第五話 穢れた子供

 エルサレム神殿は、今は祭りの期間ではないとあっても、凄い人が集まっていた。同じ神殿でも、エジプトの神殿とは大分違う。エジプトの神殿は、神殿で暮らす娼婦しか居なかったが、エルサレム神殿はどちらかというと神殿の周りに住んでいる娼婦が多い。生贄を買うための店、外国からの金を取り替える両替商、占い師、そして娼婦に乞食に病人。様々な種類の人間が、ごった煮になっていた。私は目がくるくる回るような気分になった。

「凄い人ですね、お父さん。」

「ああ、今日は多いな。だが過越祭すぎこしさいの時はもっと凄いぞ。」

「ええと…。えっと、えっと、エジプトから出たときのお祭りですね。」

「そうそう。」

 そんなことを話していると、父の顔が強張った。何ぞと周囲を見渡すと、少年と、私より少し小さい子供を連れた青年が、近づいてきていた。何とも言えない威圧感を感じ、私は父の後ろに隠れた。

「お久しぶりです、大兄さん。」

漱雪しょうせつ、酷いじゃないか、跡継ぎの兄さんに黙って何時の間にかいなくなって、もう四年か? 今更何しに来たんだ。」

「エジプトでの用事が済んだので、戻ってきたのです。」

「…それで、そのお前に隠れている子供はなんだ? エジプト人の召使いか?」

「いいえ、息子です。エジプトで引き取ったんです。正真正銘のイスラエル人の子供ですよ、言っておきますけど。」

「フーン、まあいいや。安息年にお前が帰ってきたのも、何かの導きだろう。神殿で穢れを落としたら、ベトサイダの俺の家に来てくれ。お前に渡したいものがあるんだ。」

「…分かりました。では、妻と息子達を連れているので、今はここで。」

 失礼、と、父が頭を下げ、私と母と、母に抱かれたひこばえを隠すように手を引いた。母が微笑みかけた時、その男は母にこう言った。

「売女め、流れれば良かったものを、生き延びおって。」

 それでも母は、その微笑みを崩さなかった。父が何も言わないので、私も何も言わなかった。

 神殿の仕来りは窮屈で、入れる場所までもが決まっていた。母からひこばえを受け取り、私達は奥の方へ進み、父の真似をして生贄を捧げた。祭司達が偉そうなのはどこも同じらしい。エジプトとは違う、大きな独特の帽子を被った祭司達にぺこぺこと頭を下げて、嫌みったらしい説教を聞き終わると、父は疲れたように溜息をついた。

 母の所へ戻ろうとしたとき、ひこばえが私の背中から降りて、げっそりとした父の顔を呼び、頬をぺたぺたと揉んだ。

「おとちゃ、だいじょぶ。かみしゃまは、おとちゃがだいしゅきだから。」

「………。うん、そうだね。ひこばえが言うなら、きっとそうだよ。」

「うんっ!」

 ひこばえがあまりに嬉しそうに笑うので、私はきょとんとしてしまった。こんな窮屈な神殿の、どこがそんなに居心地がいいのだろう。

 その日のうちに、私達はナザレに帰ることが出来た。母の実家が管理していたという手狭な、しかしそこそこ綺麗に保たれている民家に入ると、私はイスラエルを出たときのことを思い出し、思わず涙を流してしまった。父がせかせかと荷ほどきをしている間、母はひこばえと一緒に私を挟んで、一緒に床に入ってくれた。ひこばえも鼻歌を歌い、私を労ってくれたので、その日はゆっくりと眠ることが出来た。


 翌朝、起きたとき、父は自治体に挨拶をし終わり、帰ってきたところだった。昼間の日の照っている時にベトサイダまで行かないと、着くのが夜になってしまい、夕飯を向こうで食べなくてはいけなくなると言って、父は私を連れてナザレを発った。道中、父は私の手をずっと繋いでいてくれた。母もひこばえも居らず、父は取るに足らない会話を私と楽しんでいるようだった。もしかしたら、引き取られてから久しぶりに、『漱雪しょうせつ』と会話をしたかもしれない。父はよく笑ったし、私もそれを見て笑った。

 しかしそれも、ベトサイダに入るまでだった。その時は既に中天から少し日がズレていたが、外は暑く、負い目のある者達が、部外者の私達をじろじろと見ていた。ベトサイダで一番大きな豪邸―――の、傍にある、それよりも少し小さな豪邸の前まで来ると、父は一度大きく深呼吸をして、戸を叩いた。直ぐに召使いが戸を開いて招き入れる。

