第1話 再会

「全く、なんでこうなったんだ…………」


 平民の自分にはまるで縁がない筈のとても大きく立派なお屋敷を前に、僕は嘆息する。

 全ては、大学校の某担当教授が僕を『卒業』という名で、放校を決定してしまったせいだ。僕には少なくとも後三年以上、学籍を置く権利があるはずなのに……。

 何が『おめでとうリオン、君の飛び級卒業が決定しました♪ あ、成人して無い君が今から職を探すのは難しいでしょうから、私が侯爵家の名で紹介してあげるので安心してくださいね』ですか。

 強制と同義ですよそれは。何を言っても『卒業』が覆ることがないと悟った僕は、大人しくその仕事とやらを受けることにしたのだけれど。

 まさかそれが、公爵令嬢への個別魔法講師役なのだとは、思いもしなかった。

 あの一見温和そうに見えて、その実性悪な魔女の顔を思い出すと無性に腹が立つ。

 一人百面相をしていると、横合いから人の気配。


「失礼、先程から屋敷をご覧になっておいでですが、当家に何か御用でしょうか?」


 執事さんだ。四十代前後だろうか、完璧に着込んだ執事服姿が決まっている。それにこんな不審な僕に対しても表情は小動こゆるぎもしない。

 慌てて居住まいを正し、胸を手に当て一礼。


「失礼しました。ぼ……私は、王立大学校教授、ロザリー・クレイセリア様からご紹介を受けました。リオン・エルセインと申します」


 僕が名のると、彼もすぐさま思い至ったのか納得顔。


「ご無礼お許しください。私はセレスタイン公爵家別邸にて家令を務めておりますルーファス・レストマン。奥様からお話は伺っておりますので、どうぞこちらへ。お荷物はお預かりします」


 ショルダーバックとコートを預け、丁寧な所作で招き入れてくれたルーファスさんに続いて屋敷内に入る。派手さはないが落ち着いた調度や家具の数々。質は当然の様に一級品だ。

 しばらく屋敷内を先導されて、通されたのは広い内庭が一望できるガーデンテラス。庭の一角には魔法修練用の防壁魔法が刻まれた起動柱が立っている。


「こちらで少々お待ち下さい。アイリスお嬢様もすぐに参りますので」

「わかりました」


 そう言って内庭を後にするルーファスさん。

 アイリス嬢、僕が一年しか在籍しなかった『王立グレンス学校』、単に王立学校とも呼ばれる、王国最高の中等学校時代の同期生。

 僕とは正反対の特異な体質を持つ彼女が、来年の『王立グレンス高等学校』への進学を望んだ事が今回の魔法講師依頼の発端だ。

 最高学府とはいえ、中等学校である王立学校であれば、魔法技術に代わって秀でるものがあるのならなら受け入れてくれる。

 けれど、高等学校ともなれば魔法の腕が重視される。

 一年彼女と教室を共にしたのなら、嫌でも理解させられる。そこらの子供でも扱える生活必需品、照明具や水流具と言った魔法具も起動する魔力も精製できない『からの公女』にとってどれだけ至難であることが。


 テーブルに座りながら、そんなことを考え、内庭を観察する。

 外だというのに冬の寒風さえ遮っている精巧な障壁、空調の魔法具まで使われていて感心する。公爵家の財力凄まじいな。

 戸が開く音が聞こえ、振り向いて絶句……。


「この度は、私の急なお願いを聞いて頂きありがとうございます。お久しぶりですね。リオン・エルセインさん」

「…………」


 透けるような長い銀の髪をハーフアップに纏め、ひざ下位の白いワンピーススカートに厚手の青いカーディガン。

 初めて見た私服姿だからなのか、自分が知る二年前の彼女より――当然だが――成長し清楚な女性らしさが増したからか、あるいは両方か、完璧なカーテシーをする姿に一瞬で目を奪われた。


