の基礎科目でしか使わないからね。
今さっき終わったであろう授業のことかはたまた今時のコーデのことか5、6人でペチャクチャと喋っている様は実に大学生らしい。
格好も春先にしては派手で髪の毛も一色ではないと来たら、髪の毛もただの黒色で服装もパッとしない僕とは生きる世界が違うというか、天と地との差がある。
まあその間に人がいる訳で、それで所謂天地人な訳ですけどね。
とそこで、その中に美夜の姿があることに気が付いた。
大学デビューか何だか分からなかったけれど、とにかく大学入学と共に髪色を明るくし長さも肩口ほどまでにするようになった。それが、遠目からでも自ずと目を引いているのだ。
良く見れば周りの彼女らも同じ人文学部史学科の面々で、名前は分からないまでも顔は見知っている人ばかりである。
それに記憶が確かならば彼女らは美夜の友達達で僕と美夜との関係もある程度は知っているはずだ。
なら、今僕が出ていって美夜を呼んでも不審がられないだろう、たぶん……。
……まあ、行くしかないんだけどね。
「おーい、美夜ー。ちょっと良いかー?」
そうやって彼女達に聞こえるか聞こえないかの瀬戸際ほどの声量で、若干スカした感じを装って声をかける。
その気持ち悪さに自分ながら激しい違和感を感じてしまい、客観的に見なくても気持ち悪いんだろうなー今の僕、などと肩を落としながら軽く溜め息をついた。
するとなんとなくだが僕の声が聞こえたようで、何人かが僕の方へ顔を向ける。もちろん、その中には美夜も確かに混ざっている。
当然僕を知らないやつや知っていたとしても興味のないやつらはそのまま見て見ぬふりをする訳だが、ラブストーリー予想通りー美夜は確実に僕を認識し、そして何をしているかを瞬時に察してくれたみたいだ。
美夜は友人達にまたねと軽く挨拶をすると、スタスタとこちらに向かって歩いてくる。
そのあまりのスムーズっぷりに、無視はされなくとも少なくても一瞬ばかりは嫌な顔をされるだろうなと思っていた僕は、呼び止めた本人にも関わらずついつい驚いてしまう。
次いでに美夜の向こうでは突然パッとしない男の方へ美夜が歩いていったとあって彼女らが一様に目を点にして唖然としている訳で、どちらかと言えばそんなイミフー場面に出くわした彼女らに同情できちゃう訳ですよ。
……ちょっとその顔は腹に立つけどね。
「こんなところで声かけてくるとかマジキモいから。でも声かけてくれたのは……まあ、ちょっとは嬉しかったから。ちょいキモ嬉しかったから」
僕の近くまで来て、美夜はそう小声で言う。
瞬間風が吹いて桜吹雪が舞い散ったため美夜の顔は良く見えなかったが、桜色に見えたのはきっと桜吹雪だけのせいではないだろう。
そもそも、急に呼び止めたのに付き合ってくれるんだ。下手に勘繰りを入れるのも忍びない。
僕はいや、ごめんなんて言いながら、それ以上何の言及もすることなく、急くように動き出していた。
「……」
そうして僕と美夜はあれから一言も発っさないまま舞姫橋を渡りプレミアム・アウトモールの隣を通りすぎ、早駅前に到達しようとしていた。
向かうは風吹駅北口方面。僕の住むアパート、そして美夜の家がある。その間は徒歩3分の距離と近く、それ故こうして一緒に帰るなんていう芸方が取れた訳である。
時折ちらと隣を見ようと試みたが恥ずかしいのか怖いのかどうしても見れず、美夜が道中どんな顔をしていたのかは分からない。
けれど、小言の一つも言われなったと考えると機嫌も悪くはなかったのだろう。それにそう考える度にあのときの照れた美夜の顔が思い浮かび、我ながら僕も照れていたのかも知れなかった。
そうして何か言わなきゃとは思いながらもなにも言えずにゆっくりとだが着実に歩を揃えていると、不意に美夜の方から話しかけてきてくれた。
「あのときのことなんだけどさ……」
