第二十九節 使徒の教会

 その後度々、エデッサの王宮で私と魔術師は答弁をしたが、中々決着が着かなかった。しかしながら民衆が戸惑うということはなく、それぞれが魔術師側と私側で割れた。分裂することは私達の本意ではなかったので、例えば過程の中で主張が食い違ってしまった夫婦などの仲裁や、時には説得をすることもあった。私は、それは何だか宣教とは違うような気もしたが、求められたので応じた。そういうことをするために、それぞれの家に赴くことは、酷く疲れた。しかしそのような努力の甲斐も虚しく、エデッサがどちらかに統一されることは無かった。

 国王は私と魔術師の答弁を娯楽のように考えていて、私が民衆に説教をしに行く事は出来ず、必然的に神授しんじゅが宣教をすることになった。頼りない老人だが、それなりに人望はあるらしい。私が答弁でへとへとになって、毎日のように熱を出していると、いつも冷や水を持ってきて、今日はどれくらいの人が話を聞いたのか、そんな話をして元気づけようとしてくれていた。

「そういや神授しんじゅ、お前、何人に洗礼授けたんだ?」

 ある晩、うとうとしながら食後の葡萄酒を飲んでいると、神授しんじゅは少し考えて答えた。

「うーん、おじいちゃん、学がないからわかんないなあ。毎日一人ずつの時もあるし、三日に一度、五人くらいの時もあるし、一週間誰も授けないこともある。」

「ここに来て、もう三月くらいか? まあ、その程度じゃまだそんなもんか。それより神授しんじゅ、ぼく達よりも先に来ていたっていう弟子、見つかんないな。」

「そうだねえ。話を聞きつければ、分かりそうなもんだけどねえ。」

 私はどうしようも無い胸騒ぎを覚えた。何か得体の知れないものが、私達に差し迫っているような気がしたのだ。


 それから半月後。今日から国王が国内の視察に行く事になっていたので、私と魔術師はやっと休む事が出来た。神授しんじゅは私と過ごしたいと言って、その日は宣教にも仕事にも行かなかった。恐らく自分の事も出来ないくらいに疲れている私が、助祭も誰も居ない家に一人でいても、休めないと考えてくれたのだろう。

 夕方になって、夕食の支度をしようとしていたとき、私達より先に来ていたという十人の弟子が集まってやってきた。この一月半、何故現れなかったのか聞こうとも思ったのだが、食事が不味くなると思ったので止めた。彼等にも彼等なりの試練が与えられていた、ただそれだけのことだろうと。

 晩餐に招いたが、家の者に遠慮したのか、彼等は老人の神授しんじゅが一番働いていることを気にも留めなかった。客だから当たり前なのだが、少しくらい手伝っても良いではないか、と思った。寛いでいる私が言うことではないが。

「時に、亜母あおもさま。」

「うん?」

 床に次々と歓迎のご馳走が並べられ、私はそれを寝そべって見ていた。胸に隠すように下げてあるあの木片は、寝そべると身体に食い込むので、出口の傍の机に置いてある。明日の朝、また身につけていく為だ。明日の朝の準備も出来ているから、いつでも食事は始められる。そんなとき、一人の若者がにじり寄って来て尋ねた。

「何故│亜母あおもさまは、先生と戦っているのですか?」

「先生? だれだ、それ。」

亜母あおもさまが魔術師と呼んでいらっしゃる方です。あの方は私達の先生なのです。」

 嫌な予感がした。別の若者もにじり寄って来て言った。

「先生と議論するのは止めて下さい。エデッサのみならず、オスロエネ全てが迷ってしまいます。」

「議論も何も…。あいつが間違ってメシアを宣べ伝えてるなら、メシアの使徒としてそれを正さなきゃならんだろう。」

「先生は間違ってません。亜母あおもさまは、難しい言葉をこねくり回して、議論の体をしてるだけです。あれは国王陛下への見世物です。先生の話を聞く人々が減ってしまいます。」

「………。お前達、あの魔術師の弟子になったのか?」

「弟子ではありません。先生は私達が宣教に迷っているとき、神の使いとして助けてくれたのです。」

 私は絶句した。彼等はメシアの弟子ではなく、魔術師の弟子になっている。それはつまり、神への理解が歪んだと言うことだ。歪んだ『メシア』を伝えようとしている。私が反論しようとすると、神授しんじゅがどっさりと果物が載った皿を持ってきて、中心にでんと置いた。

