第4話

 しばらく練習をしてみて、どうやら当面の目標は、トロンボーンの音をちゃんと出すことだろうと思った。そして、楽譜の読み方も覚えなくてはいけない。


 放課後、部活のために、再び私たちは生徒会室に集まった。


 朝と同じように、コーヒーとお茶を淹れて談笑から始まった。


 この生徒会室は、なぜかお菓子が常設されている。陽子と涼が家から大量に持ってくるのだ。先程、ケーキも食べた。彼ら父は、従兄弟と共同経営で洋菓子店を営んでいる。母は和菓子屋で勤務している。賞味期限が切れそうな、廃棄候補のお菓子が事欠かないのだ。私は、せんべいを齧りながら涼に訊いた。


「ねえねえ、涼くん。他の班もお菓子を食べているのかな?」


「さあどうだろう。でも、どっちでも気にしなくてもいいんじゃのかな」


「そうだよ、うーたん。うちはうちなのだ」


 ばりばりばり。


 ばりばりばり。


 遠慮なく、ばりばりばりとしながら話に花が咲き始めていた頃、姉がやってきた。


「こらあ。みなさーん、練習をせずに一体なにをやっているんですかあー?」


 ふみが、慌て始めた。


「あっ、北陸先生、す、すみませんでしたぁ」


 姉は、そのまま歩いてきて、椅子に座った。


「ケーキの食べ跡ですねー。私の分は、残してあるのですかあ?」


「うん、先生の分もちゃーんと残してあるよ」


 陽子は、姉の分のお茶も淹れて、冷蔵庫からケーキを取り出した。


「わーい。美味しそうですね。陽子ちゃんのお父さんの店のチーズケーキ、また美味しいんですよねー」


「あ、あれ? お姉ちゃん。お姉ちゃんも食べちゃうの? 注意しないの?」


 私は、ただただ、姉を見つめた。


 ふみも、恐る恐る訊いた。


「先生なのに、怒らないのですかぁ? 学内でお菓子とかを食べていてもぉ」


 姉は、人差し指を口元に持ってきた。


「内緒よ。私は、楽しく日常生活を送る、がモットーだから」


「そうなんですかぁー」


 姉も含めて、ティータイムを楽しんでいると、生徒会室のドアが開いた。


「あっ。先生、こんなところにいたであります!」


 一人の女が入ってきた。彼女はマーチング部部長の神宮律子だ。


「先生、休まないでください。みんなの指導をしてほしいであります!」


 部長、プンスカと怒っているようだ。陽子がいった。


「律子、別にいいじゃないか。怒ると体に悪いのだ」


「ふざけないでっ! あれほど、部活中に飲食をするなと注意したのに、あなたはやる気はあるのでありますかっ!」


「まあ、まあ……」


 涼が、なだめた。


「涼さん……だって駄目でありますよ。今は練習中ですから。涼さんだって真面目にやってほしいであります」


 なぜか部長は、涼とは目を合わせようとはしない。若干、頬が赤らんでいた。明らかに陽子と対応が違うように思えた。


「とにかく、さあさあ。先生、フルート班が新入生に指導するの、苦戦しているみたいなのであります。来てくださいであります」


「えー、まだ先生、ケーキ食べている途中なのにぃぃ」


 姉は、フォークを口にぱくりと咥えて、上目使いで部長を見つめた。


「そんな目で見ても駄目であります! こんなのがあるからいけないのでありますね」


 部長は、どしどしと歩いて来て、姉の食べかけのケーキを掴むと一口でパクリと頬張った。頬を膨らませてモグモグしている。カップも手にとり、ゴクゴク飲む。


「ああ。私のケーキ。ティーが……ひどいですよぉー。神宮さん」


 姉は、涙目になった。


「さあ。これで先生がこの部屋に居続ける理由はなくなったであります。行くであります」


 部長は、姉の手を引っ張って、連れて行った。


「先生、ケーキ楽しみにしてたんですぅ。もっと食べたかったですぅー」


「駄目です! 先生はもっと顧問としての自覚を持つでありますっ!」


 姉、拉致られた。


「………………。そろそろ私たちも、練習を始めよっか?」


「うん」


 トロンボーンの練習を開始した。昨日よりはかなり上達したと実感できた。


 そして、この日、外も暗くなってきた時に音楽室で集まって、私たち新入生は、二年生と三年生の演奏を聞いた。


 演奏はこれから練習をするという曲『やさしさに包まれたなら』だった。圧倒された。私とふみちゃん、そして他の新入生も感動している傍ら、これだけのレベルに到達できるか、不安げな顔でもあった。おそらくは、私も同じ顔をだっただろう。


 なお、私のトロンボーンの名は陽子によって『アルちゃん』と名付けられた。『アルテマウェポン』というものの略称らしい。


 『アルテマウェポン』……。


 なんだ、それは?

 なんにしても、私とアルちゃん。陽子、涼、ふみちゃんでの部活動は、本格的に始動した。

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