第二十四節 若枝の結婚
旅の疲れが癒えてきた頃、私は夜、
「ぼくの前にお座り。」
「はい、先生。」
にこにこして、
「ぼくがお前を拾ってから、もう五年近くなるな。早いものだ。いくつになった?」
「十七です。」
「そうか。出会ったとき十二だったのか。」
「ええ、まあ…。」
えへへ、と、
「言いにくいんだが、
「はい、先生。」
「お前―――生まれついての乞食じゃないな?」
「………。え?」
「本当の乞食というものは、学の無さが言葉に出る。生まれついて二種類の悪霊に取り憑かれていたのは本当だろう。だが、物心つくまで、お前は誰かに育てられたんじゃないか?」
「そんなことは…。」
「本当の乞食なら、乞食に育てられたなら、自分の事を『わたし』と言って、敬語を使うことは出来ない。」
すると
「…
「…? 先生が私を娶ってくれるのではないのですか?」
やっぱりそう来るのか。
「…
「私の本来の身分なんて、もう捨てられた時になくなりました。それに、私は先生のお世話がしたくて、ずっとお側にいたんです。お側において下さい。他の男性の所に嫁いでも、先生のお世話は続けさせて下さい。」
身分がないと本当に思っているからこそ、自分の親代わりの男が命じた結婚に逆らおうとするのだろう。涙声で訴える
「…まだメシアが
「…だって、メシアのお話はわかりにくかったんです。メシアが神だと言うことは分かります。でも私は、神を父とは呼べません。私を乞食に堕とした律法を寄こしたその方を、敬う事なんて出来ない。」
「そうだね、その気持ちはぼくもよく分かるよ。」
「私にとって、メシアよりも先生の方が、慈悲や愛に近い人です。メシアは私の悪霊を雪いでは下さらなかったから。」
「まあ、ぼくに与えられた権能はメシアから来たものだったからこそ、そんなことが出来たわけだけどね。」
「あんまり実感できません。」
「そういうもんだよ。」
そう言ってやると、
「さて、話を戻すけどね、
気持ちが落ち着いたので、窓を閉め、私は再び
「ぼくがお前と結婚させたいのは、ぼくの弟の
「………。へ?」
予想外過ぎたのか、
「お前は、
「…ああ、あの添え木の事ですか?」
「そう。あの子の脚の骨は、どうやら悪霊に奪われたらしくてね。ぼくの弟になった時には、既に添え木をつけて歩いていた。今、助祭の頭が死んで、エルサレム教団は危機に向かっている。
「………。でも、私は、ラビの教えに導かれたのではありません。先生のお世話がしたくて………。本当に、嬉しかったから、驚いたから、先生こそが、奇跡を起こせる人だと思って………。」
「
「―――私は、イスラエルの律法に守られませんでした。だから私も、律法を守りません。いやです。い! や! で! す!」
強調されてしまった。
「じゃあお前は、一生純潔で独身でいるつもりか?」
「もし私の純潔だけが欲しいと仰るのなら、それに従う所存の男性ならいます。」
遠回しにだが、再び求婚されてしまった。
「………。そいつにはぼくも心当たりがある。だが、そいつとだけは、認めるわけにはいかない。」
「…その方には、懸想人がいるのですか?」
「………。まあ、そんなところだ。」
私が肉体を尽くして愛したのは
「…もし、どうしても。」
「?」
「どうしても、そいつの子供を抱きたいなら―――、産むことは出来ないが、育てる方法はある。」
「?」
「変則だが、順序を踏めば、律法に従っているから何の問題も無い。そいつの弟に嫁ぎ、子種を貰って子どもを産み、その子供を兄の養子にして、長男の跡継ぎに据えることだ。」
「!」
「長男には子供を作る能力がない。それは今までの会話で分かるね。」
「………。」
「それでしたら…。ええ、構いません。一人を
「そういうことだ。分かってくれるなら良かった。―――そいつも、出来れば、お前を娶りたかったのは、本当だと思うよ。」
「…ええ、私もそう信じています。」
その後、
婚約の儀を終えた男女は、一月の間一緒に住み、純潔を保ち、結婚の儀において初めて結ばれる。もし結婚の儀まで待てず交わった場合、姦淫の罪で石打になる。況して
余談であるが、父母の話が本当であれば、
閑話休題。エルサレムに着くと、既に地方に散っていた弟子達の大半が戻っていて、
それと同時に、知らない禿げた男が、やたらと遠巻きにされていた。すぐ傍に、大分前に宣教の為にダマスコに行った一員が寄り添っていて、どうやらその禿は孤立しているらしかった。禿に寄り添っていた彼は、私の姿を見ると、ささっと近づいて、頭を下げた。
「
「ああ、久しぶり。元気だったか?」
「はい! どうぞ
「ほお。」
「とても感動しました! それで、その啓示というのは、この彼を癒やし、共同体に迎え入れよということなのでした。」
彼に促され、禿も頭を下げた。
「お初にお目にかかる。俺は
私はその名前を聞いて、露骨に顔をしかめた。しかし私が何を言おうとしているのか読み取り、ダマスコの同志は私を抑え、椅子に登って、大きな声で呼びかけた。
「皆さん! どうぞ私に与えられたメシアの啓示についてお話をさせて下さい。実に素晴らしい、神のご計画の始まりに、私は選ばれたのです! それというのも、ここにいらっしゃる
彼の力強い演説で、その場は圧倒され、
三日ほど経ち、表向きは何も騒ぎがなかったことと、逆に
エルサレムに戻ってからは、日中は私の世話をしている方が多かったが、夜はちゃんと
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