第六話 エルサレム参拝
私達の家族になった翌年、
一方で、私、
私達兄弟の中で、
私は―――有り体に言えば、器用貧乏だった。父に長男として認められたことが嬉しくて、応えようとして賢明に努力したが、どれも中途半端な出来映えで、
ちなみに、
父は職人として厳しく私を育てる他に、大工という自治に関わる者としても私を厳しく育てた。私は職人としては上手く応えられなかったが、自治に関してなら、そこそこに応えられていたと思う。それは、兄弟を纏めるという意味でもそうだった。
「ヒコ兄、ヒコ兄。いよいよ明日だね、エルサレム神殿に行くの。」
夜、
「そうだね、楽しみだな。ボクが赤ちゃんの時に行ったっきりだからね。」
「お土産とか、何があるのかな。」
「あんまり大した物は無いと思うよ。」
「えー、何か持ってきてよ。神殿に落ちてる石ころでもいいから。おらも神殿みてみたいよう。」
「そんなのでいいの? じゃ、神殿の壁から取ってくるよ。」
大工の子あるまじき発言をしたので、私は
「この馬鹿! 神殿を壊す大工がいるか!」
「―――ったァーーい!! うわああん、母ちゃん、にっちゃが叩いたー!!」
「十二にもなって母親を呼ぶな、この
「痛い痛い! にっちゃ痛い!」
「にっちゃじゃない、兄ちゃんだ! いつまで赤ちゃん気取りしてるんだ!」
「ぎゃーん!」
段々苛々してきて、
泣くな。泣くな。泣くな。
子供のように泣くな。女のように泣くな。そんな風に―――初めての女のように、泣くな!!
「何してる
父が起きてきて、逆に私の頬を張った。泣いている
「父ちゃん、いいよ、もういいよ。にっちゃは止めてくれたから、もういいよ。」
「………。いいか、
「はい、お父さん。ごめんなさい。…ヒコもごめん。兄ちゃん、お前が赤ちゃんみたいだったから、明日成人するのにって思って、心配になったんだ。」
「うん、うん。知ってるよ。大丈夫だよ、にっちゃ。」
それでも
翌早朝、まだ太陽も昇りいらない
エルサレム参拝の行列に合流してから、更に歩いて五日ほどかかり、エルサレムに到着した。神殿に着く頃には、
「わあ、わあ! ここが、ここがエルサレムなんだ!」
しかしエルサレムの門を潜ると、
「あ! こら、ヒコ! ―――お父さん、お母さん、
人混みではあったが、
「ヒコ! ヒコ! こら、はしゃぐんじゃない、戻れ!」
何度も呼びかけたが、
「この、馬鹿ヒ―――。」
叱りつけようとして、思わず振り上げた拳を降ろした。
私は気を改めて
「ウフッ、にっちゃ、お祈りしたの?」
「うわっ! 脅かすな! そんなことより、ダメじゃないか!
「えへへ、嬉しかったんだもん。ねえにっちゃ、キビ兄が待ってるなら、パンを貰ってこうよ。」
「買うったって、お金、父さん達に預けたままだよ。」
「違うよにっちゃ、貰うんだよ。」
そう言って、
「こんにちは。」
そう話しかけると、一人がくるっと振り向いた。片目が巨大な疣と吹き出物で見えなくなっている。恐らく、
「おや、どうしたんだい、坊や。こんな穢れの吹きだまりに来るなんて。」
彼は私が見えていないようだった。
「お弁当が欲しいんだ。その半分でいいから、くれない?」
「こんな穢れたオジサンからわざわざ欲しがるんだ。訳は聞かないよ、もってお行き。但し、食べたあとはきつい酢水でお腹を膨らませなさいね。」
「うん、ありがとう!」
あっさりと
「はいにっちゃ。これにっちゃの分。」
「は!? 何言ってるんだ、父さんと母さんと
「おや、これはこれは、綺麗な男の子に言われたものだ。ありがとうね、元気でね。」
「にっちゃ、早く行こう。」
別れ際の男の言葉に何か違和感を覚えたものの、私はまたしても
エルサレムの門の近くまで戻ると、父と
「それじゃあ、父さんは
「お父さん、弟や妹に買っていくお土産を探してもいい?」
それを聞くと、ウーム、と、父は唸った。
「去年、
「あなた、そうじゃなくて、お金の話をしているのよ。」
「ああ、すまんすまん。じゃあほら、
父はそう言って、金袋を自分の手に乗せて、私に差し出した。ちょろっと見ていると、少額な硬貨ではあるものの、結構な量の硬貨が入っていた。
「お父さん、こんなにどうしたの?」
「ほら、国王がツィポラを拡張工事するのに大工を集めてただろう。その前金だ。崩しておいたんだ。
