第4話 初めての魔法

「さあ、行きますよ」


 そう言って、先程から意識しっぱなしになっている、彼の手から暖かな何かが体内に入ってきました。


「ひゃん!?」

「大丈夫ですか?」

「ひ、ひゃい」


 驚いて上げてしまった声に、リオンさんが心配して声を掛けて来ます。

 声が近くて、返事も呂律ろれつが回らず、おかしな響きになってしまう。うう、恥ずかしい……。

 その間も、彼の手から流れ込む熱が体を巡っていき。


「……ッ! ……あ……、……ひあ………」


 なんとも言えない感覚に、漏れる声が自分の物じゃないみたいに艶があって、今すぐに手で口を塞いでしまいたい。

 背中越しでよかった。真っ赤になっているだろう顔を見られなくて済む。

 しばらくして、体中を巡った熱――魔力の感触を不思議に思っていると。


「どうでしょう? 感じますか? それが体内に魔力を巡らせる感覚です。本来は意識する物ではないですが。今回は十五年使われていなかった経路を、無理矢理通したので刺激が強いと思いますが」

「……平気です、コレが魔力……、こんなにハッキリと感じたのは初めてです」


 これまで、周囲の人達が使う魔法を見て、なんとなくでしか感じて来なかった魔力というものを、初めて知覚でき感動してしまう。


「じゃあ、さっきの魔法を使ってみましょう」

「! あ、え?」


 ――魔法を、使う? 誰が? 私が?

 何を言われたのか理解できず、呆然としてしまう。


「落ち着いて、時間はありますから。ゆっくり魔法式を組んで下さい」


 優しい声音に意識が戻ると、脳裏に浮かぶ一つの魔法式。

 それは、私が何度も、何度も、それこそ夢に見るくらい頭で組み上げた魔法。


「リオンさん、使う魔法は変えてもいいですか?」

「? 構いませんが、いきなり中級以上とかはダメですよ?」

「大丈夫、初級の氷魔法です」


 言って魔法を組み始める。

 これまでどれだけ学び、思い浮かべても、ただの図形でしかなかったそれが、初めて力持つものとして組み上がって行く。

 これだけで、もう涙腺が決壊しそうなくらい嬉しくて。何回も、綴りを間違えて、一からやり直すを繰り返し、気づけば子供みたいに夢中で取り組んでいました。


「完成、しました」

「では、次にその式に魔力を流せば、実際に効力が発揮されます」


 ようやく完成した魔法式に、言われた通り魔力を流し始めると式が発光し魔法が発動します。

 手を向けた先、庭の一角に霜が発生して大気が白く霞みます。

 一定範囲内の気温低下と霜による視界妨害を引き起こす、氷属性初級魔法『霜雪そうせつ』が効果を発揮します。


「で、できた……」

「……アイリス、コレを」


 リオンさんが肩越しに差し出してきたのは青いハンカチ。

 ハッとして目元に手をやると、雫が指を濡らします。

 振り返って彼の顔を見上げると、笑みを浮かべて一度頷く。


「あ、ああ、あああ、うああああ~~~」


 ハンカチを受け取り、何度拭っても溢れてくる涙を、彼から隠したくて俯いて、我慢できずに声を上げて泣きます。

 不覚です。二年振りに再会した同い年の殿方に、日に二度も泣き顔を見せる事になるなんて。

 でも、耐えきれませんこんなの、仮初でも私が魔法を使ったなんて……。

 

「……アイリス様!!」 

「セシリーィィ!」


 いつの間にか戻っていたセシリーが寄り添って、背を摩ってくれます。見ると彼女の目にも光るものがあって、私は幼い頃からの親友に抱き着きます。

 そんな私達を彼は少し困った表情で、頭を掻きながら背を向け、私達が落ち着くまでただただ待ってくれていたのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 結局、私が落ち着くことはなく、彼の提案であの場はお開きになりました。