「おや、漱雪しょうせつさん、その若君は?」

「引き取った息子でね。今日、大兄さんが話があるというから、連れてきたんだ。この子はぼくの長男だから。」

「ああ、そうですか。旦那様は大旦那様の部屋にいらっしゃいます。足を拭いてしまいますね、では失礼。」

 召使いは跪き、入り口の瓶で濡らした布で父と私の足を拭いた。いつも私が拭く立場だったので、なんだか変な感じがする。父の掌は冷たく湿っていて、酷く緊張しているのが伝わってきて、私は身を摘ままれる思いで父の掌を握り返した。

 案内されてやってきた部屋に入ると、神殿で出会ったあの威圧感のある男と、ころころと転がされている子供が五人。まだ幼く、ひこばえよりも小さい。それと、一番良い着物を着た男が別にいた。

「大兄さん、それから―――ええと、どうして、貴方がいるのでしょうか、礼物あやものさん。カペナウムの方は今年も豊漁でしょうから、お忙しいでしょうに。」

 礼物あやものと呼ばれた、一番良い着物を着た男は、何も言わず、座るように促した。

「ご子息やご息女方はお元気でいらっしゃいますか。」

「ああ、良く育っている。初子ういごは去年、エルサレムに詣でたばかりだ。下の子も、お前の倅の馴染みとして一緒に遊んでやれるだろう。―――ところで私も聞きたいのだが、その子供は召し使いかね。」

「いいえ、息子です。エジプトにいるときに引き取りました、イスラエル人の子供です。」

「確かに大きな鼻を持っているが、純血のイスラエル人であるのだろうな。」

「勿論です。」

「………。まあ良い、お前は末っ子だしな。さて、今日呼んだ理由なのだが、そこにそれ、子供が転がっていよう。」

「はあ、この子達は私達がエジプトに行っている時にお生まれになったのでしょうか。大きい子もいるようですが。」

 すると礼物あやものは、露骨に顔をしかめた。

「この子供どもの親のことは考えるでない。だが一応、名前はある。お前から見て右側から、きびすそそぐけいきんかずまさだ。」

「は、はあ…。」

 随分と安直な名前だな、と思った。

きびすそそぐけいきんは男、かずまさが女だ。」

「は、はあ。」

「これらの子供を、お前の息子と娘として育ててほしい。」

「………。一度にですか?」

「一度に。」

「………。訳を聞いても? 私は一族の贖宥者ゴエルではないのですが。」

「如何にも、我が一族の贖宥者ゴエルは私だ。だから一族の者達から、彼等を引き取ったのだ。しかしそれはそうとして、我が家にはもう、十二人の娘息子がいるし、娘達はまだ皆処女で、婚姻していない。だからお前に任せるのだよ。」

「引き取った? こんなに沢山の子が、一度に孤児に?」

「それは家に帰ったあと、お前がこの子らを裸にして確かめるがいい。」

「………。はい、大兄さん。でも、まだ皆子供で、よちよち歩きはおろか、首も据わっていない子も居るようです。馬には乗せられません。車かなにか、貸して下さい。」

「荷車でいいなら、すぐに用意出来るが。」

 すると、その場にいた何人かが笑いを堪える声がした。

「構いません。『一度に』とのご命令なので、『一度に』連れて帰ります。」

 しかし父がきっぱりとそう言うと、その声も無くなった。顔も禄に見せられていなかったが、恐らく見ても見なくても、父は同じことを言っただろう。

瞻仰せんぎょう、歩けそうな子は、手を引いておやり。」

「はい、お父さん。」

 そう答えると、大兄は鼻で笑い飛ばした。

「計算が合わないんじゃないか、漱雪しょうせつ。お前の初子ういごは、今年四歳であろう。その子はどう見ても、六歳は越えているぞ。」

「はい、そうですよ。この間七歳になりました。先ほども礼物あやものさんに言ったように、この子はエジプトで引き取ってきた子なので。」

「本当にイスラエル民族の出か? お前は家督から最も遠い弟だが、大王の系譜たる者として、きちんとした息子に跡を継がせて貰わなければ困るぞ。お前の妻の不貞は、このベトサイダでさえ知っている。」

海女うなめのことを仰っているのでしたら、それは大変な間違いです、大兄さん。妻は、神の子を身ごもったのです。神がそうなれとお命じになり、妻はそれを受け入れた。だからひこばえが生まれたのです。」

