第2話

 式の後には、クラスに戻って、今後の授業の受け方などの説明を受けた。初日のカリキュラムが全て終了すると、私たち新入生は帰宅のために玄関に向かった。そんな中、私は陽子と涼と約束をした部見学に行くことにしているので、音楽準備室へと向かった。とはいえ、今日は部活がお休みらしく、部屋の中を案内してもらうだけになる。


 2人とも、私以外の新入生を中等部校舎の玄関前で勧誘するということで、30分ほど遅れるといっていた。


 私は、音楽準備室前に到着すると、しばらく立って待っていた。そんな時、ふと、隣の音楽室のドアが僅かに開いていることに気がついた。周囲を見渡して、誰もいないことを確認すると、音楽室の中を覗いてみようと思った。完全に気のせいだろうが、何者かが私を呼んでいるように思えたのだ。


 窓が開いており、カーテンが風になびいていた。窓から見える桜の無数の花びらは、音楽室を横切るように流れていく。


 音楽室の部屋の造りは、他の教室とは、異なっているようだ。というのも、教壇を前に席が放物線上になっていて、列が後方になるごとに高くなっているのだ。


 こうした部屋の造りは、テレビドラマなどで見たことがある。大学の講義室と一緒だ。私は、ドアをそっと開けると、部屋の中へ足を踏み入れた。好奇でいっぱいの目で教室中を見まわした。


 奥の部屋は、音楽準備室になっているらしく、音楽室からも繋がっていた。ガラス窓から覗くと、様々な楽器があった。


 ふと物音がしたので、振り返ってみると、陽子と涼が音楽室に入ってきたところだった。


 涼が、手を挙げながら向かってきた

「いやあー。ごめんごめん。うさ、待たせちゃったみたいだね」


 私は、かぶりを振った。


「ううん。そんなことないよ。でも、勝手に音楽室に入っちゃって、ごめんね」


 陽子は、手をパタパタとさせた。


「んーなの、構わないのだ。それより、うーたん、どう、どう? この教室? 結構、雰囲気でているでしょう」


「うん、本格的に音楽をするための教室って気がしたよ」


「うちの学校って色々な意味で変わったところがあるんだけど、ちゃんとしてるところはちゃんとしているのだ。さあさあ、うーたん、座ってみるのだー」


「座る?」


 陽子は、私の手を取って、音楽室内の通路階段を歩いた。中ほどで2つの長机に挟まれた通路に入ると、そこにある腰掛け椅子を倒し、私を座らせた。その横に陽子自身も座り、涼もにこにこしながらその隣に座った。


「どうどう。ここからの眺め。私、初めて座った時、なんでか分からないけれど、ああ……中学生なのに音大生になったのだなって、感動したのだ。うーたんは何か感じた?」


 私は、首を傾げながら笑った。


「よく分からないなあ。でも、悪くはない気分かな」


「うささへよければ、ここでこうして並んでさ、一緒に演奏しない? もちろん、うちは吹奏楽というより、マーチングが主体だから、立ち練習もあるんだけどね」


「そうだよ。うーたん、一緒にここで演奏するのだ。自分で作った音をみんなの音と合わせるの、すっごく気持ちがいいのだ。一度でもやればハマるのだ」


 陽子が再び、私の腕を掴んで、絡まってきた。


「陽ちゃん、今日はウサミにくっつき過ぎだよー」


「だって、離したくないんのだ。他の部にうーたんをとられたくないのだ」


 私は苦笑した。前を向いて、この位置から、自分がフルートなんかを優雅に演奏している姿を思い浮かべた。


 悪くはない、と思えた。


 この学園では、部活動に必ず入らなくてはいけないらしい。帰宅部というものが存在しないのだ。


 部活動をせずに帰宅できる生徒は、病院に通っているなどのしっかりした理由のある生徒のみで、理由なく帰宅した場合、授業をサボることと同様ようにみなされるという。部活動への欠席がひどかった場合、進級できない怖れもあると、先程のオリエンテーションで説明された。


