第21話 そこに在るもの

 アイリスの深奥、そこに侵入させた魔力糸を通して感じたのは、僅かな、本当に僅かな、でも確かな魔力の波動。

 彼女の魔力の根源にこれだけ近づいたというのに、それを微弱にしか感じ取れない事実に一抹の不安を覚えながらも糸を先へと進める。ここまで来て後戻りなどできないのだから。

 けれど、その不安はすぐに霧散することになった。入口部分から少し進んだ先、そこに鎮座した存在によって。


(コレは……繭、いや、卵かな……)


 視覚の代わりに使っている魔力感知には、ソレの内包する魔力の輪郭が縦長の楕円の球形に映る。


(まさか、ホントにザクローニ先生の言う通り悪魔に……)


 寄生、その二文字が脳裏に浮かんだと同時に、かつての恩師の言葉がフラッシュバックする。恐らく実体は持っていないのだろう。これまでアイリスを診て来た公爵家に縁を持つ名医達がこんな存在に気づかない筈がないのだから。

 ただ分かるのは、この卵こそがアイリス・セレスタイン公爵令嬢を『からの公女』と言わしめている元凶なのだという事と、正体は分からないが桁外れな魔力を高密度に圧縮して内包している一種の爆弾のような存在になり果てている事だけだ。


(クソッ、手が出せない! 取り除ければ、一番簡単なのに)


 下手に手を出して、アイリスだけでなく周囲まで巻き込んで大爆発など笑えない。


(と、とにかく、少しでも情報を集めないと)


 糸を分割させ、卵の周囲を探らせていく。まず分かったことはやはりこの卵には実体がないことだ。音波を用いたソナーに反応しなかったことからも確実だ。

 そして、コレが最も重要な事だが、卵から伸びた――おそらくは卵巣まで伸びているだろう二本の管を流れる魔力を確認できたこと。

 僅かな思案の後、決断する。

 調べた限りでは単純に寄生元であるアイリスから魔力を吸い上げているだけ。彼女がこれまで健康体なのを思えば、自滅因子の如く母体を蝕む心配も無さそうだ。

 ならばと出した結論は、卵の存在は一旦保留し、まずは根こそぎ魔力を吸収しているこの管をどうにかして魔力の流れを正常に戻す事。それこそが優先目標だし、手段の当てもある。


(後は、僕が踏ん張るだけ、と……)


 今なお血を失い続けている自分の体が限界に近いことは感じている。


(もってくれよぉ――)


 アイリスの魔力回路に分裂して張り巡らせた魔力糸を消し、本体である一本に全神経を集中する。そして、改めて二本に分けた糸をそれぞれ、卵の管へと巻き付かせる。

 準備は完了、一度息を吐く。


(三、二、一――行け!!)


 内心のカウントの後、巻きつけた糸の先端に魔力を集中し、管を切断しにかかる。

 僕の選んだ方法は、強引ながら最も単純な手段。

 卵自体をどうにかできないなら、魔力の供給元を別にすればいい。そうすれば自然にアイリス自身の魔力が体内に巡り出す筈だ。

 懸念は二つ。一つは、バイパスを作る間に、魔力を絶たれた本体が暴走する可能性がある事。もう一つは、殻の魔力強度が強すぎて、内部を流れる魔力の量が図れず、どれ程の量を吸い取ってくるのかが不明な事だ。


(前者は腕次第。後は僕が踏ん張ればそれでいい。だろ? 爺さん)


 『男は女の為に体を張る生き物だ!』生前の義父の言葉を思い出しながら、更に魔力を追加する。

 予想通りの強度を見せる管へ、徐々に糸が食い込み始める。


(この程度、になら何の問題もないさ。アンタの義息子むすこ、リオン・エルセインならさ!!)


 魔力糸に流している魔力量は、人の体内、それも繊細な臓器の内部で扱うものとしては異常だ。セシリーあたりがみたら、発狂していただろう。

 そこに敢えて傲慢に自らを奮い立たせて、更に魔力を高める。

 自分の体内で暴れる魔力の抑えに振っていた制御力すら削ったために、治癒された傷口が一斉に開き、噴き出す血と共に激痛が走り抜ける。


「!? 無茶が過ぎるわ、リオン」


 呆れ含みの師の声に返すことも出来ず、ただ覚悟していたことと一切頓着せずに作業を進める。

 一瞬も気が抜けない中、ついに完全な制御の下、糸が左右の管を切断してのける。


(よし! 次だ!!)


 少しの感慨もなく、矢継ぎ早に次の工程に移る。

 管を切り裂いた魔力糸の先端、巻きつけた為に二重三重の円を形作るそれを土台に魔法式へと変換する。

 純粋な魔力でできた糸を、こうして術式に転用するのは比較的簡単だ、と思う。

 構築するのはクレイセリア教室に属する者ならば慣れ親しんだ術式。魔法獣や使い魔を術者から離れて長時間活動させる為の『遠隔魔力供給術式』だ。

 構築する術式の規模は最小、術式構築速度は自己最速、刻んだ術式密度は最高だ。この極限の集中状態でなければ成し得なかった成果だろう。


(頼む、上手くいってくれ)


 最後に万感の願いを込めて式と魔力糸を切り離す。


(何だ?)