「どうかしましたか、リオンさん?」

「……あ、いえ、あまりに綺麗だったので、つい…………」

「! え? ええ?」


 ――って、何を口走った僕は。

 顔が熱い。アイリス嬢も驚いてその白い頬を染めてモジモジ。か、可愛い。

 違うだろ、ああ、自分の女性経験の無さが悲しくなって来た。


「……こほん。お二人共落ち着いて下さい」

「「!」」

「お久しぶりです、リオン様。今、お茶を入れますのでお待ちください」


 後から入って来た琥珀髪のメイド服姿の少女。彼女も記憶にあるよりも大人っぽくなった。特に、その胸部の成長具合は……。

 いけない、視線が向きそうになるのを何とか堪え、視線を戻す。よどみなくお茶の用意をしながら、彼女の口元が一瞬ニヤリ。見てない、僕は見ていないです。

 ようやく落ち着きを取り戻し、対面に座った公女様に向き直る。


「失礼致しましたアイリス・セレスタイン公女。改めまして、貴女の魔法講師を務めることになりました、リオン・エルセインです。よろしくお願い致します。セシリーさんも。お二人共、お久ぶりです」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「なんなりとお申し付けください」


 配された紅茶に早速口を付ける。香り、味とも最高の一品、思わず感嘆する。


「……美味しい」

「うん、今日のお茶も美味しいわ、セシリー」

「ありがとうございます。そう言って頂けますと幸いです」


 短めのウェーブ髪を揺らし朗らかな笑みを浮かべ一礼するメイドさん。元同級生でアイリス公女様付きのセシリー・レストマンさん。……んっ? レストマン?


「もしかして、セシリーさんと家令のルーファスさんは……」

「私の叔父です。それとかつてもお願いしましたが、セシリーとお呼び下さい」

「ははは、懐かしいやり取りだね。セシリー」

「ええ、機会があれば私ともまた手合わせして下さいリオン。ああ、もちろん、お嬢様が優先ですよ」


 あえて砕けた口調で語り掛けると、澄まして控えていたセシリーが乗ってくる。僅かに向けられた闘志が何だかとても剣呑な気がしたのは気のせいだろう。


「…………」


 ふと視線を感じた。笑顔で僕たちを見つめるアイリス様の姿に、胸が締め付けられた。二年前に何度も感じた無力感を思い出させる、彼女の被る虚ろな笑顔の仮面。

 まさか、この程度のやり取りですら受け流せない程、余裕を失っているなんて。


「……お嬢様」

「あ、ご、ごめんなさい」


 セシリーが優しく声を掛けるとハッとして、泣きそうな笑顔で謝罪。

 決壊寸前の余裕のない姿に、初めて自分の心が決まった気がした。

 目の前で泣いている、このとても美しい少女の涙を止めてあげたいと心の底から思ってしまったから。

 感情に押されるように、申し訳なさそうにしているアイリス様の傍らに移動して、膝を着く。

 そのお顔を覗くように見上げながら、そっと揃えた膝上で固く固く握り締められた手を、両の手の平で包むように握り声を掛ける。


「……アイリス様」

「! リオンさん?」


 拒絶されなくてよかった、なんて考えながらバクバクと早鐘をうつ心臓を無視する。


「貴女がこれまで苦しんできた時間を想えば、安易に希望を持たせるような言葉は控えるべきとは思います」


 アイリス様とセシリー、二人の視線が集まる。


「けれど、僕は、僕にできる全力で貴女に魔法を与えてみせると誓います!」


 気恥ずかしさは意識の外へ、顔が熱い。


「改めて、グレンス高等学校の入学試験までの間、貴女様の魔法講師を拝命しましたリオン・エルセインです。……どうか貴女を導くことをお許し下さい。アイリス・セレスタイン公女様」


 言い切ると、頭を下げる。僅かな沈黙。

 両手の甲に熱い雫が落ちる感覚。一つ、二つ、三つ…………。

 顔は上げない。無闇に女性の泣き顔を覗くのはマナー違反だと思うから。


「……すんっ、一つ、いつまで同期生で教え子になる私を、すんっ、敬称で呼ぶつもりですか?」

「……仰せのままに、お嬢様」


 落ち着いたと思ったらそれですか。

 小さく溜息一つ。セシリー、笑いを堪えているのバレてます。止めて下さい。

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