「ねえねえ、うーたん、うちに入るのだ? 私たち、うーたんと一緒に演奏したいのだ」


 陽子が、私の腕をぶるんぶるんと揺らしてくる。


 私は、ニコリと微笑みながら頷いた。


「いいよー。ウサミ、ここに入部してみよっかなー。本当は実際に活動しているとこも見学したかったんだけど……」


「本当? わーい。ナイス決断なのだよ、うーたん! やっているところを見学なんてしなくても、入部したら毎日でも見学できるのだ」


 その理論はちょっと強引だろうが、まあいいや。


 陽子は、はしゃぎながら私に抱きついてきた。涼を見ると、今日一番の笑顔になっていた。


 だから、この部への入部で、いいのだ。


「決めてくれてよかったよ。これからもよろしくな、うさ」


 入部の決心は、あっさりとついた。特に断る理由はなく、私も気心の知った友人たちと一緒なら、楽しい時間を過ごせると思った。


 学園では、数日間の部見学の時期が設けられていた。新入生はこの時期に、部体験や見学などをして、在籍する部を慎重に見極めるのだ。


 この学園の部活動は、運動系・文科系のどちらもかなり活発のようだった。天文学部という部もあり、妙に心が惹かれたが、放課後はいつも陽子が私をマークしにきていた。


「陽ちゃん、そんな毎日私をマークしなくったって、気持ちは変わらないよ。それに陽ちゃん自身、部活動しなくていいの?」


「マークなんてしてないのだ。部活動もしてるのだ。うーたんを他の部からの勧誘を、ブロックするっていう活動なのだ」


「ブロックだなんて、そんな大げさな」


 ちょっと、驚いた。


「うーたんは知らないのだ。うちの学校って、入部者の熾烈な取り合いが行われているのだ。私の友だちにバレーボール部Cクラスってとこに所属してる子がいるのだけど、彼女は探偵を雇ったり法に触れるような行為までしてまで、入部者を獲得しようとしてるくらいなのだ!」


「それはさすがに、嘘でしょー」


 陽子は、ゆっくりとかぶりを振った。長年の付き合いを持つ私が、彼女の表情から察する限り、どうやら嘘ではないらしい。


 数日後、私たち新入生は、入部届を学校側に提出した。それは受理され、私は正式にマーチング部の一員となった。


 私が担当することになった楽器は、『トロンボーン』という楽器だ。陽子と涼がどちらもトロンボーンを吹いており、私を自分らの班へ強く推薦したのが、その経緯だ。なお、班は基本的に4人構成で作られている。トロンボーン班は他にもあるらしい。私たちの班名は正確にいうと《トロンボーン1班》という。


「トロンボーン?」


「すっごく、楽しい楽器なのだー。トロンボーンっていうのは、自己主張はしないのだ。主人公になれないけど、名脇役にはなれるという、縁の下の力持ちの楽器なのだ。バスケットでいうなら、リバウンドをたくさん決めれる人だね、トロンボーンってそういう楽器。とっても大事なのだ」


