氷漬けになった世界で超能力に目覚めた人の話
ねなし
始動/ice age (1)
01
一人静かに、気付けば
「……あ」
心地よいものに満たされた場所から、するりと抜け出すように目が覚める。
開いた瞼の向こう側には、ピンボケしたグレーが広がっていた。
……とても長い間寝ていたような、そんな感じがしていた。
“――、”
まどろむ意識、鈍る思考。
その一方で、手足の感覚はすぐに鋭さを取り戻した。
ぼんやりとしたまま仰向けになっている灯夜の全身に、それは素早く襲い掛かった。
「冷っ――た、い、っ!?」
凍てついた冷気。
心地よいまどろみから急転直下、冬の海に投げ込まれたみたいな極寒に耐えられなくなって、たまらず跳ね起きる。
気付くと眠気はすっかり失せていた。
ピントが合い、ぼやけた視界がゆっくりと解消されていく。
「……なんだこれ」
それから、自らを抱くように両の二の腕をさすりながら周りをきょろきょろと見回して、ようやく灯夜は状況を理解した。
――周囲は一面、白い霧に覆われていた。
「何も……、見えない」
自分の体さえ、胸元より下が見えなくなるほどの濃霧だった。足元を見下ろして、思わず自分の旨から下が消えてしまったのかと勘違いしてしまったほどに。
――呼吸と、心臓の鼓動。
それ以外の音が全く聞こえないのというもまた、この状況の不気味さに拍車をかけているようだった。
“…………、”
その場にぺたんと座り込んだまま、茫然。
はっと正気を取り戻したのは十数秒後のことだった。
ぶるぶると頭を横に振って、それから灯夜は恐る恐る自分の頬をつねった。
「いたっ」
夢ならば覚めてくれ、と――そんな思いもあって必要以上に強くつねったが、頬に尾を引くじんじんとした痛みが残っただけだった。
痛みもそうだが、この感覚は明らかに夢ではありえない。
紛れもない、現実だ。
「……ここはどこなんだ。どうして俺はこんな場所に……?」
ぼやきながら辺りをぐるっと――霧しか見えないが――改めて見回した。
それからゆっくりと、思い出す。
“……今朝は、ご飯を食べて身支度を済ませて駅に行って、行って……それで、どうした。そもそもなんで駅に……”
記憶は曖昧で、そしてある時点を境にぷつりと切れている。
“駅に何かをしに行った”。
それを最後に、糸が途切れたように先の事を全く思い出せなかった。
がしがしと頭を掻く。
“今日は休日。出かける用事なんかもなかったはず……”
ぐるぐると考え続け、しかし答えも出ずに思考が煮詰まり始めた時だった。
何か、聞こえた。
「何だ、この音」
蒸気機関車の汽笛。
あるいは獣の遠吠えのような、鼓膜に重く響く音。
“何か、”
直感。
電撃のように背筋を走り抜けたそれに従い、咄嗟に身構えたその瞬間。
“来る、”
轟と唸りを上げて――、
ありえないほど強い突風が、灯夜を襲った。
「ぐ、――づぅっ!?」
さながら強烈な風の壁を叩きつけられたようだった。
数メートル一気に後ろへ吹き飛ばされ、背中から何かにぶつかって停止する。激痛。
そしてその間も、顔の前で交差させた腕の隙間をすり抜けた突風の残滓が顔面に、冷気と共にぶち当たり続けていた。
“息が、出来、な――!?”
顔に吹き付ける風のせいで呼吸が出来ない。
その状態のままじっと耐え続け――。
「――ッは、はぁっ、はぁ……!」
……ようやく風が収まった頃、灯夜は息を荒げてゆっくりと閉じていた目を開けた。
そこで――彼の思考は凍り付く。
「――え、」
……突風の影響か、先ほどまで周囲を覆っていた霧はすっかり吹き散らされて消えている。
そうしてあらわになった周囲の景色を見て、灯夜は静止していた。
「……は」
そこは駅のホームだった。
灯夜が住む街にある小さな駅の、壁のないプラットホーム――その一角。
屋根を支える四角い柱に、灯夜は背中を預けていた。
ゆらりと立ち上がり――さく、という音がした。
足元の霜を踏んだ音だと気付くまで、数秒かかった。
「……どう、なって……?」
ふらふらと、歩き出す。
床から天井まで
――ロータリーへ続く幅広の階段の先。
そこに広がる景色に、眼を見開いた。
「何だよ、これ……」
――
その光景に、息を呑んだ。
地面も建物も、上から透明な絵の具を乱雑に塗りたくられたみたいに凍っていた。
その上にあちこち、雪か、あるいは霜のような白い物が散らばっていて――頭上には、暗い曇天がどこまでも広がっていた。
……今度こそ、夢ではないかと思った。
しかし頬をつねるまでもなかった。
目の前の光景はあまりにリアリティに溢れていて、紛れもなくホンモノだと五感が叫んでいた。
「……何が、起こってるんだ……?」
絞り出した呟きが、嘘みたいに静かな世界に反響する。
抱いた疑問に答えてくれる者は、誰もいない。
――ズキリ、と頭痛がした。
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