「…まあ良い、どうせあの女が死ねば、あの娘の姉妹を娶れば良い。穏女やすきめ礼物あやものが娶ったが、ほれ、宝女たからめがいよう。あの娘もそれほどにいい娘じゃ。色っぽくてかなわん。とにかくその時にきちんとした身持ちの、結婚前に妊娠したりしない娘がいれば良いのだ。それを待たずにその子供を長男に据えるということは、どういうことか分かっていような。もしその子供がイスラエル人でなかったなら、お前はエルサレム神殿に詣でることすら出来ず、ナザレに引きこもって貰わねばならぬ。」

「何度も申し上げますが―――。」

「いいです、お父さん。この方達に見せます。」

 父が一方的に侮辱されているのが我慢ならず、私は大伯父と礼物あやものに近づき、腰紐を解いた。

「貴方方が恐れておられるのは、ぼくが本当にイスラエル人の両親の間に生まれた子で、エジプト人という異邦人の血が混ざってないかということでしょう。ぼくはエジプトで暮らしていましたが、生まれはこのイスラエルです。それは―――を見て戴ければ、ご納得戴けるかと。」

 少し脚を広げ、手を添えて彼等の眼前に自分の陰茎を見せた。二人は顔をしかめ、私を罵ろうとしたので、先に畳みかけた。

「どうぞ、必要でしたら触ってお確かめ下さい。ぼくは確かに、生まれてすぐに割礼を受けた、イスラエル人です。四つの時に人買いによってエジプトに渡り、エジプト人に仕えていましたが、ただそれだけのことであって、私はギリシャ人でもエジプト人でもありません。父が長男としてぼくを引き取ったことは、愚かでも何でもありません。寧ろエジプトという異国からぼくを連れ出してくれた、過去の預言者のように、ぼくの父は偉大です。…何を戸惑っておられるのですか? これが見たかったのでしょう? もっとよく近づいてご覧下さい、確かにぼくのおちんちんの先は切り取られています。これは一朝一夕で出来た傷跡ではありません。ぼくは確かに赤ん坊の時に、おちんちんの先を切り取ったのです。」

「わかった、わかった、もうわかった! その醜いものをしまいたまえ! 誰もちんぽを見せろなどと言ってはおらん!」

「いいえ、言外に仰っていました。ですからぼくはお見せしたのです。お分かりになりましたら、これ以上父を侮辱するのは止めて下さい。」

「侮辱だと? 何を勘違いして―――ええい、近づけるな! 近づくな! もう良い、そこの荷物ごとさっさと帰れ!」

「お父さん、この人達はぼくのおちんちんを見てご理解戴けたようです。帰りましょう。」

 まさかこんな時に、男娼時代の度胸が活きるとは思わなかった。私は厠から出てくる時のように腰紐を締め直して、歩けそうな子を立たせ、歩けない子を右腕に抱きかかえた。私がけろっとしているからか、父は少しぽかんとしていたけれど、私が促すと頭を下げて家を出た。

 家の外で召使いの男が持ってきた荷車に子供達を乗せ、私が荷車を引こうとした時だった。

瞻仰せんぎょう。」

「はい、お父さん。」

 パシッ。

「―――いいか、瞻仰せんぎょう。自分を大切にしなさい。男同士といえどもそう簡単に自分の身体を見せるんじゃない。この先同じようなことがあったら、私が教えたイスラエルの歴史を完璧に暗唱して見せて、お前がイスラエル人だということを証明するんだ。いいね? 間違っても、割礼の痕なんて見せるんじゃない。」

「………。はい、わかりました、お父さん。…ごめんなさい。」

「…行こう、ここにはいい人はいない。お前とひこばえの弟妹たちにも何か問題があるらしいし、早く家に帰ろう。海女うなめはきっと四人分しかごはんを作ってないから、なおさら早く帰らないと。」

「はい、お父さん。」

 しかし、帰ろうとしたところで、子供の一人が私達の後に続かないことに気付いた。私より小柄だが、恐らく同じ年くらいだろう。

「あの子は…。」

「たしか、きびすだったか。」

きびす、どうかしたの?」

 きびすは答えない。何かに怯えているようだった。腕に抱いていた赤子を父に抱いて貰い、きびすの顔をこちらに向けさせる。きびすは泣いていた。

「大丈夫だよ、お父さんは怖い人じゃないよ。」

「………。」

 そうじゃない、と、きびすはぷるぷる頭を振った。荷車の中で、既に何人かの子供がぐずりだす。早く帰らないと、と、少し焦り始めていたので、手を引いて強引に連れて行こうとした―――その時、がくん、と、きびすが転んだ。否、転んだのではない。。私はこんな女達を、エジプトで見たことある。父が驚いて目を丸くすると同時に、きびすは目に涙を溜め、地面を抉るように頭をこすりつけた。