「ままま、とりあえず今日はこの晩餐を楽しもうじゃないか。難しい話はあとあと! 亜母あおもちゃんは今日は謂わば、安息日だからね。」

「安息日を守ることは確かに大切ですね。神の為に働くのですから。」

どうにも居心地の悪い気分のまま、私は食前の祈りを捧げて、彼等と食事を始めた。私としては、彼等がどういう考えであの軍門に降ってしまったのか、聞きたかったのだが、彼等は何を勘違いしたのか、私に説教を始めた。

亜母あおもさま。私達は、メシアによって新しくされた者です。然るに、私達は旧い身体や習慣を捨て、新しい世界を生きるべきです。その為に私達は、メシアが十字架で死に、墓に葬られ、三日目に復活し、昇天されたことを信じるのです。私達はメシアに仕えることを忘れてはいけません。多くの外国人達は、ユダヤ人達のように古代からの約束を知らないので、彼等に教えなければなりません。それの何を嫌がっているのか、私達には亜母あおもさまが理解できません。彼等は人祖の犯した罪の子孫です。人祖のように神に刃向かい、その子供は悪い影響を受ければ兄弟でさえ殺してしまうかも知れません。しかし私達ならそれを防ぐことが出来るのです。その為の知恵をメシアから戴いたからです。」

「その意味で、この地の人々はあまりにも盲目でしたので、私達はとても苦労しました。私達が助けをメシアに祈ったときに遣わされたのが、先生なのです。メシアに権威を与えられた先生を、どうして亜母あおもさまはそんなにも疎ましくお考えになるのか分かりません。」

亜母あおもさまは、メシアの兄君だと仰いましたが、それは公平な視点を欠いているのではないでしょうか? メシアはただ一人の完全な神。あまりにも人間らしくお過ごしになっている所を見て、メシアの威光を勘違いされているのでは。」

「メシアはお食事を召し上がったとしても、厠には行かなかったでしょう? 神が不浄な所に行くはずがありません。寝る間も惜しんで、人々に道を説いていたはずです。」

「いや、あいつは子供の時からしょっちゅう腹下してたし、弟子どもが嵐に怯えてても船の中で鼾かける図太い奴だったぞ。」

 思わず私が突っ込むと、彼等は火を噴き出すように真っ赤になって怒り出した。

「メシアは赤子のように綺麗で無垢な存在です! なんと言うことを言うのですか!」

 こいつは恐らく赤子を見たことが無いんだろう。

「綺麗な存在は綺麗な言葉で語らなくてはいけません! 自分で出来ないのならそれは聖霊に寄り頼むことを忘れているからです!」

 その二つの言葉が、いやに私によく響いた。私は立ち上がってその二人を蹴り飛ばし、絨毯の上から落として、その首根っこを掴み、扉を彼等の身体で開けさせて、説教してきた四人諸共放り投げた。

「この勘違いクソ弟子が、社会の底辺も知らぬ田舎者!! 二度とこの家に入るんじゃない!! あの魔術師に従いたいのなら、ぼくの前に現れるなッ!!」

 綺麗な、という言葉が、私の逆鱗に触れた。無垢な、という言葉が、私を否定した。

 恥ずかしいことではないので私は何度でも繰り返すが、私は神殿娼婦をしていたことも、身体を使って漱雪しょうせつを慰めたことも恥じてはいない。神殿娼婦という職人で、私は漱雪しょうせつを確かに愛していた。愛していて求められたから与えた。そこに私の肉体や魂を穢すものは何一つ無い。

 私はひこばえの兄として外で働いている時に嗣跟つぐくびすに犯された。その後、ひこばえの弟子として教団にいた時、幾度となく嗣跟つぐくびすに陵辱された。ひこばえがメシアとして復活し、教団が共同体となり、皆が助け合っていた時でさえ、嗣跟つぐくびすは私を組み敷いた。それは明らかに私を穢した行いだし、私の心を切り刻んで、姦淫だと思う。

