ヨルムンガンド
「ヴラスターリ!」
高見が声をあげ、地面に転がる槍を握りしめて、突き技を出す。
あたらなくてもいい、ただユキサキの手から彼女を取り戻すことを狙った一撃は功を成し、ユキサキとヴラスターリの間に小さな空間を作ることに成功した。
「住原っ」
血まみれの獣のように駆けだす住原がヴラスターリの体を横抱きに転がりながら、必死に這って逃げる。かっこよくなくてもいい、みじめでもいい、ただ目の前で死のうとしている彼女を救いたくて、住原は痛みに呻き、泣きながら同じように這って近づいてくる井草のもとに向かった。
「ヴラスターリさん、ヴラスターリさん!」
声をあげて、井草は泣きながら手を伸ばす。
触れれば、そこから治癒の力が――ソラリスの生み出す化学物質で彼女の肉体の再生能力を最大限に引き出せるはずだが
「ねぇ、どうして、傷が癒えないのっ!」
「どうして、やだやだやだ。力が通じない、血が止まらないっ!」
パニックを起こして叫ぶ井草に住原の瞳からぼろぼろと涙が溢れる。触れたところから血が溢れて止まらない。
ヴラスターリの虚空を見つめる瞳は黒く、底のない闇に落ちていく。
二人の少女の嘆きに高見はつい戦うことよりも、そちらに気を取られた。
「どうし、ぐっ」
ユキサキの手が、腹に突き刺さる。
肉が裂け、抉れる痛みに高見は血反吐をまき散らし、憎悪に燃える目で睨みつける。
「きさま、なにを、し、た」
「僕じゃないよ。・・・・・・まぁ僕かな。遺産の力さ。ヨルムンガンドは君たちオーヴァードの天敵なのさ」
「て、ん、ぐはっ」
腹の中に刺さった手が、高見の内臓を一つ、握りつぶした。その痛みは体内を燃やし、激痛となって高見を襲う。
「っ、くぅ」
必死に高見はユキサキの腕を掴む。どれだけ弱い力でも、一瞬でもいい時間を稼げればいい。
「にげ、ろ! ふたり、とも」
高見の声に井草と住原は弾かれたように顔をあげる。
目の前で自分たちの支部長が殺されようとしている。そして腕のなかではヴラスターリが
オーヴァードにとって死は間近だ。
けれど生き返る。
何度だって、オーヴァードだから。
いつか絶望を吐き散らすジャームになるかもしれない。そう震えながら、途方もない恐怖を抱きながらも戦えたのはいつか大切な人たちがそんな自分を殺してくれると思っていたからだ。
そんな大切な人たちがまるで虫けらのように殺されていく。
「いや、いやぁ、支部長、死なないで、ヴラスターリさんっ」
井草が悲鳴をあげるのに、住原は奥歯が音がするほどに噛んで、両腕のなかに大切なものを抱え込む。逃げなくちゃという思考とこのまま殺されてしまうんだという諦念が広がる。
「っ、ううっ」
高見の腕から力がゆっくりとなくなっていく。
ユキサキが高見を捨てようとしたとき、足に絡まった蛇の尾に気が付いた。
すでに人の言葉を忘れたらしいバケモノは大きな口を開けてユキサキを捕らえる。
このままでは丸呑みにされてしまう恐れがあるが
「君は確かに日本支部である霧谷の飼い犬だよねぇ。ある一定量のレネゲイドウィルス値に達したとなれば自動的に毒が広がる首輪がされてるって聞いたけど……蛇の皮を一枚、一枚ひん剥いていくのも楽しそうだけど今は時間がないんだよ、残念だ」
片足をあげて、蛇の尾を踏みつける。乱暴に足の裏に力をこめて、その肉を抉る。
悲鳴、悲鳴、悲鳴。
心地よい絶望のなかでユキサキは自分と同じものがここにいるのに気が付いた。
殺気に振り返った瞬間、喉にあたる赤い刃。伸びた腕が自分の首を絞めあげる。
「!」
ひやりとした刃によって薄皮の切れる痛みを味わったユキサキは、自分を拘束する腕の主が背後にいると察し、肘を打ち込む。攻撃に徹していた相手はその一撃をまともくらったらしく、ナイフがずれて首の肉を切り刻む。痛みは、耐えられないほどではない。
距離をとったユキサキはそれを見て笑った。
「おやおや、これはこれは」