 経過を見守っていると、魔力供給を絶たれた卵が反応を見せ、管の切断面が植物の根の様に変形し『遠隔魔力供給術式』の魔法陣へと伸びて行く。

 予想していなかった光景に驚きながらも、このまま供給元を俺に変えてくれるならと、安堵したのはまさに油断だった。

 根の先端が術式に触れた瞬間、刻み込んだ式が変質していく。こちらが反応する隙もなく瞬く間に、魔法陣が根に絡めこまれていく。我に返り、抵抗を試みた時には、制御を奪われ変容した術式が効果を発揮するところだった。


「ぐぅっ」

つうっ!!」


 強引に魔力が奪われ、衝撃に思わず声が漏れ、アイリスの下腹に添えた手が離れそうになる。歯を食いしばって耐えたけれど、力んだ際に指を立ててしまい、彼女の苦悶の声が耳朶を打つ。

 ハッとして力を抜き、すぐに状況を確認する。どれだけ持って行ったのか、対外へと溢れる程に荒れ狂っていた魔力はごっそりと消失し、体内の魔力はかつてないほど凪いでいる。しかし、取り込まれた魔法陣との経路はしっかり出来上がっており、今も精製される魔力の多くが吸収されているのが分かる。


(……とんだ大喰らいだな……。まさか、俺の魔力がにまで削られるなんて)


 これまでは制限していたのか、はたまたアイリスの魔力が途轍もないのか、分からないが、まだ人並以上に魔力が残っている自分の異常さも含めて思わず呆けてしまう。

 供給量をこちらで制御することに失敗した為、問題が無さそうな点は正直ありがたい。

 手足の痙攣が治まらず、精神以上に肉体の限界が近い。いつこの身体がくずおれても可笑しくないのを感じ、改めて意識を魔力糸へと集中させる。


(時間がない、急がないと……)

『マリョク、フエタ……デモ、ダメ……』

(え!?)


 突如、脳に直接声が響いたと思った次の瞬間、俺の意識は戦慄を覚える程濃密な魔力の嵐の中を漂っていた。渦を巻く魔力の暴風に弾き飛ばされないに耐えながら、そのベールの向こうにいる、計り知れない力を秘めた声の主へと意識を向ける。


『ボ、タイ……コワレル、イヤ……コノママ、ジャ……モタ、ナイ』


 最初に感じた歓喜は一瞬で悲嘆に変わり、次いで苦悶が混じる。声の内容、『母体』の一言に事態を察する。理解できてしまった。

 状況からみてココがあの卵の内部なのは間違いない。なら、この声の主がやがて孵化する時、ここに渦巻く膨大な魔力が解き放たれ爆発的にアイリスの身体を駆け巡る事になる。そうなったら、許容を超える魔力に対する制御方も、防御方も身に着けていない彼女がどうなるのかは容易に想像がつく。

 『アイリスの死』の光景が浮かんでしまい、何とかこの卵を排除する方法はないかと模索し、案が浮いては却下していく。


(どうする? 何か手は――)

『……タス、ケテ……』

(!!)


 暗中模索の中、最後に響いた声に思考が漂白される。声と共に苦悶を受けべ涙ながらに訴えてくる幼子の顔が脳裏に焼き付けられたからだ。

 呆けた隙に意識が渦に弾き出され、元の魔力糸を介した視界に戻る。


(俺は、馬鹿か!!)


 瞬間、沸き上がった激情に身を焦がす。

 限界を感じながらも、それがどうしたと惰弱を斬って捨て、魔力糸の操作を開始する。


(分かっていただろうが、あの声に籠った苦悶の意味を! 悪魔なんかとは程遠い、無垢に、純粋に、アイリスを案じて泣いていたじゃないか!! それを、俺は……)


 まだ、この世界に生まれてすらいない“あの子”が、母体アイリスを傷つけない様に、藻掻き苦しんでいたというのに、一瞬でも害そうとした自分の愚かを許せなかった。

 動き出した魔力糸の先端は分裂し、繭の如く卵に巻き付いて覆っていく。


と、アイリス両方救って見せる! それ位できないで、何が天才だよ)


 卵を覆い切った魔力糸を先程と同じく魔法陣へと変容させていく。

 ただ、あの卵の内部に満ちる莫大な魔力の開放を、受け止め、アイリスを護れる術式など心当たりがない。

 だが、迷い無く陣へと術式を刻みこんで行く。


(弱音を吐く暇はない、存在しないなら、今ここで創るまで!)


 これまでの人生で蓄えた知識と経験、それらに基づいた直感にも等しいモノに従って未知の魔法を創造していく。

 時折、術式を修正または一部丸ごと削除するといった試行を繰り返しながら、魔法陣を築き上げる。


(これで大丈夫! だから、産まれて来い。待ってるから!!)


 完成した魔法陣の出来に満足し、卵、いやその中にいる子に向けて思いをぶつけた時、奥から溢れた暖かな力に包まれる。

 “ソレ”が何かを理解し、本当に安心できたことで集中がブレ始める。充足した達成感を覚えながら糸を解除。そして、意識は暖かな流れを揺蕩う様に浮上していくのだった。



 ゆっくりと瞼を開けるとすぐに、魔力糸が安全に解除されたかを確認し、アイリスの四肢の拘束を解く。

 はっきりと体の重さを感じつつ、添えた手を横たわる少女の肩へと移動させる。

 まだ、ぼんやりとした眼と視線を合わせ、これだけは伝えなくてはと、残る力を総動員して口を開く。


「……施術完了。お、つ……か…………」

「「「「ッ!?」」」」


 限界だった。

 言葉を最後まで紡ぐことも出来ず、膝は折れ、受け身すらままならなずに床へと倒れ込む。

 毛足の長い上質な絨毯が受け止めてくれなければ、打ち身くらいはできたかもしれないなと見当違いなことを考えながら僕は意識を手放したのだった。

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