第6話

 車内でワイワイする。134名も運ぶので、バスは1台だけでは足りず、3台も必要となった。


 今年は全国大会にこそ出場しないが、毎年結果を残している部のため、バス代などに使える部費が、比較的多めに出てるらしい。


 目的地は、ここから4つほど山を越えた場所にあった。観光地として栄えており、レジャー設備が充実しているキャンプ場だ。


 バスが停まると、私たちは外に出た。空気を胸一杯に吸い込んだ。


 何だか、すがすがしい気分になる。


 引率者である姉が、号令をかけた。


「みなさーん。集合してくださーい」


 134人のマーチング部員が、姉の周囲に集まった。


「これから班ごとに分かれてテントを立てまーす。こちらで用意したテント一式を持って、各自指定箇所内であれば好きなところで立てて構いませーん。前年のやり方を忘れたって人は、今からこちらの係員さんが実演してくれくれますので見てくださーい」


 トロンボーン1班の私たちは、互いの顔を見合った。


「どうするの、陽ちゃん?」


「いい場所を取るのなら、早めにテントを立てた方がいいのだ」


 そういいながら、陽子はテント一式が入っているバッグを持ち上げた。重いようで、私とふみちゃんも手伝った。


 うんしょ、うんしょと運んでいく。


「ところで陽子先輩、テントの立て方は、ちゃんと覚えているのですかぁ? 夜、寝てる最中に崩れてきたりとかって、嫌ですょ!」


「立て方? うんにゃ? 全然、覚えていないのだ。でも、いい場所を取りたいから、勘で立てるのだ。実演を見ているうちに他の班にいい場所を奪われるのを阻止するのだ。寝ている時に崩壊するもしないが、運次第なのだ!」


「えぇー。覚えていないのだったら駄目じゃないですかぁっ! 運に任せないでくださぃ」


「そうだよ、陽ちゃん! 運に頼っちゃダメ!」


 結局、涼も立て方を覚えていないということで、係員さんが実演するテントの張り方を見学することにした。なお、その実演で立てたテントは姉のテントとなる。


 私たちは、姉すぐ隣にテントを立てた。


「おおー。かなりの上出来なのだ。立派なテントが立ったのだ」


「なんだかテントが立っているのを見ると、キャンプしにやってきたって気がするよねー。ウサミ、テントで一夜を過ごすの、初めてだよ。ワクワク! ウキウキ!」


「中に入ってみるのだー」


 私と陽子は中に入ってみた。テント特有の匂いがした。まるで、秘密基地にでもやって来たような、そんな気分になる。


「広いのだ。広いのだ。さーて、寝るのだ」


「陽ちゃん、まだ寝る時間じゃないよ。これからウサミたち、行進練習をするんでしょ?」


「それは、行進練習とは名ばかりの散歩なのだ。どうでもいいのだ」


 外から姉の声が聴こえた。部員たちを呼んでいる。


「みなさーん、テントが全て完成した班から、集合してくださーい」


「「「はーい」」」


 部員達が、一斉に返事をした。


 テントを出ようとしたら、陽子が既に寝ているのに気づく。体を揺するも無反応だ。


「おーい。陽ちゃん、寝るの早すぎだよ。起きてよー」


「うさー、どうしたの?」


 振り向くと、涼とふみちゃんが、テントの中を覗いていた。


「陽ちゃんが、眠って動かないの」


「仕方のない奴だなあ……」


 涼が、顔をしかめた。


 陽子は、目を半開きにして、ボソリといった。


 「ふーみんが、起こしてくれるのなら、起きるのだ……」


 寝たふりをしてたのか。


 ふみちゃんが、渋々といった様子でテントの中に入った。


「えー、面倒臭い。まったく、自分で起きてくださいょ」


 陽子の腕を掴んで立たせようと引っ張る。


「よいしょーっとぉ」


「隙ありなのだー」


「あわわわわぁわわわぁっー」


 陽子は、ふみちゃんを逆に引っ張って、転ばせた。抱き締めると、頭をなでなでしている。


 ドゴン……。


 私たち4人がテントから出た時、陽子の頭には、ふみちゃんによって作られた大きなタンコブが出来ていた。陽子は、痛そうに撫でている。


「冗談なのに……。ひどいのだ」


 自業自得。誰も慰めなかった。


「みなさーん、これから練習しまーす。行進練習でーす」


「「「はーい」」」


 部員たちが、返事をした。


「では、2列になってくださいーい。なお、本日の夕食ですが、材料を買ってはおりませーん。うふふふふ。なので、進の道中に山菜が生えているのを見つけたらそれを夕食にしますので、摘んでくださいねー」


