第十話 剣士の誇り


 その後は特に襲撃もないまま、六日ほど馬車は進んでいた。

 もうすぐで国境近くの町まで到着し、一晩を明かして早朝に出発するそうだ。


「昨日は馬車で寝たから、今日はフカフカのベッドで寝たいわ」

「この町は隣国からの旅人も受け付けているから、今日はベッドで眠れるよ」


 ダイマスが微笑む。

 この野郎……俺が恥ずかしいと思った女性の呼び捨てを成功させてやがる。

 さすがイケメン。爆ぜてしまえ。


 恨みがましい視線でダイマスを見ていると、べネック団長が歩いてきた。

 彼女の手には一枚の紙が握られていて、あれが今日の宿か敵の情報なのだろう。

 それ以外の目的でこの町に留まる理由がない。


「私たちが泊まる宿の情報だ。ついでに国境付近の警備レベルを聞いてきたぞ」

「結果から言うと厳重警戒だな。レベル五だ」


 リーデン帝国では危険度などに応じて、警備のレベルが六段階で決められている。

 ちなみにレベル五は『職業に関わらず出国を禁じる』だ。

 商人に化けて脱出するというプランも考えたが、この状態では遂行不可能。


 ――簡単に言ってしまえば“詰み”であった。


 デールさんの言葉に落胆することなく、全員が目配せをしつつ町を散策していく。

 目的の宿屋に行く前に町を散策しようと考えたのである。

 それに、まだ太陽が高く昇っているため、宿屋に行くには早すぎるということもあったが。


 しばらく進んだところでイリナが突然立ち止まった。

 何事かと思って彼女の視線を辿ると、道端に筋骨隆々とした男が仁王立ちしている。

 明らかに友好的とは思えない。


「イリナ。お前はここで何をしているんだ?」


 どこかハンルを思わせる男は、不機嫌そうな表情で口を開いた。

 目の前の男に恐怖を抱いているのか、イリナの顔は真っ青に染まっていく。


「えっ……どうしてあなたがここに……」

「俺は何をしているんだと聞いているのだ。まずは俺の質問に答えろ」

「お父様には関係のないことです。申し訳ありませんがお引き取り下さい」


 震える声でイリナが反駁した。

 弱さを見せたイリナを、彼女の父親がここぞとばかりに責め立てていく。


「稽古を中断して、パーティーなんぞに出たと思ったら夜逃げして、しかもこんな連中と……呆れて言葉も出ないわ」

「何ですって? 聞き捨てなりませんね」


 続きの言葉が発される前に、べネック団長が怒りの形相で立ちふさがる。

 イリナの父親は彼女を高圧的に見下ろしていた。


「おっ?  騎士団長風情が、剣術の達人と言われる俺に勝てるとでも言うのか?」

「勝負の話はしていない。ヘルシミ王国の第三騎士団を侮辱したことについてだ」


 あくまで一歩も引かない構えのべネック団長。

 イリナの父親は表情に浮かぶ不愉快さを色濃くしながら、剣呑な雰囲気を纏った。

 雰囲気だけで強いことが伺える。


「【威圧】の能力持ちですか。無意識に怯えてしまう理由が分かりましたよ」

「分析担当か。面白いメンバーが揃っているな」


 デールさんが冷静に呟くと、イリナの父親は薄ら笑いを浮かべた。

 獲物を見つけた蛇のように目を細めるイリナの父親に、ダイマスが悲鳴を上げる。


「とにかく引き返してもらいます。僕たちに逆らうのは我が国に逆らうのと同義ですからね。これが証明書です」

「勅命を持っているのか。それは厄介だな」


 困ったような表情をするイリナの父親に、銀の鎧を着た一人の男が近づいてきた。

 顔から見るに、リーデン帝国の第一騎士団長であるハルック=モーズか。

 あれ……イリナの父親ってもしかして……。


「ホルダームよ。威圧を出すだけで娘が帰ってくるわけないだろう。こうすればいいんだ」

「私は捕まりません。【ライト・ソード】」