「最初は、難しいかもしれないけど、慣れると、うさならすぐに上達すると思うよ。頑張ろう。僕らも力を貸すから」


「ウサミ、頑張るね!」


 トロンボーン。なんだか吹くのが楽しみになってきた。


 ただ……今、現在。気になることがある。私は部屋を見回しながらいった。


「………………それにしても、この部屋……いいのかな?」


「うーたん、気にしなくていいのだ」


「本当に、いいのかなあ……。こんなに机の上に……」


 私たちは、なぜか生徒会室にいた。しかも、お茶を飲んでくつろいでいる。お菓子も机にどっさりと出されていた。どら焼きだらけだ。


「僕らの部は、大所帯だから、各班が色々な教室に散って練習しているんだよ。丁度、生徒会室が空いていたから、僕たちはこの部屋を使わせてもらっているわけ」


「でも、突然、生徒役員さんたちがやってきそうだなあ……なんかヤダなー」


「うーたん、生徒会役員なら、ここにいるのだ!」


「えっ」


「生徒副会長は、私なのだ」


「うっそー」


 私は、口に手を当てながらいった。


 陽子が生徒副会長だったなんて、初めて聞いた。


「信じられないよ。生徒会役員って、もっとしっかりした人がなるんじゃないの?」


「ぶー、ぶー。失礼なのだ! 私しっかりしてるのだ」


 涼を見ると、苦笑しながら頷いた。嘘ではないようだ。


「本当だよ。だから、この部屋にいても気兼ねする必要はないよ」


「陽ちゃん……生徒会役員してるの?」


「うん。ちなみに涼は書記なのだ」


「そうだったんだー。知らなかった」


「といっても高校と違って、中学校の生徒会なんて、ほとんど活動しないも同じなのだ。学園祭とか大きなイベントの時にちょっと忙しくなるだけなのだ」


 陽子は、コーヒーのおかわりしながらいった。2人ともこの部屋の関係者だったわけか。


 ところで……。


「練習は、いつ始めるの?」


「もうそろそろだよ。もう1人うちの班に配属されているんだ。クラスの子によれば、担任に仕事を頼まれて遅れてくるらしい」


「しかーし、理由があろうがなかろうが、初日から遅刻なんてなっとらんのだ!」


 陽子が、コーヒーの汁を飛ばしながらいった。


「陽ちゃん、落ち着きなよ。でも、どんな子だろう」


 いい子であればいいのだが。


 私たちは、談笑しながら、私たちの班に配属されたもう1人の子を待った。


 15分ほどした後、生徒会室のドアが開いた。


 ドアの隙間から、小っちゃい顔が覗いている。アイドル顔の女の子のようだ。


 女の子は、躊躇いがちにいった。


「あの……トロンボーン班は、こちらで良かったですかぁ?」


 私たちは、じっと女の子を見つめた。突然、陽子が目を輝かせ立ち上がり、ドアのところにいる女の子に飛びついた。


「かわいいぃー。超好みなのだ。私のヨメにしてあげるぅぅのだ」


「きゃーーーーー」


 悲鳴をあげられた。陽子は変態おやじの如く、がっしりと女の子を抱き締めている。


 涼は、すぐさま手刀で陽子の頭を叩き、引き離した。女の子は、何が起きたのかわけが分からないといった様子で、涙目になっていた。


 それは私も同じだ。


 涼は、にっこりと微笑みながらいった。


「ごめんね、突然。この人は基本的には馬鹿だから、許してあげてね。根は悪い奴じゃないからさ」


「は、はあぁ……」


 陽子は、頭を痛そうに抑えて、うずくまっている。私は、そんな彼女に声をかけた。


「陽ちゃん、ウサミもびっくりしちゃったよ。頭、大丈夫?」


 私は、陽子の頭が心配になった。


 いろんな意味で。


「だ、大丈夫なのだけど、いたーいのだ」


「おまえは自業自得だぞ。っで……」


 涼は、女の子を振り向いて訊いた。


「僕は立花涼。彼女は立花陽子。一応、僕の姉。っで」


 涼は、私に視線を向けた。


「彼女は君と同じ1年生の安藤宇佐美。これから4人で頑張ろう。宜しくね」


「え、は、はい。宜しくお願いしますぅ。私、龍崎ふみといいますぅ」


 龍崎ふみという名前か。いい名前だ。


 ふみちゃんは、頭を下げて挨拶した。


 陽子は、頭を撫でながら立ち上がって、じっとふみちゃんを見つめた。


「ふーみんと呼ぶのだ。これから毎日のようにお姉さんが可愛がってあげるのだ、むふふ。むふふ」


「ひぃぃぃぃー」


 ふみちゃんは、怖がった様子で後ずさった。涼は、陽子を睨んだ。


「こらこら。そんなことをしたら、嫌われるぞお。転部されるぞ」


「そ、それは困るのだ……」


 2人を横目に、私もふみちゃんに挨拶した。


「宜しくねー。仲良くしてくれたら、ウサミは嬉しいな。ふみちゃんって呼ぶね」


「う、うん。よろしくねぇ」


 握手を交わした。手が柔らかかった。


 ドアから声が聞こえた。


「自己紹介は済みましたかー。みなさーん」


 振り向くと、そこには姉がいた。姉の勤務先はこの学園である。ただし、中等部ではなく、高等部のはず。


 どうしてここにいるのだろう。


「あれー、お姉ちゃん、何やってるの?」


「龍崎さんを案内してきたのー。だってお姉ちゃんが、今年度からこのマーチング部の顧問になるんだもーん」


「そ、そうだったんだ。ウサミ、初耳だよ。そうなら、もっと早く教えてもらいたかったよ」


「だってー、だってー。早めに教えたら、サプライズにならないじゃない。うさちゃん、驚いたでしょー?」


 私は、かぶりを振った。


「ううん。全然」


 まあ、実をいうと、ちょっとだけは驚いた。


 姉は、どういうわけか私の反応にショックを受けたみたいで、驚愕の表情を浮かべた。


「ガーン。お姉ちゃん、ショックだよ……オヨヨヨ。オヨヨヨー。わざわざ、驚かせたくて、陽子ちゃんと涼くんに内緒にしておいてって頼んでいたのにー」


 姉は、オヨヨヨ、と嘆き始めた。


 陽子と涼が、フォローする。


「泣いちゃ駄目なのだ。北陸先生!」


「そうですよ、北陸先生。ちょっと狙い過ぎたのかもしれません」


 ちなみに、姉の名前は『安藤北陸』という変わった名前だ。不思議と、生徒からは『安藤先生』ではなく『北陸先生』と呼ばれることの方が多いらしい。


 私も、フォローした。


「お姉ちゃん、ウサミ、実はすっごくお姉ちゃんのサプライズに驚かされたの。ありがとうっ。正直にいうと、驚き過ぎて、心臓が口の中から飛び出るかと思っちゃった」


「本当? でも嘘だよ、うさちゃん、全然驚いた顔をしていなかったんだもーん。お姉ちゃん、それくらい、わかりますよーだ」


「お姉ちゃん、それはサプライズ過ぎて、ウサミがポカーンとしていた顔だよ。わーいわーい。お姉ちゃんとも一緒に部活ができるだなんて、夢のようだよ。ばんざーい。ばんざーい」


 私は、無理にはしゃいでみせた。


「ほ、本当に? そう思っている?」


 私は、何度も頷いた。


「そうなんだー。それは良かったー。お姉ちゃんの努力、報われたよ。うさちゃんが、マーチング部に入るといった時、お姉ちゃん、その部の顧問だよって、いいたいの我慢してたのー」


 姉の機嫌が一気に治った。姉は、気分屋さんなところがある。


「えーと、……龍崎ふみさん」


「は、はぃ」


「3人とも、とてもいい子だからー、仲良くしてあげてーくださいねー」


 姉は、私たちを見回していった。陽子と涼は、姉とも昔から交流があった。


「それじゃあ、お姉ちゃん……じゃなかった、先生は他の班も見て回ってくるから、涼くん、まとめ役よろしくねー」


「はい、分かりました。北陸先生」


「バイバーイ」


 姉は、手を振りながら生徒会室から出ていった。


 なんにせよ、4人が揃ったので、マーチング部トロンボーン班の練習を始めることになった。

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