「ごめんなさいっ! おいらは、生まれつき足が折れているんです。だから、瓶担ぎも牛追いも、子供の面倒も見ることが出来ないんです。だからお父さんは、お母さんの実家の贖宥者ゴエルである旦那様においらを預けて―――。」

「折れている? 足を怪我したのかい、ちょっと見せてご覧。」

「だ、ダメです! 穢れてしまいます!」

「ぼくは君の父親になるんだよ。父親が子供を見て穢れたりするもんか。そんなことよりお前が今怪我をしていないかのほうが問題だ。」

 父がそういうと、きびすは少し胸がときめいたようだった。おずおずと裾を引っ張って、脚を見せる。

 確かに、驚く脚だった。手足が折れると、骨が着くまで添え木をするが、どうやら先ほど歩き出そうとしたとき、添え木が折れてしまったようだった。それで、骨が一本なくなって、立てなくなったのだ。足というものは、腿は前に曲がり、膝は後ろに曲がり、足首が外側にぐるりと曲がるものだが、きびすの足は、、踝が本来のかかとの位置に来るぐらいに曲がって―――否、捩れていた。触ってみると、ぶよぶよしていて、確かに硬いものが入っている感じがしない。本当に、骨がないのだ。

きびすきびす、泣かなくて良いよ。ぼくは大工だから、家に帰ったら添え木を作り直してあげる。だから今は、ぼくらの家に帰ろう。車にお乗り。瞻仰せんぎょう、手伝いなさい。お前の弟だ。」

「はい、お父さん。」

 それでもきびすは何かに怯えているようだった。肩を掴ませたとき、耳の後ろに痣を見つけた。脇腹を持つと、革袋に岩を入れたかのように固い。きびすは眉をひそめ、唇を引き結んでいる。

 嗚呼、そうか。この子もそうなのだ。

 自分で言うのも何だが、きびすはかわいい顔ではない。少なくとも、私がエジプトで見てきた娼婦や男娼たちとは似ても似つかない子供だ。指先は酷く荒れているが、そちらはちゃんと骨が入っているぞと自己主張している。つまりきびすは今まで、禄に物乞いも出来ず、娼婦の真似事も出来ず、食事も貰っていなかったのだ。

「………。お父さん、ぼくはお腹が空きました。でもぼくは兄さんだから、今日ぼくに出来た弟と妹達に、ぼくのおかわりする分をあげるべきですね。」

「んっ?」

 ね? と笑うと、父は私の言葉の意味を汲み取り、ああ、と、答えた。

「そんな必要はないぞ、瞻仰せんぎょう。お前は兄さんだから、きびすそそぐけいきんや、かずまさの分まで、母さんと一緒に作ればいい。そうすれば皆、お腹いっぱいに食べられる。うちには女の子がいないから、長男のお前が手伝うんだよ、瞻仰せんぎょう。」

「今日のごはんはなんですか、お父さん。」

「さあ、それを知るためにも、早く帰らないとね。さあきびす、早く帰らなければならないから、早く車に乗りなさい。」

 父と私が畳みかけるようにきびすに語りかけると、きびすはぽろぽろ泣きながら、か細く答えた。

「………。はい、お父さん。」


 家に帰って、父が母に事の次第を説明している間、私は突如増えた五人の弟妹の身体を調べた。結論から言えば、彼等はその家の恥とされたので、妻について負い目があり、一族から見て好ましくない父の所に寄越されたのだった。

 きびすは、脚を両方持っていたが、先ほども見たように、左足の骨が無かった。触らせて貰って調べてみると、太股の真ん中の辺りまでは、骨があるようだった。きびすは昼間のことで少し心を開いたのか、不自然に左足を持ち上げ、ぶらぶらと脚を振った。踊り子の服の飾りのように脚が揺れ、足は何かとてつもなく大きな貝殻飾りかなにかのようだった。私はそれがあまりにも派手な飾りに見えたので、自分の予備の腰布を足首に巻き付けて飾ってやった。きびすは自分の悍ましいとされていた足が、綺麗に飾られて嬉しかったようで、その布を閃かせるように足を振って、ひこばえを笑わせた。

 そそぐは、そんな風にきびすが芸をしていても、ちっとも足を見なかった。目が真っ白で、目が見えていないのだ。瞼に触れてめくってみると、黒い半月のようなものが、何枚もの白い鱗のようなものに封じ込められているようだった。そそぐのような者を、人はめくらと呼ぶ。ただ、多くのめくらがそうであるように、耳も指先も繊細で、きびすのかかとに触れると、面白そうにいじり倒した。きびすそそぐは、早くも仲良くなれたらしい。