赤い血のカランビットを構えたヴァシリオスとユキサキは目が合った。
深い暗闇の瞳は、ひどい怒りをたたえている。思わずユキサキは口笛を吹いて挑発した。
「お前からイクソスの匂いがする……へぇ、聞きたいんだけど、イクソスの弱いところは耳の裏だけど、そこは変わらないのか、なっと」
伸びてきた腕を払い、ユキサキはズボンのベルトをとると鞭のようにしてヴァシリオスの腹に打ち込んだ。確かな手ごたえはしたが、それを受けてもなおナイフが迫ってくる。恐ろしいほどのスピードで風を切り、喉を狙われる。
さすがに逃げの一手にユキサキは回ることになった。小さなナイフがくるり、くるりと命を刈り取ろうと回転する。
濃厚な血の香りがまき散らされる。
「君さ、ジャームだろう?」
無言。肯定ともいえる。
「わかるよ。濃厚なレネゲイドウィルス、ジャームはジャームがわかるみたいだねぇ」
笑う。煽るように。
「どうして、ジャームなのにオーヴァードみたいなふりをしているんだい」
「……」
「衝動に従って、全部壊してしまったほうが楽だったろうに、ああ、そうか、君の衝動は血をすすることか、命を奪うことか。
残念でした。あれは僕がもらったよ」
まっすぐにナイフの刃がユキサキの顎を突き刺そうとするが、その腕にユキサキの腕が添えられる。たったそれだけのことなのに動かない。と思ったとき、足に痛みが走った。
撃ち抜かれていた。ユキサキの手ではない――怯えたストレンジャーの生き残りの弾丸が――この場にいるバケモノを殺そうとした怯えた目
邪魔だ
殺せ
血をすすれば
「ほらね。君も僕も、人からすれば変わりがないようだね」
ユキサキが囁く
「オーヴァードはこうして非難され、使い捨てられ死んでゆく」
じわじわとしたたる黒い
「君は誰も救えない。部下も、同胞も、そして彼女も」
絶望が指さして笑っている。
ヴァシリオスは視線を向けた。
命を流し尽くして失われようとしている、
「ヴラスターリ!」
耐えられず、悲鳴をあげた。戦うよりも、殺すよりも、選んだそれがどけだけここで愚かなことだとわかっていても衝動に勝てなかった。
ジャームだから--自分の衝動に逆らえない。
ユキサキの掌打がヴァシリオスの腹を叩き、さらに連続の二発の蹴りを顔面に受けてボールのように吹き飛ばされた。
視界の先で絶望が笑っている。
「もっと遊びたいが時間だ。やるべきこともしたしね。次は最終ステージで会おうか。そのときはお前を殺す。ジャーム」
ばいばい、と子どもみたいに手をひらひらとふるユキサキにあわせて、空から再びなにかが迫ってくる。
もう一体のドローン。
それが落とすのは――閃光弾。
まばゆい光に誰の目もくらむ。
一瞬のこと。
何も残っていない、ただ死者しかいないそこにヴァシリオスは立ち尽くす。
ここは自分がいた絶望に似ている。
死者ばかりの戦場。大切な者を作り、けれど潰され、奪われてきた。命が容易く、軽く、儚く。
ヴァシリオスは撃たれた肉体の痛みを無視して走り出す。
傷だらけの仲間たちが泣きながら囲む、ヴラスターリ。
彼女からは濃密な死の香りがした。
まだ命はある。
奪いたい。
もし、なくなるならここで自分が奪いたい衝動をヴァシリオスはねじ伏せる。
泣きはらす彼女たちを無視して、腕を伸ばす。
舌を歯で噛み切ると自分の命の味がした。
ゆっくりと抱き寄せた彼女はあたたかく、ちいさくて、驚くほどに軽い。顔を寄せてゆっくりと口づける。
命を差し出す。
奪うのではなくて、ただただ与える。奪われても構わない、彼女なら。
滴り落ちる命を彼女の喉が飲んでゆく。
「俺の、命ならいくらだって差し出す。だからもう一度、目を開けてくれ、ヴラスターリ」
泣くように祈る。
もう、なにも諦めなくていいと口にしたのは君だ。
だったら君のことを俺は諦めなくてもいいはずだ。
ヴラスターリ
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