 しかし彼等は、私は子供の頃から姦通の罪に塗れていて、嗣跟つぐくびすを誘惑したので報いを受けたと罵るのだ。私はひこばえに全て隠していたが、恐らくメシアであったひこばえは、私の物思いを見抜いて居ただろう。にもかかわらず十二人の高弟の一人に私を選び、それでいながら、ひこばえは私が嗣跟つぐくびすに陵辱されるのを止めなかった。その理由を私は考えないようにしていた。

 彼等はその理由を突きつけた。彼等の正義に従い、彼等の義憤に従い、彼等の信仰に従い、私の寄る辺を踏みにじった。

 金切り声を上げて暴れる私を神授しんじゅが抱きしめて落ち着かせようとした。吹き上げる怒りと悲しみで、自分の身体が引き裂かれて、目の前が真っ白になる。耳元で神授しんじゅの声がして、胸元で神授しんじゅの鼓動を感じるのに、何も聞こえない、何も感じられない。真っ白な私の世界に、美しく荘厳なあの二つの言葉が突き刺さっている。

 嗣跟つぐくびすに抱いたことすらないような激しい憎しみが、私を支配していた。私は神授しんじゅを跳ね飛ばし、出入り口の傍に置かれていた木製の斧を手にとって飛び出した。叩き出すだけでは気が済まない。叩き壊さなければ、この怒りから私は救われない。顔が見えない程度には遠くを歩いていた、私に説教をしてきた四人の若者を追いかける。彼等は私の姿に気付くと、悲鳴を上げて散り散りに逃げていった。

悲しいことに、十代二十代の若者を延々と追い回していく事は出来ず。私は悔し紛れに、切り株に斧を突き立てた。切り株から、欠片が飛び散る。斧を振り上げ、降ろし、その度にあの若者達の背中を思い浮かべて、激しく激しく叩きつけた。

亜母あおもさま、亜母あおもさま!」

 私に呼びかける、知らない声。ぎろりと睨み付けると、若者が三人、逃げ去っていったが、その内の一人は、びくびくと怯えながらも私を真っ直ぐに見つめ、その場に跪いた。

亜母あおもさま、どうぞ私の仲間達の無礼をお許し下さい。御身はメシアひこばえさまの兄君。ひこばえさまが人としてお暮らしになった日々を、ひこばえさまが人として我々と交わることを尊んでいたことを、どうして私如き他人が推し量れましょう。弟君を十字架にかけられた苦しみ如何ばかりか。我々には推し量る事も出来ません。しかしながら私一人の背中で、どうか他の臆病な六人をお許し下さい。私達は真剣に神に助けを求めました。その結果、与えられた試練に負けてしまったことを、あの六人は認めたくないのです。お願いします、その切り株には何の罪もございません。どうか、どうか、お願いします。」

 伏して私に赦しを乞うその姿は、あまりにも惨めだった。惨めというのはその若者がではなく、こんな若者を怖がらせ、物に当たった自分が惨めだったのだ。なんと恥ずかしい、なんと自制心のない、なんと手本にならない。私はしゃがみ、若者の頬に手を当てて、上を向かせた。余程私の姿が恐ろしかったのか、一番初めのように私を見ない。私の手に握られている斧から、目が離せないのだろう。

「怖がらせてしまったね。私が悪かった。そのような事は止めて、今日は一緒に晩餐を楽しもうじゃないか。君のことを私はまだ何も知らない。君に赦しを乞うのは私の方だ。こんな異国の地で、神の助けを感じられず心細かっただろう。もっと私達が早くに来て、助けてやれば良かったね。さあ立ちなさい、家に帰ろう。神授しんじゅが、私の友が、料理を作って待ってくれている。」

「………お咎めは、ないのですか?」

「そうだとも。敢えて言うなら、そうだな。君がどうしても罰を望むというのなら、君の名前を私に教えてくれ。」

 若者は暗闇でも分かるほどにぱっと顔を光らせて、元気よく答えた。

「はい! 私は孫生ひこばえと申します。奇しくもメシアと同源の名を戴いておりますが、出身はクレネです。ひこばえさまと同じ名前で呼ぶのはあまりにも恐れ多いので、ひことお呼び下さい。メシアについては、十字架を背負っておられるところを仲間とみていただけですので、没後弟子です。」