こちらを見ることも名指しをすることもなく、しかして明らかに僕へと向けられた言葉。
そして僕の返事を待つことなく、美夜は滔々と言葉を繋げていく。
「今考えると、あたしどうかしてたよね。九鬼くんのきっと冗談にも満たない言葉を勝手に真に受けて勝手に勘違いして勝手に解釈して。それで、勝手に宥めてくれたあんたにキツく当たって。あんたがどう感じたか分からんないけど、きっとウザかったと思う。きっと腹が立ったと思う。きっとキモかったと思う。だって、今ならあたしもそう思うから。だから、あのときのあたしは本当のあたしじゃない。本当のあたしは、あんなんじゃない。あんなのな訳がない。だって、あんたも知ってる通り、あたしはあのあたしを捨てたんだから。だから、きっと今もムカついてるかもしれないムカついてるに違いないと思うけど、お願いだから忘れてほしい、あの、私をーー」
美夜は今何を考えてどう思ってこの自分を卑下に卑下して卑下卑下した言葉を言っているのか、やっぱり僕には分からないし、きっと美夜以外の誰にも分かりはしないのだろう。
だって、それが人の心というものなのだから。周りから分からないからこその、その人個人の心なのだから。
でも、確かに僕には、分かることがあった。
横から見える、美夜の仄かに色付いた頬から、微風に軽く揺れる髪から、微かに震える唇から、そして、僅かに湿り行く瞳から、確かに確実に確固たる確信できることがあったんだ。
「……忘れることなんて出来ないよ」
「え……」
「忘れることなんてどうしても出来ないよ。ーーだって、あのときのあの美夜が、ホントにホントの美夜なんだから」
僕は小さいながらも強い意志のもとに声を震い出す。
自然手には力が入り、拳はギュッと握られる。
歩くのも止まり、歩道の真ん中で二人佇む形になる。待ち行く人達からは好奇か何かは知らないが視線を感じ、平時の僕なら恥ずかしくて仕方がない状況だろう。
だけど、僕は、いや、僕と美夜は、そんなことなど全く気にもせず、ただ互いの口から発せられる言葉にだけ、意識を集中させていた。
「ハ、ハア!? 何言ってんの!? そ、そんな訳ないじゃん。今のあたしがホントのあたしで、これがあたしの真の姿なの。あ、あのあたしがホントのあたしなんて……そんなの……意味分かんないよ」
「なら何で、そんなに声が震えてんだよ」
「……ッ!」
「なら何で、そんなに辛そうな顔してんだよ」
「……」
何も答えず、ただ黙って再び歩き始める美夜。一瞬、これで終わるのかと諦めてしまいそうになる。
でも、その背中からは、僕を呼んでる声が聞こえてきた。それこそ美夜のじゃないけれど、確かに美夜のものである声が。
僕は黙って美夜の隣に並び、美夜からの言葉を待つ。答えなんかじゃなく、美夜の思い、美夜の気持ちを、教えてほしいと切に願って。
すると、美夜が大学を出てから初めて僕の顔を見据えて口を開いた。
「どうして……どうしてあんたはあのあたしがホントのあたしだって言うの? どうしてそんなに強い目で言えるの?」
その瞳は潤み、睫毛は儚く震えている。口だって何か言いたげに開きかけてはまたキュッときつくつぐまれる。
それが美夜からの魂の訴えだと気付いたときには、僕の口からは知らず止めようもない言葉が溢れ出していた。
「どうしてって、僕だぞ。小学校の頃からお前と付き合ってきた巫女神大翔だぞ。どれだけお前の隣にいたと思ってる。どれだけお前を側近くで見てきたと思ってる。分からない訳がないだろう。分からない訳がないじゃないか。だから、自分を卑下するようなこと言うなよな。泣いてるお前を見てると、こっちまで悲しくなってくるだろ」
「大翔……」
美夜は聞きながら口を抑え下を俯く。肩を震わせ嗚咽を漏らし、美夜の顔からはキラリと光る水滴が零れ落ちる。美夜は泣いているようだった。
だから泣くなって言った側から泣くなよな。ホントに悲しくなってきただろ!
