空の公女と異能の魔法士

八嶋 力

第一章

序章

 私には絶対に忘れられない一日があります。


 メイルシュルト王国『王立グレンス学校』の入学実技試験会場である演武場。国内でも特に優秀な同世代たちが集うこの場で、最終組として今試合を行っている一組の男女が魅せる隔絶した実力に私を含め誰もが目を奪われました。

 少女の方は私と同じ公爵令嬢、才媛と呼ばれるルビア・ハイネリア。

 右腕の剣に炎を纏わせ、周囲に展開した幾十の風弾とともに、もう何度目かの突破を図ります。

 火と風の同時発動、更に見事な身体強化による神速の斬撃。これだけで一体この場の何人が彼女の攻めに対応できるのでしょうか。評判以上の凄まじい実力です。


 けれど、尋常でないのはそんな彼女の攻勢を涼し気な表情で捌く男子学生のほう。

 確か、監督の先生からは『リオン・エルセイン』と呼ばれていた方。今も杖を一振りしただけで、風弾が微風となって掻き消され、飛びのいてギリギリで剣閃を躱し、振りぬいた彼女の腕を背後に生んだ光の鎖で絡め取っています。


 鮮やかな手腕。洗練された魔力制御。

 あのルビアが圧倒される姿なんて想像もしていなかった。艶やかな肩口ほどの金髪、鋭い吊り目の怜悧な容姿が醸す、自信に満ちた凛とした佇まい。私達の世代では彼女こそ頂点。そんな風に思っていたのは私だけではないはず。


「くぅぅ~~、鬱陶しいわね! アンタ! 男なら真っ向からぶつかりなさいよ!!」

「ご冗談は止してください公女様。貴女と正面から斬り合うなんて命が幾つあっても足りません」


 腕の拘束を解除しながら、ルビアが叫びます。

 気持ちはわかります。彼は動きを止めた彼女に対し、攻撃を加えることなく静観しています。

 稽古でもないのに手加減されているのが嫌でも理解できる状況では、私でも不満を覚えるでしょうから。


「ふざけるな! 真面目にやりなさいよ。さっきから受けるばっかりで、一度も攻めて来ないじゃない!」

「ええ! 無茶言わないでください。まさか平民の僕が、公爵令嬢と当たるなんて思ってもみなかったので、さっきから緊張でガッチガチなんですから」


 嘘ですね。白々しいにも程があります。

 ああ、ルビアが俯かれてしまいました。彼からは見えないでしょうが、こちらからは細かく肩を震わせているのが良くわかります。歪な笑みの形に吊り上がる口端が恐ろしいです。


「…………わかった。出せないって言うなら、無理矢理にでも引き出してやるわ」

「えっ!?」


 顔を上げた彼女が発する剣呑な魔力。というか、これは…………。


「! ル、ルビア・ハイネリア君、と、止めたまえ。これはあくまでも、実力を見る為の試験であって、決して、勝ち負けを競う物ではない」


 監督の教員が慌てて止めに掛かり。


「ヤ、ヤバくないか……この魔力…………」

「公爵家って、こ、これ程なの……………」


 周囲の受験生たちも一様に怯え、騒ぎ始めます。

 ルビアを中心に吹き荒れる魔力の奔流が、何重もの防御結界を越え圧力を持って肌を粟立たせてくる。

 彼女が編んだ精緻極まる魔法式が、ハイネリア公爵家が築いてきた魔法理論の極致を顕現させんと輝いている。――――なんて綺麗な魔法式。知らず唇を噛みしめます。


「これなら、本気で戦わざる終えないでしょう? これを受けられたら褒めてあげる!」


 魔法が発動する間際、彼女が対峙するリオンさんに向けて叫びます。

 彼は、あまりな光景に言葉もないのか、杖を構えることもなく、ただただ立ち呆けています。


「――――いやいや、魔法に興味はありますが、こんな場所で使わないでください。公女様」

「!!!?」

「! へ?」


 突然の事にルビアが動揺し魔力が霧散し、私も間の抜けた呟きがついてでてしまいます。

 変わらぬ声音と共に、突如、彼女の背後に現れた、先端に氷刃を生やした杖を持つ少年。その刃はルビアの首筋にヒタッと添えられています。


 『何故?』っと思い、一瞬前まで彼が立っていた場所に目をやると、まさに空間へとその姿が溶けるように消えていく所で……。


「……げ、幻影?」


 ルビアの呟き。


「光魔法の応用です。虚像を映してその場に残し、光を屈折させて姿を隠して、貴女の背後に回りました。……先生、判定をお願いします」


 声をかけられ、職員も我に帰ったのでしょう、まだ動揺の残った声を張る。


「し、勝者、え、エルセイン受験生。…………さ、先も言いましたが、この模擬試合は現在の、貴方方の力量を視る為のものです。勝敗は結果に関係しないので、それは理解しておいてください」


 リオンさんは、そっと氷刃を外して消すと、目の前の少女に恭しく一礼をして演武場の出口へ向かって行きます。

 後に残ったルビアは俯いたまま。手の愛剣が震えているのがよくわかります。


 でも、彼女のあれ程悔しがる姿も、あんなに興奮して楽しそうに戦う姿も、私は一度も見たことが無い。

 同じ公爵家に生まれた同い年何度かの手合わせの度、私は絶望と羨望を植え付けられてきた。

 その都度、彼女は特別なのだと言い聞かせて来た。自分の様なわずかな魔力を持たない異常体質、凡百にすらなれない者とは違うのだと。


 嫉妬、羨望、そして感嘆と憧憬。私の中で感情が渦巻き、演舞場の中央で佇む少女から、立ち去って行く少年を視線で追いかけます。

 高鳴る鼓動を抑えたくて、胸元へ手を添えます。


 この日からおよそ三年後。彼と、私は再会します。

 王国の誇る各世代の最高学府、王立グレンス学校、王立グレンス高等学校、王立大学校。それぞれを一年ずつ、僅か三年で卒業した鬼才リオン・エルセイン。

 セレスタイン公爵家の次女ながら、王立グレンス学校での三年間でも、結局髪一本程度の魔力も精製できなかった落ちこぼれ『からの公女』アイリス・セレスタイン。


 私の運命が動き出した始まりの日は、間違いなくこの一日だと断言できるのだから。

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