 イリナが光の剣を出すと、見事な一閃でハルックが出した土の檻を叩き斬った。

 そのままの勢いでハルックに突撃していく。


「無意味な突撃は危ないだけだぞ!」

「わっと……ありがとうございます。すみません」


 べネック団長が横から攻撃してきたホルダームの剣を弾く。

 ハルックに気を取られ過ぎていて、横からの攻撃に対する注意が疎かになっていた。

 それにしても、イリナの父――ホルダーム=グリードは厄介だ。


 剣術の大家の当主で、戦に参加した際、敵兵三百人を一人で斬り捨てたのだとか。

 化け物じみた強さに加えて、【威圧】のせいで攻める側は本来の力が発揮できない。

 まさに、敵に回すと厄介を地で行く剣士だ。

 イリナは彼の娘だったのか。


「ほう、貴様は自ら戦うのだな。団員を守るには相応しいかもしれないが」

「何をゴチャゴチャと喋っているのだ。【ダーク・アロー・レイン】」


 精霊と親密にならないと使えない魔法を無詠唱で使ってみせるべネック団長。

 黒い矢が二人に向かって雨のように降り注ぐ。


 ホルダームは【威圧】を使って矢の軌道を変えようと試みたが、失敗。

 体中に真っ黒な矢が刺さっていて、まるで敗残兵だ。


「攻撃も防御も出来るとはな。他国の騎士団長とはこれほど強いのか」

「どうして威圧だけで捌こうと?  あなたの剣なら無事だったでしょう」


 倒れたホルダームを起こしながらべネック団長が尋ねる。

 俺も疑問に思っていた。

 彼ほどの剣があれば、無傷で矢を逸らすことなど造作もなかったはずだ。


「イリナの姿を見たからだ。お主の攻撃の後に追加攻撃を放とうとしていた」

「お父様は矢などを捌き切った後、一瞬だけ硬直する時間がありますから」


 そこを突けば意外と簡単に倒せるんですよ、とイリナは続けた。

 ホルダームは顔を歪めている。


「数年前から勝てなくなったと思ったら……そんな弱点があったのか」

「お父様と手合わせをするのも最後になるでしょうから……アドバイスです」

「やっぱり、意思は変わらないんだな」

「申し訳ありませんが、私はあの鬼がいる家に帰るつもりはありません!」


 強い意志を込めてキッパリと言ったイリナに、ホルダームは苦笑した。

 しかし、次の瞬間には父親の顔になっている。


「今まで教えた基礎を忘れず、他国でも頑張りなさい。ここから応援している」

「はいっ! ここまで育てて下さったこと、感謝しています。――さようなら」


 イリナは今にも泣いてしまいそうだった。

 恐らく、彼女を隣国へと駆りたてるものは父親以外の誰かなのだろう。

 そう考えると悲しいな。


「最後に娘に会えて良かった……グァ!?」

「何を勝手に和解しているんです。もう少し使えると思っていましたが……失望しましたよ。ホルダーム=グリード“帝級剣士”」


 ホルダームが苦痛に顔を顰める。

 彼の後ろから、二十人ほどの騎士を連れたハルックが無表情で見下ろしていた。

 その手には……血のついた剣。


「貴様……ホルダーム伯爵に何をした!?」

「君はもう宰相ではない。言葉遣いに気をつけろ。ただ剣で刺しただけだよ」

「なっ……」


 ホルダームの手当てをしていたイリナが絶句する。

 ただ剣で刺しただけって……普通に殺すための行為だよね。

 それを無表情で言ってのけたハルックは、ニヤリと笑って、こちらに剣を向けた。


「さて、手合わせ願おうか。ヘルシミ王国第三騎士団殿?」

「望むところだ。親子の別れを無粋にも邪魔した罪……償ってもらおうか」


 べネック団長の返事も聞かずに、俺は精霊を準備して、剣を構えた。

 これが間違いだったと知るのは、もう少し先のことである。




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