それでも、涙を流したってことは心に響いたってことで、心に響いたってことは僕の言葉を受け入れてくれたってことだ。
つまり、僕の感じたことは間違ってなかったって訳だ。そう思うと、悲しさと嬉しさとで本当に泣きそうになってしまう。
やっぱり歳は取りたくないものだなぁと年甲斐もなく感じ入っていると、袖がくいくいと弱々しくも可愛らしく引かれていることに気付く。
何かしらと左に目を向けると、顔は俯いたまま美夜が僕の袖を掴んでいた。
その様は実に幼く大学生になってまでと普段なら思ってしまうところだが、今ばかりは違った。
不意に上げられる顔には涙の跡がひっそりと残り頬は微かに上気している。瞳には未だに潤いが残り、それに反射して自分の顔まで見えそうなほどであった。
そしてそんな上目遣い状態の美夜から放たれる弱々しい一言。
「……ズルいよ」
か、かわっ……ウォッホン。
まあ、これに落ちない男はいないでしょう。例の如く、僕も落ちかけましたし。もはや落ちている最中までありますし。だからまあ、こうして落ち着いていられる訳ですし。落ちて着地した訳ですし。
きっと耳まで真っ赤になっているだろうとの推測のもと僕は深呼吸をして呼吸を落ち着かせる。
胸の動悸がドーキドキと収まらないが、どうにか落ち着け! 僕! と言い聞かせてぐっと息を飲み込む。
そうして少しは赤から桃色になったかなくらいのところで、誤魔化すようにンンンッと大仰に咳払いをする。
「まあ、これで美夜も気がすんだだろうし、それにそろそろ家にも近くなってきた訳だし、ここら辺で解散しようか」
見回せば、もう数分かしたらどちらともの家に着くという距離まで来ており、目の前には毎日渡っている横断歩道が。
幼馴染みの美夜とは言え女子と一緒に歩いているのが妙に気恥ずかしかった僕は、偶然にも信号の色が赤から青に変わるタイミングでそう提案していた。
だから言い終わると共に横断歩道へ一歩踏み出そうとする。
これが交通ルールに従っての行動かその場から一刻も早く立ち去りたかったが故の行動かは自分でも定かでなかったが、それでも僕はその場から動こうとしていた訳だ。
しかし、僕の右足が横断歩道の白線を踏むことはなかった。
「待って!」
「……ッ!」
美夜の必死の声が聞こえてきたのだ。思わず動きが止まり、右足もさっと歩道内に戻される。
途端信号が赤に変わり、これで否が応でも前に進むことは出来なくなった訳だ。
僕は不思議と焦る気持ちを落ち着かせ、小さく息を吐くようにゆっくりと後ろを振り返った。
「……まだ、あんたに聞きたいことがあるの」
僕が目線を併せる間もなく、美夜は震えるような声を絞り出す。
そこからは嫌でも何か覚悟のいることを聞く気なのだろうと想像できてしまい、自然と身体に力が入るのを感じる。
それはまるで、好きな子から告白をされるかのような、もしくは裁判長から死刑判決を下されるかのような、得も言えないエモくもない独特な緊張感であった。
そして口が乾いて開けられなかった僕の沈黙を無言の了承と受け取ったらしい美夜は、決心したように一つ頷くと僕の目を見つめてこう聞いてきた。
「大翔、あんた、あたしのこと好き……?」
一語一語ゆっくりと、しかして丁寧に発音される言葉。不安な気持ちと淡く期待を抱くような気持ち。その両方がごちゃ混ぜになった、美夜なりの勇気の込められた問い。
これには僕も、なんか言った? なんて往年の鈍感主人公ばりの逃げ口をかませるはずもなく、もはやかます必要さえもなく、確と耳を通して脳に刻み込まれた。
「僕は……」
そうして即座に浮かんだ返答を言いかけ、僕は途中で口ごもる。
これを言ってはいけない。口に出してはいけない。口に出すときではない。そう感じたのだ。明明白白に。明明瞭瞭に。鮮鮮明明に。
だから、いや、だからという接続後も使えないほどに、咄嗟にその間を埋めたのは自分でも予期していない誰も望まぬ回答だった。
「君には言えないよ」
僕が本当に言いたかった伝えたかったのはこんなことではなく、美夜が知りたかったこともこんなことのはずがない。僕も望まず、美夜さえも望んでいたはずはない。
