(2)
02
「ホント、どうなってるんだ……」
両膝に手を突き、肩で息をしながら灯夜は途方に暮れていた。
――今しがた辿り着いた商店街も、やはり氷に覆われ尽くしていた。
無数の氷柱を下げた店の軒先の屋根。敷き詰められた石のタイルは氷の上に被さる雪と霜でほとんど見えなくなっていて、入口付近にあった薬局のマスコット像は倒れたまま氷漬けになっていた。
息を整え、頬に張り付く汗を手で拭う。
……数時間ほど、彼は街中を走り回っていた。
理由は簡単だった。嘘のように静かな街を見て、まず初めに抱いた不安、予感。
それを何としてでも否定したくて、探して、走り回っていた。
……もっとも、行動自体はその不安が事実だという事を裏付ける結果に終わってしまったが。
「どうして、
――町の住人は、全員忽然と消え失せていた。
※
茫然としたまま街を数分歩けば、街中に人気がないどころか、自分以外に人の姿が全く見当たらない事にはすぐに気付いた。
住宅地、オフィス街。街の隅々まで自分以外の誰かを探し回り――結局、誰一人として見つかりはしなかった。
この異常事態を理由にどこかにまとめて避難した、というのも考えづらかった。そういった痕跡が街中に全くないのだ。大通りにさえ、足跡一つ見つからなかった。
まるで魔法にかけられたように、鳥や犬猫も含めて全員いきなり消えてしまった。
そんな感覚だ。
頭に手を当て、考える。
「クソ……なんでだ。なんでなんだ……?」
――額に触れる冷え切った指先の感覚は痛いほどに鮮明で、これが夢や幻ではないと改めて確信させられる。
だからこそ余計に分からなかった。街が凍り付いている事。人がいなくなっている事。そして凍り付いた街の中、何故か駅でたった一人、眠っていた自分の事――これが現実だというのなら、現実の方が下手な悪夢よりも質が悪いではないか。
「……」
しかしいくら思考を巡らせど、こんな不可解な現象への回答が出るはずもなく。
肩を落としながら、近くにあったバス停のベンチに腰掛ける。
“……他のところはどうなっているんだ。やっぱり同じように凍って、そして人がいなくなっているのか”
「父さん、母さん……マチは、無事だろうか」
厚い雲に覆われた空を見上げて、離れた街で暮らす両親と妹の顔を思い浮かべる。
……そもそも、この凍結した景色はどこまで続いているのだろう。
住宅地へ行った際、灯夜は防寒着を取りにアパートの自室に立ち寄って水道や電気やガス、そして電話やインターネットが使えるのかを確認していた。
最低限ネットだけでも使えれば事態の把握が出来る、と思っていたが……結果、全て使えなかった。
だからこの災害、と言い表すべきなのかどうかも分からないこの状況の原因が何なのかも、災害の規模がどれくらいかも未だに灯夜には分からない。
「今、何時だ……」
ふと気になり、スマートフォンで時刻を確認する。
右上のデジタル時計は、午後六時半を示していた。
「……。え?」
見間違いを疑ったが、目をこすっても画面上の数字は変わらない。
立ち上がり、もう一度空を見上げる。
……全く変わらない曇天だった。そしてこの明るさは、太陽が昇っていなければ有り得ないが――それは、どう考えてもおかしいのだ。
「六時半って、この時期ならもうとっくに日が落ちてるだろ……!?」
――頭痛。
「ぐ、ぁ……!?」
頭を抑える。
……駅に居た時、風で吹き飛ばされて柱に叩きつけられた時、頭を打ったせいだろうか。先ほどから不規則に頭部を襲う激痛が収まるのを待ってから、灯夜は考える。
“分からない事だらけだ。人がいない、そして電話もネットも使えないんじゃ……どうしようもない”
そして……一人は、怖い。
たった数時間、されど数時間。灯夜の心は孤独感に苛まれ続け、確実に疲弊していた。周囲を漂う冷気とは別種の寒気が、背筋を這いまわるような。
家族や友人たちは無事なのか。会いたい、話したい。
……いや、この際誰でもいいのだ。
誰かと会って、少しでもこの不安を和らげたい。
「隣町へ行こう……誰か、いるかもしれない」
一縷の望みを託し、遠方にそびえる小高い山を見る。
山肌を樹氷に覆われたその向こう側には、街がある。
※
「……やっと半分、か」
凍った草むらに腰を下ろし、一息吐いていた。
五分ほどそうしていただろうか。伸びをしながら立ち上がった灯夜は背負ったリュックサックを揺らして肩ひもの位置を直しながら、山の麓に広がる隣町を見下ろした。
灯夜の住む街と同様に氷漬けではあるようだが、まだ遠めにしか様子が確認できないため、人がいないかどうかはまだ分からない。
“頼むから誰かいてくれよ……”
祈るように願いながら、また歩き出す。
――あれから一時間ほどが経過していた。
灯夜は隣町へ向かい、凍り付いた山の表面を走る曲がりくねった県道を歩いて、山の頂上まで辿り着いていた。
「しかし、何が役に立つかなんて分かんないもんだ……」
リュックサックの中には乾パンや懐中電灯などの防災用品と、冷蔵庫の中に余っていた食料品や飲料水が入っている。
灯夜はあらかじめ、災害時に備えてそういうものを入れた防災セットのようなものを用意していた。
