第十四話 不埒なる王妃
しかし私は妾ではない。それに、
風の噂で、カナで行われた婚礼は大成功であるという事を聞いた。なんでもとっておきの特上│
ただ、油断はならない。
子は巣立つものだ。どこへ子が歩いて行くのか、親は感知する必要はないし、干渉する必要もないし、子も結婚の事以外で親を煩わせることもない。私は―――結婚できない身体だから、一人でこうして荒野に生きているだけだ。
「もしもし、もしもし。いますか? 探しに来たんです。」
夕べはやたらと元気だったので、私は夕方起きた。朝食と同じような時間帯と献立で支度をしていると、聞き覚えのある声がした。面倒は
「今いないことにするなら、入り口でずっと待たせて頂きますね。」
「やかましい、ちょっと寝坊してただけだ。入れよ、蝗でも蜜でもないもので良ければ馳走してやるから―――
「良かった、本当に外で野宿することになるかと思いました。」
煮炊きをするための火を強く仰ぐと、煙が窓代わりに掘った穴に吸い込まれていく。一応人の家である自覚はあるのか、足下を探りながら
「お前、
「いや…そうではないけれど、
「なんだ?
「いや、そうでもないんだけれど…。とにかく、今の先生は食べ物を制限されないから、出されたものは全部食べて良いんだ。」
「フーン。まいいや、明日の朝の分はねえから、それ食ったらさっさと帰れよ。」
「それなんだけど、
カラン、と、皿を机に置いて、
「一緒に来ないか、
「断る。ぼくはここの暮らしが気に入っているんでね。」
実際興味はなかった。今更どんなに優れた教師だか預言者だかが来たとしても、私を受け入れてはくれないだろう。生活に困っている訳でもなく、狂おしい愛しさがある訳でもなく、他に生き方も身の振り方もあるのに、私はこの真綿の沼から抜け出そうとしない。実際沼から抜け出した所で、私を受け入れてくれる場所があるとも思えなかった。
「
「ヘー、ソウ。そりゃご立派なことで。」
そんなに高尚なお方なら、私のような者が近づくことも叶うまい。
「ねえ、一緒に行こうよ。」
「嫌だね。ほら、食ったんなら寄こせよ。」
「ああ、ごちそうさま。」
「へえへえ。」
自分の分の煮込みがまだ残っていたが、食欲がなくなった。瓶の傍に自分の煮込みを置いて、清めの瓶の水を掬って皿を洗っていると、
「一人で暮らしてるの? 寝床、結構広くない?」
「ああ、一人暮らしだよ。」
「ちゃんと禊はしてるのかい? なんだか―――凄く、汗臭いね。」
思わず手が止まる。呼吸も止まった。
「
「お前は人の家に勝手に上がり込んでメシまで貰っておきながら、人の家にケチつけんのか。」
「いや、そうじゃなくて…。なんか、その…。変わったなって、思ったから。」
そりゃそうだろう。
「ねえ、なんでそんな暗い顔してるの? 何か悩みでもあるんじゃないの? 教団の誰かと喧嘩でもした? もしかしてアニキと?」
「そんなんじゃねえよ。ただ大人数で過ごしてると―――そう、狂った奴とかさ、あいつらの相手をするのが鬱陶しくなったんだ。」
「………。」
実際あのままあそこにいると、
「………ねえ、やっぱり一緒に、新しい先生の所に行こうよ。」
「くどいな。行かないって言ってんだろ。」
あまりこの話はしない方が良い、何だかそう感じて、私は杯に蓋をし、床が一人分にしては広いことを隠すべく、寝床に大の字になって寝転がった。
「本当は、私は仲間を助けたいんだ。」
「そりゃ、ぼくには力不足だ。それこそお前の兄上にでも頼め、あいつの猪突猛進な行動力は、ぼくも見習えないよ。」
「アニキほど頼りにならない男はいないよ。…いや、そうじゃなくて、最近│
「そりゃ、王妃殿下にあられましては、今度は役不足なお話で。王妃って、あの売女だろ? そりゃ
「
「ハイ、ハイ、分かった、分かった! お前が高尚な事をお考えなのはよーっく分かった! 分かったから、もう帰ってくれ。ぼくは何度も言うけど、もう教団に未練はないんだ。明日は早く起きて色々やることがあるから、無駄話するなら帰ってくれ!」
「………。」
尚も
「分かったよ…。今日は帰るね。」
「いや、もう来るなよ。ちゃんと新しい先生の所で修行しな。」
「…今に
「安心しな、あそこに戻るつもりは、もうないよ。」
生活の糧でもないのに、
「あ、そうだ。もし気が変わったら―――。」
やかましい、と、怒鳴ろうとして身体を持ち上げたが、続いた言葉に思わず凍り付いた。
「ナザレの
「………。」
「じゃあ、またね。」
なら、一層私はここから出る訳にはいかない。もし
否、だからこそ、これからは自分の時代だといったのだろうか。穢れの家に生まれた、父親の知れない子として生まれついた自分が、民衆を導けると? そのような時代を作るとでも? 馬鹿なことを、私のような子を産ませられないようになった男ならともかく、あの子にはまだ嫁いで来る娘がどこかにいるはずなのだ。ということはつまり、
「………。ダメだ。」
ダメだ。ダメだ。そんなのはダメだ。
私がいてはいけない。私の罪が、
だが自ずから、私が私を殺すことはあってはならない。であれば如何とするか―――もし私がいなくなった後、
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