第26話
長ネギ、なかなか逞しく育っている。この調子であれば一週間後には収穫ができそうだ。長ネギはどうやって食べよう。絵を描きながら、どんな料理に使おうかと考えた。
湯豆腐と一緒に茹でた方がいいのかな。姉の意見も参考にせねばならない。
みじん切りにして、うどんやそばの薬味に使うのも悪くはないだろう。
長ネギは意外にも万能な野菜なのだ。
私はこの世の中に長ネギという野菜が存在してくれたことに、感謝してやまない。
しばらく集中して描いていたところ、ようやく絵が完成した。
私は、それをじっと見た。
「うーん、ちょっと微妙だけれど、まあいいか。頑張って描いたし、わかるよね」
長ネギはビヨーンと縦長に延びている。その横にあるひまわりも、まあ、ひまわりとかろうじて分かるぐらいにはひまわりとして描けているだろう。
そうに違いない。
自己満足の世界だが、いい絵だと思うにつれて私は将来、画家になって個展を開けるのではないかと心がワクワクしてきた。もしも個展を開いたら、陽子や涼、ふみちゃんも呼ぼう。
「さーって、スケッチを楽しんだし、お散歩にでもいこうかな」
私は、部屋に戻って普段着に着替えた。私は、夏休み前に購入した赤いシャツを着た。そして、薄緑色のガーディガンを羽織った。下は、こないだ洋服店で見つけた、ピンク色のスカートだ! ふりふりがついている。
おっと、忘れていた。家で練習するために、学校からトロンボーンを持ち帰っているのだ。今日は天気もいいし、どこかで吹いて練習しよう。
私は、トロンボーンの入ったケースも肩にかけた。
さて出発だ。
私が、どこに行こうか考えながら路上を歩いていたら、目の前から柴犬がやって来た。
「おやおや、ワンちゃんだ。ウサミに、なでなでさせてー」
私は、腰を下ろして、手を持ち上げた。ナデナデする姿勢で待っていると、柴犬がそばまでやってきて、私に頭を撫でさせてくれた。
私は、なでなでを楽しんだ。
それにしても、奇妙だ。なぜなら、柴犬の飼い主がいないのだ。私は首を傾げた。
「もしかして野良かな。でも、首輪があるし」
ブリブリ。
おっと、目の前で汚物を出したようだ。私はどうしようか戸惑った。というのも通行人が、私を飼い主と間違えて、じっと見つめてきている。
うーん。
とりあえず、ウ×チは片付けよう。近くの公園に行き、ゴミ箱の中を覗いてみた。
中に袋のようなものを発見した。私はそれを持って、先程の道路に戻り、ウ×チを摘み取った。そして再びゴミ箱の中に入れた。
ウ×チは燃えるゴミになるのだろうか? 飼ったことがないので分からない。
ふう。一息ついて、私は袖で汗を拭いていたら、とんでもないことが起きた。
スカートがずり降ろされてしまい、パンティーを露出させてしまったのだ。
私は、呆気にとられ数秒は何も考えられなかった。状況把握につとめる。
どうやら、柴犬がジャンピングして、スカートに噛みついて落としたようだ。ぐいぐいと引っ張ってくる。私はコテンとそのまま倒れた。
わああああ。なんだなんだ。
柴犬は、そのまま私のスカートをぐいっと引っ張った。足からすぽーんと抜け、完全に脱がせた。犬らしからぬ、あまりの手際のよさに、私はただただ呆然としていた。そして、柴犬は、スカートを咥えて走っていく。
「こらあー! ウサミのスカート返してえええー」
私は、柴犬を追いかけた。おそらく全力疾走で駆ければ、私よりも確実に早いはずなのに、柴犬は途中でちらちらと私を見ながら、追いかけてくるのを待っている素振りがあった。
しかし、私は買ったばかりのスカートを取り返さなくてはいけない、としか頭になく、涙目になりながらも全力で犬を追いかけた。
犬は、路地裏に曲がった。そして、そこは袋小路。
「ふふふ。ウサミ、もう逃がさないからね」
飛びかかって捕まえようとした瞬間、隣の家の敷地内に入っていった。そこでワンと吠える。
私も中に入ったところ、信じられない光景を目にした。
なんと、玄関の前で初老の女性が倒れていたのだ。