 けいは、目も耳もきちんと聞いているらしかったが、蛙のように左右に広がったのっぺりとした顔つきで、にこにこと笑っているものの、唇は決して開かなかった。「んむ、んむ、」と繰り返すばかりで、私の問いかけにもあまり建設的な言葉は返さない。おしというよりも、何か小物の悪魔に憑かれているようだった。………ただ、幸せそうではある。もし女の子に生まれていたら、忽ち酷い客の屯する娼館に飛ばされても文句も言えないだろう。その意味では、男の子に生まれて良かったと思う。

 きんは、私は酷く謙虚な子供かと思った。というのは、彼がずっと下を向いているからである。しかしそうではなく、よく見ると首の根元が尖っていた。下を向いているのではない、下しか向けないのだ。きちんと立つことも歩くことも、何なら走る事も出来るが、前を向けないので真っ直ぐ歩けない。その所為なのか、額が酷くもっこりと膨らんで腫れていた。家の中に帽子がなかったので、額の所を固くした被り物を用意して貰わなければならないようだった。

 かずは、まだ赤ん坊だった。首が据わっていない赤ん坊。それなのにその肌は硬く荒くがさついていて、少し触れただけでボロリと皮膚の欠片が落ちた。よく見ると全身がそうで、黒々としたほくろは日照りでひび割れた大地のようになっている。そこをつんつんと触ると、またボロリと皮膚が剥がれる。これは普通の服では、服の中が皮膚の欠片でボロボロになってしまうかもしれない。母にそれを相談しようとした時、まさかずのほくろに興味を持ち、次々と肌をはがし始めてしまった。

 まさは、きびすと同じくらいの年齢のようだったが、少し社交性に欠けているらしかった。決してかずを傷付けようとしたわけではないらしい。ただ、彼女は零れた皮膚に強い興味を持ったようで、拾った皮膚の欠片をずっと弄っている。その欠片が壊れて無くなると、もう一度皮膚の欠片を弄りたくて、かずの肌を掻き毟るのだ。かずが痛がって泣き出しても止めない。私が強く言っても止めない。騒ぎを聞きつけた父と母が二人を引きはがすと、まさは火がついたように泣いて、かずの皮膚をむしりたがった。言い聞かせても聞かず、どころか、目を合わせもしない。すわ強力な悪霊に憑かれているのか、と、私がはらはらしていると、ひこばえがよちよちと近づき、にこっと笑いかけた。するとまさは、しゅんと涙を引っ込めて、一人で手遊びを始めた。その時にはもう、皮膚の欠片のことなどちっとも頭に無いようだった。どうやら一つのことに熱中し、そのことだけしか考えられなくなるらしい。いずれにしろ、まさけいも、落ち着いたら穢れた霊を祓って貰わなければならないだろう。


 こうして私は、血の繋がらない、下の世話が未だ出来ない弟の他に、一癖も二癖もある弟妹が一度に五人も出来たのだった。

 彼等は皆、人前に一人では出られなかった。だが誰かが傍に付き添えば、何処にでも歩いて行ける。身持ちの悪い妻、育ちの遅い息子、外国から連れてきた息子………。父を取り巻く家族事情は酷く醜穢しゅうえで、誰もが木陰から石を投げようとするような子供しかいなかった。実際、引き取った五人の子供を家から出さない方が、弟妹たちにとっては幸せだっただろうが、それは蓋のついた井戸の中に溜まる水と同じだ。父は積極的に、私を含めて色々な組み合わせで外に連れ出した。その結果、必ずしも私が付き添わなくてもいいことや、案外近くまでなら一人で行けること、そして兄弟七人の絆も深くなった。

 ただ不思議なことに、父はひこばえにだけは弟妹(きびすまさは兄姉だが)と外に出歩くことを促さなかった。ひこばえはいつでも、よたよたと自分から勝手についてくるばかりだったので、態々二人組にしなくても良かったのかも知れない。ひこばえは、村の者達が自分のきょうだいに白い目を向けていると、どこからか花や小鳥を掌に乗せて持ってきて、彼等の負い目を歓びに変えた。村の者達には理解できない幸せを、ひこばえは確かに持ってきていた。

 その幸せは、何年も続いた。

 ひこばえが十二歳で成人したとき、かずは八歳、けいきんは九歳、そそぐは十一歳、そしてまさきびす、私は十五歳だった。


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