「「「っええええ!」」」


 姉は、爆弾発言をした。私たちは誰もが、目をぱちくりさせている。


 行進練習とは名ばかりのただの散歩かと思ったら、夕食をかけた山菜摘みの半サバイバルじゃないか。


 バーベキューはどうなったのだろう? 私は冗談だと思うことにした。


 私たちの歩く道は、完全な山道で、獣道に近かった。かろうじて人間が通ってもいいと認識できる程度だ。


 登りだったり下りだったりして、体力が一気に消耗していく。とても疲れる。しかし、そうした疲れも心地よくも感じれる瞬間があった。途中、野生のシカの姿が見られたりして、心が和むのだ。


 ふみちゃんが、息を切らしながら涼に訊いた。


「あの、涼先輩。私たちたち、ここに一体何をしに来たのでしたかぁ?」


「……マーチングの練習だと思う。っで、これが行進練習」


「私には、行進練習というよりも、必死に夕食を探しながらの、登山をしているだけに思えるのですがぁ」


 ふみちゃん、顔が真っ青だ。今度は陽子が、心配そうに私に訊いた。


「ねえ、うーたんに訊きたいのだ。北陸先生、本気で今夜のご飯、山菜だけで済まさせようとしているの?」


 私は、首を傾げた。


「さあ。食材はちゃんと用意していると思うけど……分からないよ」


「北陸先生は、やるといったらやる人なのだ。発想が凡人の域を越えているのだ」


 陽子は、小学校低学年の頃、随分と姉の突飛な行動に振り回された過去を持つ。涼も同様である。昔の姉なら、おそらく本当に夕食の食材は用意していないだろう。


 その後も、山菜を探しながら山道を進んだ。中々見つからない。手持無沙汰に歩いていると、前方の茂みで何かが、ゴソリと動くのが見えた。


「なんだろう……」


「どうしたの? うーたん?」


 突然、立ち止まった私を、陽子は不思議そうな目で見つめてきた。


「なんだかね、ガサリと動いたの。なんだか、ほら。ほら今、黒っぽいものが現われて……って、えええええええ!」


「「「あっ」」」


 気づいた者たちが、一斉に声を漏らした。


「クマだあああああああー」


 陽子は、叫んだ。


 他のみんなも、陽子に注目し、指している方角を見た。


 そして……。


「「「うわああああーーー」」」


「みなさーん、逃げてくださーい! 死んだ振りしたら助かるというのは迷信でーす。逃げてくださーい」


 姉は、大声で指示を出した。


 私たちは、一目散に逃げた。


 どれだけ、走っただろうか。整理されていない道を走るのがこれほどまでに体力を使うものだとは思わなかった。しかし、命がかかっている場面では、不思議なもので、どれだけ疲れても足が止まらなかった。クマは定距離を保ちながら、後をついてきている様子だ。


 まさか有名どころのレジャー施設でクマを見かけるとは思わなかった。クマは、やがて追ってこなくなった。


 キャンプ場まで逃げ戻ると、係員にクマと遭遇したことを伝えた。係員によると、鈴を鳴らしながら歩かないと、たまに現われるらしい。


「怖かったですー。食べられちゃうかと思ったですー」


 姉が係員に、泣きながら訴えた。係員の話によると、クマが危害を加えてくることは稀らしい。


 空腹の時、以外は……。


 その後、私たちは演奏練習を行った。ここにきて、ようやく他のトロンボーン班とも合流して、楽器別での演奏練習を行った。


 トロンボーン班は、私たち1班の他に2班と3班がある。


 班全体のリーダーは涼で、彼が中心となって音合わせを行った。休憩中、私は同じ一年生の子たちに話しかけた。みんな、性格の良さそうな子たちばかりで、トロンボーンについて熱く語った。


 トロンボーンは裏方役だ。決して自己主張してはいけない。サックスなどの他の楽器と比べて、ソロ向きではないと思う。


 しかし、トロンボーンの性質と出番処を理解しているバンドは、とても格好良くみえるのだ。トロンボーンは、バンド全体の空気を調律する力を持っているといえるだろう。


 この日、クマとはもう二度と会わないと思っていたが、その後、再び対面することになった。

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