第10話

 放課後。私たちトロンボーン1班はいつものように生徒会室で演奏練習をしていた。


 調律が合って、滑らかなメロディーが紡がれる。


 演奏が終わると陽子が、微笑んだ。涼も満足そうに、頷いている。


「私たちの音が、とても合ってきたのだ。こりゃあ、すっごい進歩なのだ」


「そうだねー。みんな上手になってきている。特にうさと龍崎さんの上達ぶりが顕著だね」


「「えへへ」」


 涼に褒められ、私とふみちゃんは一緒に、照れながら頭をかいた。


「そりゃ、上手くなってなかったら落ち込んじゃうよ。ウサミたち、もう何百時間も練習してるんだもん。夜、寝る時までアルちゃんと一緒にいるんだよ」


「寝る時まで? うーたん、まさか真夜中に吹いているんじゃないのだ……」


 私は、かぶりを振った。


「ううん。吹いちゃ駄目だとお姉ちゃんにいわれているから、吹いていないよ」


「住宅地で、真夜中に楽器なんて弾いたら、近所から苦情が殺到するからねえ」


 私は主に、家では吹かずに手だけを動かす『シャドートレーニング』なるものをしていた。


 ふみちゃんは、残念そうにいった。


「こんなに上達しているんですぅ。これで全国大会に出場できれば、願ってもないことですけどねぇ」


「だよねー、ウサミもそれを強く思うよ」


 現在、私たちマーチング部は朝練、昼休み、放課後の20時までと、ハードな練習量をこなしている。


 朝練は1時間半、昼休み30分、放課後5時間。


 合計、平日で約7時間の練習時間を確保しており、これがうちの学園のマーチング部が強豪である理由の一つだ。実力は練習量に比例するのだ。


 しかし、三出制度が復活した今年、私たちの部は、マーチングバンドの大会も吹奏楽の大会も、どちらにも出場する資格がない。


「何時間も練習時間を確保しているといっても、ウサミたちの班ってさ、おしゃべりしている時間の方が、練習時間より、長くないかなあ?」


「いえてるのだ、いえてるのだ。うーたん、するどいのだ。よく気がついたのだ。あははは」


 あはは、と笑う陽子の隣で、涼がいった。


「まだ1学期だし、飛ばして練習しても仕方がないよ。他の班もきっと抜いてるんじゃないかな。今年度の目標は、大会に出場して金賞を狙うことじゃなくて『数多くの楽曲に挑戦して、楽しく過ごす』だからさ」


「だねー」


 その後、私たちは去年のコンクールでの出来事などを陽子と涼から訊いた。コンクール、早く出場してみたい。来年が待ち遠しい。


 陽子が、突然私をじっと見つめた。


「ところで、どうしたのだ、うーたん?」


「なにが?」


「今日一日、ソワソワしているようにみえるのだ。私は気がついていたのだ。朝からそんな感じがしていたのだ。何か良いことでもあったのだね?」


 ええええ!