……大学に合格してから一人暮らしを始めると決まった時、母親に口酸っぱく言われて渋々そろえておいたものだった。
とはいえ今の今まで使い時などはなく、保存食の消費期限の確認もロクにせずにクローゼットの奥に放置していたのだが。
“まさかこういう状況で使う事になるとは思ってなかったけど……”
厚い氷が張って滑りやすい道路を、ガードレールを手すり代わりにして慎重に進む。
「下り坂で転んだら、それこそ大怪我だ……っと、!?」
踵を乗せた氷の出っ張りが欠け、バランスが崩れる。
転ぶことこそしなかったものの、尻餅をついた拍子にリュックサック脇のポケットに入れていた懐中電灯がぽろりと落ち、下り坂を転がっていった。
「あ、おいっ! ……冬靴に変えて来れば良かった……!」
防災用グッズを手にしたところで安心しきっていた過去の自分を責める。
そもそも人を探して街中を駆け回っていた時だって、氷で何度か転んだりもしていたはずなのに。
とはいえ今更家まで戻る気にもならない。道路のUターンするように湾曲した平らな場所で止まった懐中電灯を拾いに、少し早足になって、けれど慎重に斜面を下る。
“……とはいえ、この様子じゃ懐中電灯が必要になるかどうかも分からないな”
懐中電灯をリュックに戻しながら、スマホで時刻を確認する。
時間は既に午後七時半を過ぎていて、部屋の壁掛け時計などの他の時計と比較し、スマホの時計がズレている訳ではないことも確認している。
つまり今は確実に日が落ちている時間なのだ。
それなのにどんよりとした昼間の曇り空のような空は、先ほど商店街で見上げた時と全く瓜二つで――理由はともかく、この異常事態で全部の時計がズレてしまったというわけでもない限り、夜なのに太陽が昇っている時のように明るいという事になる。
あるいは本当に、夜なのに太陽が昇っているのか。
“そんなのあり得ない、って言ったら街が凍り付くのだってあり得ないからな……”
胸の内がざわつく。
早く隣町へ行こう、と町の方を見た灯夜は、ふと街の一角に視線を留めた。
“何だ、あれ……?”
街の中心付近、ビル街。
かなり遠くに立ち並ぶ無数の氷漬けになったビルの内一棟。その屋上に、ゆらゆらと動く白い布のようなものが見えた。
……角度的に、屋上にあるエアコンの室外機らしき凍ったものに阻まれてよく見えない。
場所を移動しながら、見えやすい位置を探す。
「あ……」
そしてその白い布の正体を見た瞬間、灯夜は思わずそんな声を漏らしていた。
布は旗だった。……シーツだろうか。とにかくそれくらいのサイズの布を巻き付けた棒が、ゆっくりと左右に振られていた。
そして――その旗を持つ少女の姿を見つけた。
「……!」
途端に、疲労の絡みついた手足が一気に軽くなったような感覚がした。
「おーい! ここだー! お――――い!」
両手を大きく振りながら叫ぶ。
繰り返し、この数時間の不安を乗せて叫び続ける。
しかし旗を振っている少女が灯夜に気付いた様子はなかった。
“聞こえないのか、確かにかなり距離はあるけど……!”
「お――――――い!」
更に声を張り上げ、しばらくの間その少女に向かって呼びかけ続けたが――結局その少女はおもむろに旗を振ることをやめると、屋上の扉を開けてビルの中に入っていってしまった。
“……、でも”
「あそこに行けばいいって事だ……!」
目的地は定まった。ビルの位置を記憶しながら、時折転びそうになりながらも斜面を駆け足で進む。
しかしあの少女を発見出来たのは本当に幸運だった。下手をすれば気付かず隣町に着いていたやもしれない、と灯夜は思う。
――ただし。
その不幸中に拾った幸福は、そう長続きしなかった。
「……?」
ビルを横目に急ぎ足で坂を下っていた最中、前方を確認した灯夜はふと十数メートル先にあるそれに気付いた。
「何だ、あれ」
足を止める。
それから少しずつ近付いて、そこで初めてそれが巨大な氷塊であることを理解する。
透き通る、純粋な氷の塊。
サイズは大型の冷蔵庫程度で、細長い楕円形をしている。
それが、道路の中央に横たわっているのだ。
「……、」
余りにも怪しいが、道路の真ん中にどんと置かれたそれを迂回する事は出来ない。
その脇を抜けようと歩き出し、その氷塊との距離が一メートルほどになった時だった。
ぎょろりと、その氷塊がこちらを見た。
「な、ん……!?」
後ろへ大きく飛びずさった。
氷塊の表面に、見間違いでもなんでもなく目玉が浮かび上がっていた。
――いや、違う。
それは、氷塊などではなかったのだ。
「な……」
体を丸めて眠っていたらしきそれが、その場でゆっくりと立ち上がる。
――怪物だった。
その鋭い双眸が、灯夜を見据えて離さない。
「……あ、」
背中になにか硬い感触を覚え、後ろを見る。
無意識のうちに後ろへ何歩も下がっていたらしい。
背負っているリュックをガードレールに押し付けていた。
視線を怪物へ戻す。
目の前に、がばりと大きく開いた顎が迫っていた。
「……え」
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