そんな考えうる限り最低最悪の言葉を、答えを、残酷な宣告を、僕は美夜に言い放っていたのだ。それも、自分でも分かるくらいに、悲しみと苦しみに満ちた顔で。
「そ、う……。そ、そうだよね、あたしになんか言えないよね」
目の前で佇む美夜は、初め僕の言葉を耳にし僕の顔を目にすると激しく動揺し、狼狽し、茫然になりかける。
苦虫を噛み潰したような顔になり、唇はきつく噛み締められ血が滲んで見える。
拳は目一杯握られ、堪えるように全身に力が入れられるのも一目で分かった。
美夜は、どうしようもないほどの恐怖と後悔と無念と嫌悪と羞恥と罪悪感と苦しみと哀しみと怒りと絶望と憎悪とその他諸々のネガティブ感情に一瞬で襲われ、自分でもどうしようもないほどに脳内をかき混ぜられ混ぜっ返され再びごちゃ混ぜにされているのだ。これがショック以外の何者であろうはずがない。
にも関わらず、美夜が最後に放ったのは僕への祝福で、最後に浮かべたのは明るい笑顔であった。それが例え懸命に取り繕ったものだとしても、誰もが文句を言えない一級品の修繕品であった。
「そっか。大翔にももう好きな人がいるんだね。そっか。きっとあたしなんかより良い女の子なんだろうね」
僕はその笑顔があまりにも美しく、それでいてあまりにも儚かったため、言葉も出さずただ美夜を見つめることしか出来ない。
本当は否定したい。謝りたい。ホントに言いたかったことは別にあると言いたい。けれども、春の澄んだ空に写し出される美夜の笑顔があまりにも綺麗すぎて、加えて一抹の不吉さをも感じさせて、僕は美夜との距離が少しずつ酷く遠くなっていくような感覚に襲われていたのだ。
すると運命の皮肉か信号がいつの間にか青に変わり、美夜はこれを確認すると笑顔のまますっと前を向く。
「大翔。あたしのことなんて忘れて、どうか幸せになって。あたしはあんたをいつまでも応援してるから。だからあんただけは、絶対幸せになってね」
そしてその言葉を残し、美夜は後ろを振り返ることなく一歩を踏み出した。
白線を踏んでは跨ぎ、黒線を跨いでは踏む。そうして美夜はどんどん僕から離れていく。
と次の瞬間、けたたましいほどのブレーキ音が響き渡り、鋭く鼓膜に刺さりつける。
何があったかと顔を向けたその先には赤信号を無視して横断歩道に突っ込む大型トラックが。そのトラックの先にはこの喧騒が聞こえていないのか何も知らずに横断歩道を渡り続ける美夜の姿が。
「美夜、危ないッ!」
そう叫ぶのと同時に、咄嗟に僕の身体は美夜の方へ横断歩道の方へとつき動いていた。
一秒にも満たない刹那。
美夜の身体に届いたか届かなかったか。それも分からぬまま僕の身体に物凄い衝撃が加えられ、どこからかグシャリと生々しい音が聞こえてくる。
そして背中にもう一度衝撃を感じ目を開くと、横断歩道から数メートル離れたところに投げ飛ばされていた。
「美夜……。美、夜……」
全身から痛みが発し、身体は全く言うことを聞かず、声さえも満足に出せない。ただ目だけが視界だけがその役割を全うしてくれるだけだ。
ふと顔元に、スマホが転がっているのが目に入った。画面はバキバキに割れカバーも傷だらけになっているが、間違いなく僕のものだ。
するとブブッと振動が来たかと思うと、メッセージ着信の画面と共にメッセージ内容の一部が表示された。
『そう言えばこの前神薙もお前と似た感じの夢を見たって言ってたけどどーー』
「どう、いう……」
意味も分からないままに僕はスマホから目を離し、横断歩道の方を見る。
段々と視界が狭くなっていき、目に写る画像もボヤけてモノクロ画像のようになっていく。
そんな中、横断歩道近くで止まっているトラックとその側で血を流して倒れている美夜が飛び込んでくる。
辺り一面赤一色。それも、黒く濁った生々しいにもほどがある赤。
もはや痛みさえも分からず、僕は陰り続ける視界の中でただずっと美夜を見つめていた。今の僕には彼女を助けられないと知り、歯軋りするほど悔しさに身を飲まれながら。
そして事故現場を目撃して駆けつけてくる人達の騒ぎを耳にしたのを最後に、僕の意識は完全に失われた。
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