 唐突にいわれたので驚いた。でも、確かにその通りだ。


「な、なんで分かったの?」


「だって、顔に書いてあるよ」


 なるほど、私はどうやら、顔に現わしやすいタイプのようだ。


 まあ、いいや。


「えへへ、陽ちゃん、聞きたい? 当ててみてよ」


「あっ! 分かったのだ! 男関係なのだな」


「ブー」


 続けて、ふみちゃんがいった。


「愛じゃないのなら、お金かなぁ。登校中に大金の入った財布でも拾ったかとかぁ?」


「ブーブー。ふみちゃんも、ブー。ちなみに、財布を拾ったら、お巡りさんに届けてくださーい」


 涼は、腕を組みながらいった。


「愛でもお金でもないとなると、僕には分からないな。これ以上の回答は思いつかないよ。うさ、降参だ。どんないいことがあったのか、教えてよ?」


「みんな、発想が貧弱だなあ。ほら、ウサミたち、もう少しで夏休みに入るじゃない。楽しみだなあって思ってね。るんるん」


 陽子が、机をバーンと叩いた。


「うーたん、きみは小学生かー! 確かに夏休みが楽しいものであることは、私も否定しないのだ。でも、まだまだ日数があるのだ。今日、ようやく7月になったばかりなのだ」


「ええっー。今から夏休みまでを指折って数えるのがいいんじゃない。こういう待つ時間も、楽しみの一つだと、ウサミは思うんだよなあ」


 涼は、頷いた。


「……まあ、うさのその楽しみな気持ちは分からなくもないかな。僕だって、今からどんなことをして夏休みを過ごそうか考えているからさ」


 ふみちゃんが訊いた。


「涼先輩はぁ、なにか夏の計画があるんですかぁ?」


「具体的には決めてないけど、夏って山に行くのも、海に行くのも、どっちもありな季節だもんね。祭にも行きたいし」


「祭かあ、ウサミも行きたいな。隣町の祭は花火が有名で、毎年数万人集まるよね」


 隣町は普段は静かだが、祭りの日は大賑わいになるのだ。


 去年も一昨年も陽子と涼と一緒に行った。


「陽ちゃんは何か夏休みにしたいことってあるの?」


「私はね、スイカを食べまくって夏を過ごすつもりなのだ。夏といえばスイカと花火。これに限るのだ。うーたんは何が楽しみなのだ?」


「ウサミはね、夏休みといったら、自由研究が一番楽しみかな。いつも、先生に褒められるんだもん。植物の観察日記。成長の記録を絵を描いてつけるんだよ。るんるんるん」


「自由研究? うーたん、自由研究をするのが、楽しみなの?」


 陽子が、不思議そうな顔をした。


「うん……毎回、植物さんの成長を絵にして記録しているんだけれど……というか、夏休みじゃなくても、もうすでに日頃からやってたりしてね。えへへ」


「うさ……知っていると思ってたけど……中学校って自由研究はないんだよ」


「えっ?」


 ど、どういうことだろう。


 ふみと目が合った。ふみは申し訳なさそうにいった。


「ウサミちゃん、本気なのぉ? 自由研究って小学校までの定番の夏休みの宿題なんだょ。ちなみに、私たち1年生の子で、中学の夏休みにもまだ自由研究があると思っているの、ウサミちゃんだけじゃないのかなぁ……」


「がーん。ほ、本当に? てっきり、中学校にもあると思っていたよ……」


「ところでぇ、夏休みの話題で盛り上がっているところぉ、水を差すようで申し訳ないのですけど、残念な報告がありますぅ。どうやら今年は猛暑らしいのですぅ」


「「「えー?」」」


「昨日のニュースで天気予報士がいってたんですぅ。今年は数年に一度の猛暑になるんですって」


 陽子は、耳に手を当てて、勢いよく顔を左右に振っている。


「うわあ。ふーみん、今の、私は聞かなかったことにするのだ。暑いのは嫌なのだ」


「陽子先輩、聞かなかったことにしても、気象は私たちの都合で変わってはくれません。ここは、覚悟を決めてどっしりと待ち構えるべきだと思いますぅ」


「猛暑に?」


 ふみちゃんは、頷いた。


「はい。猛暑にですぅ。ちなみに明日もフェーン現象というものが起きて、真夏日になるらしいですょ。30度は軽く超えるそうです」


「うっそー、まだ7月になったばかりなのだよ?」


「フェーン現象は5月から秋までにかけて起きやすい現象で、明日30度を超えてもおかしくありませんょ」


 沈黙。


 私は、手をあげて提案した。


「でもさ、冷房のあるこの生徒会室から出なければいいんじゃないのかな」


 ふみは、頷いた。


「そうだねぇ、この生徒会室はクーラ―完備されているし、涼しいもんねぇ」


 フェーン現象対策は、エアコン。これで明日はばっちりだ。


「それにしても、暑さとは侮れないものなのだ。平安時代とかそこらへんの時代の人は、夏を基準にして家を建てていたそうなのだ」


「陽ちゃん、そうなの?」


「だって冬だったら、寒くても羽織れば我慢できるのだ。一方、夏はすっぽんぽんになる以外は我慢できないのだ」


 私は、頷いた。


 確かに、陽子のいうとおりだ。


「涼しくする方法としては、うちわであおぐ方法もあるけど、あれって意外に手が疲れるんだよね」


 みんな、頷いた。


「まあ、フェーン現象が起きるという明日は、この部屋での班別練習になることを祈ろうか。でも、7月になったし、グラウンドや体育館での行進練習が、そろそろ始まる季節だからね」


 この日は、おしゃべりもそこそこに、課題曲の練習に取り組んだ。そして20時に解散。


 明日は日曜日だ。日曜の練習は、午前8時から夕方までが通常だ。そして、日曜日は、音楽室でマーチング部が全員が集合する曜日でもあり、合同練習を行う時でもあった。

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