「ヒコね。私もメシアが小さな頃や、メシアだと分かっていなかったときは、あの方をそう呼んだものだよ、懐かしい。これも神の導きだろう。宜しく、ひこ。」

 ひこは少し照れくさそうに頬をひっかいて、私に手を差し出した。握手を求めているというよりも、手を取り合って、和解を示して家に戻ろうと言っているのだろう。私はそれに応え、手を繋いで二人で家に戻った。神授しんじゅは家の外で待っていて、灯火を翳していたが、目が悪くなっていたので、私達の腕が届くくらいになるまで気付かなかった。

「あれ? 全部で四人じゃなかった?」

「残りの三人は去って、魔術師の所にでも行ってしまったのでしょう。残ったのは私一人です。」

「ふうむ。まあ、仕方ない。亜母あおもちゃんに失礼なことを言ったのは確かなんだし、怒られて当然なのに逃げてしまうのも仕方が無い。おじいちゃんはよーく分かるよ、彼等の気持ちが。とにかく、走って喉が渇いただろう? 葡萄酒を水でのばして増やしておいたから、晩餐の続きをしよう。」

「ありがたく頂きます。」

 ぺこん、と、ひこは頭を下げた。

 その日の晩餐は、想定していたよりも慎ましやかで、ある意味寂しい晩餐だった。しかし私は、空を裂くような虚しい討論から外れて、メシアの話をすることが出来て、とても気分が楽になった。私は歓びを伝えるためにこの地へ来たのではなかったのか。そんな基本的なことも忘れてしまっていた。

メシアを宣べ伝える者たれば、常に歓びを伝えなければ。メシアは私達に、怯えて服従するためではなく、愛し合って歓びに満ちた人生と死後の為に来たのだから。怒りも悲しみも、メシアは持っていたが、だからといってそれに放縦するのは、やはりいけないことなのだ。

「そういえばひこ、お前、字はかけるのか?」

 薄めた酔えない葡萄酒で腹を満たし、私は天井を仰ぎながら言った。

「はい、ギリシャ語は書けませんが、ヘブライ語なら書けます。練習しました。」

「よし、じゃあ、明日手紙を書こう。ひこに罪はないことは重々、重ねて言っておくけど、やっぱり彼等のような異端児が出るのは良くない。エルサレムに伝えておかなくてはね。」

「今から書きますか?」

「よせよせ。ぼくは暴れすぎて頭がばかになってる。時間は無いけどたっぷりあるんだから、明日の朝にしよう。昼間の暑いうちに書いて、涼しくなったらまた説教に行かなくちゃ。」

 私がそう言ってうとうとし始めると、神授しんじゅが慌てて私を揺り起こして言った。

「手紙もいいけど、亜母あおもちゃん、おじいちゃんは早急に、ここに会堂を建てるべきだと思うんだよ。」

「会堂?」

 二人の声が合わさる。

「うーん、会堂というのは不適切かな。なら、聖なるメシアの為の会堂だから、聖堂でどうだろう。」

「いや、言葉遊びをしているんではないんだよ。」

「でも必要だと思うよ。結局の所、あの魔術師達に若者が惑わされてしまったのは、書も建物もない流浪の宣教師だったからだ。おじいちゃんは乞食だったからね、住まいというものの力がよく分かる。同じ志の者が集まるにしろ集めるにしろ、建物は必要だよ。雨風を凌いで祈りに専念出来る。それが同じ場所であるなら尚のことそうさ。」

「作るったって、神授しんじゅ、この地方の建築なんて、ぼくは知らないぜ。家というものは、ただ建てればいいもんじゃない。」

「それでしたら、廃墟を改築するのはどうでしょうか? 亜母あおもさまが今日いた所は、昔の裁判所なのだそうです。裁判所でしたら声が響くし、適切なのでは。」

「そりゃいいね。国王にかけあって、譲って貰おう。一を直すも十を直すも、手本があるなら問題ない。」

「資金はどうする? 昔取った杵柄、おじいちゃんまた乞食してこようか?」

「いえ、今の国王陛下に掛け合えば、多分殆どタダで譲ってくれますよ。明日手紙を書いたら、仕事に行かずに宮殿に入れて下さい。私が交渉します。こう見えて、行商人だったので、取引は得意なんです。」