「分かったよ、お父さん。じゃあ、お父さんがいない間に使えるようなもの買ってくるよ。」
そう言うと、父は安心したように笑った。遠慮無く私が金袋から硬貨を掴むと、十枚のアサリオン銅貨と、デナリオン銀貨が一枚取れた。
「兄さん、これ、いくら?」
「わかんないけど、換金する必要が無いお金だから、大丈夫だよ。お母さん、
「ええ、ええ。いいわよ。あなた、
「じゃあ、日の落ちる前にここで。気をつけるんだよ、三人とも。」
父と
母が
「お母さん、
「私は大丈夫よ。
「少し疲れたかな。兄さん、買い物が終わったらどこかで休憩しよう。」
「こっちの方の店は、露店じゃないから少しはマシだよ。じゃあ、お弁当も買おうか。」
「お金足りるの、兄さん。」
「………。たぶん。」
私は異種硬貨の計算が苦手だったので、その時いくら手元にあるのか分からなかった。ただ、三人分の弁当を買ってもちゃんとアサリオン銅貨が四枚残ったので、これで買えるものを買おう、ということになった。
通りからあまり外れると物乞いに囲まれるので、私達は貯水池の近くに座り込んで、弁当を分けた。私が感謝の祈りを捧げて食べていると、誰かが近づいてきた。
「お前、
「んっ!?」
「
「………。………。あ! 若様!」
お久しぶりです、と、
「母さん、兄さん。この方は
「おお、じゃあ邪魔するぜ。―――いやぁ、久しぶりだな。お前、いくつになった?」
「十三です、若様。」
「そうかそうか。末の妹が今年参拝だから、そんなもんか。」
にこやかに話す
「その後お変わりありませんでしたか。」
「ああ、この
「それはお目出度いことで。お名前はなんとなされたのですか。」
「
「でも、過去に神の祝福を勝ち取った方の名前ではありませんか。長男で
「お、よく知ってるじゃねえか。ちゃんと教育してもらえたのか?」
「ええ、こちらの兄が、とてもよく出来ていたので。」
「ぶっ。」
突然話を振られて、私は口に入れていた
「兄? こいつ、男だったのか?」
失礼な奴だな。
「お初にお目にかかります。弟がお世話になったようで。」
「ふーん、声は男の声だな。………ホントに男か? 髭ももみあげも、ろくすっぽ生えてねえのに。」
「はい、ホントの男でございます。髭ももみあげも、薄いだけです。」
「あ、そういえばさあ。」
散々人の顔を撫でくり回しておきながら、彼は私に何も言わなかった。
「五年くらい前だっけ? お前が貰われてったの。」
「七歳になる直前だったので、六年前ですね。」
「うちのおもうさんが、お前達をまとめてナザレの遠縁に渡した日の夜、珍しく女を買いに行ってさ。ずっと
そういえばそんなこともあったっけなあ、と、ぼんやりと考える。私にとって特に恥ずかしい記憶ではなかったが、
「さあ、父からは何も…。」
「そうかい? もしお前達のところに、そんな身の崩れた奴がいるなら、渡した方としても気になるんだけどなあ。」
「お気にすることなどありますまい。律法に背いたことなどしていないのですから。」
「そうか?」
「ええ、そうでしょう。」
すると彼は、私をまたしてもじっと見つめた。そして何かムムムと考えると、何かに納得が言ったような顔をして、立ち上がった。
「…ま、その内機会があったら、だな。」
「ナザレにいらっしゃるのですか?」
「ああ、今ツィポラで工事があるから、職人が集まるだろ。あそこまでうちの魚を運ぶ仕事でね。帰り道にお前の家に寄るかもな。」
来ないでくれ。
「昼間の
「お母さん!」
「あら
「へー、お前、
あまり知られたくなかったが、母に悪気はなかったので、私は改めて自己紹介をした。
「
「
「それは違います、若様。父はおいらの産みの両親の気持ちを尊重してくれただけです。」
「フーン。まあ、一度に五人も増えたそうだし、新しく名前を付けるのも大変だろうからな。…さて、オレはじゃあそろそろ行くかね。もううちのの参拝も済んでるころだろ。妹達に上着を見繕って行かなきゃなんねえしな。」
よいしょと立ち上がって、
「………はあ。」
誰の物とも言えない溜息が出た。
私達はその後、残った金で、小さな皿を買い、父と
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