 今は湯浴みで心を落ち着け、自室でセシリーに髪を整えて貰っています。鏡台に映る、瞼の腫れが気になって仕方がありません。


「ディナーの前に、お化粧でお隠しいたします」


 髪を整えながら、さらっと私の意を汲んでくれるセシリー。

 先程体を巡った魔力はもう感じない。術式を思い浮かべても元の通り何一つ起こらない。

 私が知る限りの同世代で優秀と呼べる魔法士の一人である、我が専属メイドに淡い期待を込めて鏡越しの視線を向ける。


「ねえ、セシリー、さっきリオンさんがやったみたいに……」

「やりませんし、できません、私にお嬢様を殺せと仰せですか? またあんな狂行を実行されるならば、全力で御止めします」


 すっと細くなる目に射竦められて、口をつぐまざるを得ません。……残念です。

 湯浴みの最中も、散々、他人の魔力経路に直接魔力を流す行為がどれだけ危険な事かをお説教されましたし、仕方ないのですが。

 この子、普段は面倒見のいいお姉さんみたいな優しい女の子なんですが、怒らすととっても恐いんです。


「でも、まさか私が魔法を使える日が来るなんて思わなかったわ。しかも、彼を呼んでまだ初日よ? これなら……」

「期待値が高まったのは事実ですね。やり方にはとても納得できませんが」

「あら、セシリーも泣いてくれていたじゃない?」

「……コホン……ですが、『霜雪』よかったですねお嬢様。大奥様との約束が守れて」

「うん。それは本当によかった……」


 私が使った『霜雪』は亡き御祖母様との思いでの魔法。

 幼い頃私が泣いたり落ち込んだりするたび、御祖母様は外に連れ出しては『霜雪』を使って見せてくれた手品――人工のダイヤモンドダスト。

 その光景に、それを使う御祖母様に私は強く憧れ、いつか私も『霜雪』をと指切りをしたのだ。

 結局、御祖母様が亡くなるまで果たすことはできませんでしたが。


「ねえ、セシリー、もし私がグレンス高等学校に落ちたら、気にせず貴女だけでも進学してね?」

「は? 嫌です」

「口調! 貴女には才能も実力もあるじゃない、しっかり学んだ方がいいわ」

「何と言われても無駄です。それに、アイリス様は合格なさるのでしょう? それとも、一度魔法が使えただけで満足されましたか?」

「! ふふ、そうね、そうだったわ」


 そうまだまだ、こんな所で満足なんてできない。セレスタインの名に恥じない魔法士にならないといけないんだから。


「しかも、お嬢様ときたら御一人では、照明も落とせない、シャワーも使えない、御髪おぐしも乾かせない、更にお手洗いも――――」

「ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさいぃ!! 弱音を吐いたのは謝るから許してぇ」


 私が魔力を持たないが故に、生活に根付いている魔法具の一切が使えない点を、指折り読み上げられて、すぐに降参。

 ダメな私をフォローし続けて来た琥珀髪の少女は、鏡越しに『そんなさまで、私から離れられるとでも?』で訴え。――酷い。


「それにしても、教師としての資質はともかく、リオンの成長には驚きました」

「え? そうね、確かに」


 背は随分伸びていたし、細見なのは変わらないけど鍛えてあったし。体はしっかり殿方として成長していた。

 挨拶した時に『綺麗』と言われた事を思い出してしまい、顔が熱くなるのを抑えられない。

 セシリーが居なかったらベッドに身を投げ出して、悶えてしまいたいです。


「あの魔法獣だけでも、彼の二年間がいかに濃密な物だったのかわかりますね」

「ええ、とても素敵な殿方に育っていたわよね」

「はい?」

「え?」


 ああ、彼の事を考えていたら、余計なことを口走ってしまいました。


「……お嬢様?」

「待って、お願いセシリー、何も言わないで!」


 この後、別のメイドがディナーに呼びに来るまで、意地悪な専属メイドに散々揶揄われることになってしまいました。

 全部全部、リオンさんが悪いんですから!!

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