 商人、と聞いて、私は何故か澹仰せんごうを思い出した。とにかく明日の予定が決まったので、もう寝ることにした。


 翌朝になって、私はひこに手伝って貰いながら、エルサレムの共同体に向けて手紙を書いた。出来れば、その手紙を回し読みして貰えるように、エルサレムだけの事情ではなく、他の共同体にも分かるように、言葉は慎重に選んだ。もしあの散っていった九人の若者がこちら側に戻ってきても、誰かに敵意を向けられないように、彼等のこともなるべく隠して…と、配慮を続けていたら、あっという間に陽が半分動いてしまった。私は、聖書に書かれていた偽教師が再び現れつつあること、それらについての警告と、励まし。それから最後に彼等のための祈りを書いてもらい、手紙として纏めてもらった。

「でも、意外でした。全能であらせられるメシアのご家族が、字を書けないなんて。」

「そうか? メシアも文字は書けなかったぞ。数字は仕事で使ってたから使えたけど。」

「えー!?」

「あと、よく腹壊してたな。ぼくが夜遅くに教団に戻ると、大体起きてて、なんで起きてるんだって聞いたら、腹が痛いと言ってな。一晩中厠に籠もる羽目になったけど、一人で一晩過ごすのはいやだとか抜かすから、ぼくは用もないのに一緒に厠に入って、一晩中│駄法螺だぼらを吹いたもんさ。」

「ああ、だから夜な夜な、変な声が聞こえてたのか。」

 ひこは豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしていた。

「そりゃ…。まあ、宴会によく行かれたようですし、飲み食いすれば出すものもありましょうが。…意外ですね、人の病は治せるのに、自分の腹痛は治せなかったんですか?」

 私はその物言いに少し眉を潜めた。神授しんじゅは分からなかったようだが、ひこは分かったようで、すみません、と、肩の中に首を埋めた。

「まあ…。今にして思うと、メシアが治しただの何だのって、メシアの権威で治れとも言っていたけど、同時に『貴方の信仰が救った』とも言っていたんだよね。だからメシアを信じている誰かの力が必要な、謂わば奇跡は共同作業だったのかもしれないな。」

「そう言われてみれば、おじいちゃんもめくらだったころ、偉大なラビがおじいちゃんを気にかけてくれたら絶対に見えるようになるって、硬く信じてたなあ。」

「メシアを信じるための奇跡を、メシアを信じていないと体験できないのですか?」

「逆だ、逆。奇跡なんぞがあってもなくても、信じる奴は信じるし、信じない奴は信じないのさ。」

 その後もひこと問答を繰り返したが、結論が出ないまま時間になったので、ひこと一緒に宮殿に行った。


宮殿では魔術師が、今にも討論を開始しようと目をぎらぎらさせていたので、私はつんと澄まして国王にひこを取り次いだ。ひこが巧みな話術で国王と交渉し、見事に廃墟を二棟と、その目の前にある土地を譲り受けて見せた。魔術師はその交渉が終わったら私と答弁するのだろう、と、うずうずしながら私を睨んでいたが、私達が帰ろうとするので、流石に声を上げた。

「おい預言者きどり。今日は尻尾を巻いて逃げるのですか? ここは国王陛下の御前、陛下の前で真贋の分からないものがあってはなりません。陛下は公平な裁き司でなければならないからです。さあお座りなさい、今日は神が罪人の血筋から生まれた事について、教えて下さる約束です。」

 正直、もうこの魔術師と討論する段階は終わったと思っていたので、私は半分だけ振り向いて答えた。

「真贋の分からぬ無価値な者に、国王陛下が大切な資産をお譲りになるとでも? 私達の話が聞きたいのなら、私達の建てる聖なる教会にいらっしゃると良い。私はいつでもそこにいる。」

 ぽかんとしている魔術師が反論する前に、私は早歩きで宮殿を出た。

 国王から貰った廃墟の前に、ずたずたにされた切り株があった。あの夜、私が斧で傷つけた切り株らしい。そういえば、あの斧はどこへ行ったのだろうか。家の中似探しても無いから、神授しんじゅが隠したのかも知れない。私が切り株に近づくと、その傷が、何やらわさわさしているのに気がついた。

 若芽だ。傷口から、新たな命が生まれている。これは吉兆になるだろう。死して傷付けられた切り株に、再び命が芽生えているのだ。私はそれだけで、メシアに励まされているような気がして、素人の神授しんじゅと、ひこの三人だけで、聖堂を作り始めた。


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