「うわああああ。人が倒れてるぅうう。お巡りさんに電話しなくちゃあああ」
ピコパコ、ピコパコ。
私はすぐさま、トロンボーンを入れているバッグから取り出したスマホで110番した。すぐに繋がった。
「あっ、おまわりさんですか? 大変です、人が倒れています……ええと、住所ですか? 住所はですね……」
私は、表札にある名前と住所を警察に伝えながら、事態を頭の中で把握した。どうやらこの柴犬は、飼い主の危機を感じ取り、助けを呼びに来たのだ。犬小屋があり、その紐の先端が千切れた跡がある。力づくで、千切ったのだろう。人間は時として火事場の馬鹿力を出す場合があるが、なんとそれは犬だって同じだったのだ。飼い主の命を助けるためにこの柴犬は火事場のクソ力を出して、私を呼びにきたのだ。
犬というのはどうやら、すさまじい知恵と勇気を持っているらしい。
その後、救急車が訪れ、老人を搬送していった。救急車がくるまでの間、私は老人のポケットをまさぐり、そこから取り出した携帯電話を操作して、老人の通話履歴を開いた。そして、家族らしき者に電話した。普通、着信には上の名前で登録するものだが、時々、下の名前で登録する場合がある。田中太郎という名前の場合、『太郎』というように。
親しい人であれば、そういう傾向が強く、私は家族である可能性が高いと推察。見事、下の名前で登録した人に電話したところ、家族だったわけだ。家族でなかったとしても、下の名前で登録して、直近で話していた経緯がある人ならば、親しき人である可能性が濃厚と判断。その人に事情を話して、家族に老人が倒れたゆえを伝えてもらうという算段もあった。
老人が搬送された後、息子さんらしき人がやってきて、柴犬を引き取ってくれた。
息子さんは病院に連絡して、老人の容体を訊いていたようだ。もう少し通報が遅れたら危なかったということだ。
ところで私、110番をしたのだが、警察ではなくて、病院に直接電話した方がよかったのだろうか? それとも消防署に電話すべきだったのかもしれない。たしか、幼い頃に消防署に見学に行った時、車庫に救急車らしき乗り物もあったような気がする。
あっ!
私は絶句した。
とんでもない事実に突き当たったのだ!
私は――消防署へ通報するための『番号』それ自体を覚えていない! ガーン。
数学関係に苦手だったが、まさか円周率よりも重要度が高いと思われる、消防署への電話番号さえ覚えていなかったとは。
数字――おそるべしだ。私との相性は、とても悪いようだ。
なお、気になったのでスマホで調べてみたところ、消防署は119番。海難事故は118番らしい。
海難事故なんて番号があったのか。知らなかった。
どちらにせよ、これで散歩の続きができる。スカートがボロボロになったが、まあ仕方がない。人の命が助かったのでよしとしよう。
私は、河原にやってきた。
「ウサミ、今日はここでトロンボーンの練習をしようかな」
ケースを開けようとしていた時だ……。
びゅーん。
石が飛んできた! 私はびっくりして周囲を見回したら、5歳ぐらいの子供がいた。この小が石を投げたのだ。
「こらあ! 人に向かって石を投げちゃ駄目でしょ」
小っちゃい子は、口を尖らせた。
「だって、ボク、姉ちゃんの隣の缶を目がけて投げていたんだよ。そこに座ったのお姉ちゃんの方だもん。近くに立つから悪いんだい」
「そうだとしてもダメでしょー」
「わー、逃げろー」
「こらー! まったく……」
5歳ぐらいの子は遠くの家の中に入っていった。私が5歳ぐらいの時もあんな感じだったろうか? いや、もっとおしとやかだったはずだ。
さーて、では練習でもしようかな。
私はトロンボーンを取り出した。犬に転ばされた時に、結構、ガンと地面に落ちたので、心配していたが、耐久性とクッション性の高いバッグのようで、中身のトロンボーンは全くの無事だった。
私は『いつも何度でも』のソロの演奏を練習した。
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