絶望的状況
「じゃぁね、また見に来るからね」
手を振りながら笑顔で帰っていく少年を見送ってから約二週間。少年は姿を見せなかった。
……まぁ、そういうもんだよなぁ。
頭を掻きつつ音楽を止める。肌寒い風が動いて温まった身体の熱を奪っていく。
加持に会いに行ったあの日から二週間以上も経つのか。そろそろまたお見舞いに行こうかな。元気になっているといいけど。そうは言っても、三ヶ月は体を動かせないらしいよってリンが話してたから元気も何もないか。
携帯電話のマップで徳心会を検索して保存のマークをタップして、駅までの道を歩き出した。
時速三十キロで街中を駆け抜けると肌寒いと感じていた風が猛威を振るって襲い掛かった。少しの厚着と手袋をしたので体は問題なかったが顔に冷気が突き刺さる。
スピードを出したらもっと寒くなるんだろうなぁ。もともとスピードを出すのが好きじゃないから別にいいんだけど。
車の免許を持っているからゆっくり走ってる原付の厄介さを知っている。だから僕は車の通りが少ない道を選んで運転していた。そのため耐え切れなくなると脇道で止まって手で顔を温めることができた。
ふぅ。と息が漏れる。しばしの休憩のあと残り僅かの道を再度進み始めた。
加持翔也様
扉の横に貼られているプレートを見て唾を飲み込む。前に一度来た事があるとはいえ病室に入るときはなぜだか緊張してしまうな。
よしっと一呼吸置いて取っ手を掴み右へスライドさせる。歩を進ませるにつれて加持の体が少しずつ見えてきた。
「やぁ、来たよ」
加持は天井を見上げてぼーっとしていたが僕に気付くと目線だけ動かしてこちらを見た。
僕は笑って手を上げた。
「おぉ、すまんな」
加持はすっと起き上がって右手をひらひらさせた。
「えっ」
その瞬間僕は固まった。ダンスのフリーズもこのくらい固まったら上出来だろう。
「えええええええ!」
病院なのにも関わらず大声を出してしまった。
「ちょ、ちょ声が大きいぞ」
「いやだって、何で起き上がって!」
三ヶ月は動けないって聞いてたのに! まだ一ヶ月ぐらいだぞ!
「まぁ、いいや向こうで話そうぜ」
もぞもぞと動いて地面に足を着き、よたよたと歩き出す。
「えええええええ!?」
本日二度目の叫びが病院に響いた。
加持に着いていくと面会室ではないけれど病室が並んでいる廊下の奥に進むと談話できる部屋があった。長方形の机が数個並べてあり、椅子が向かい合わせにいくつも置いてある。コーヒーメイカーと自動販売機が設置してあったのでコーヒーを飲む事にした。
「いやー何か昔から怪我の治り早ぇんだよな。昔、指を骨折した時も一週間で何ともなくなったし。起き上がったら担当医もくっそびびってたよ。あの顔は傑作だったな」
あぁ医者の驚く顔が目に浮かぶ……。苦笑いが思わずこぼれてしまう。
それは置いといて、と加持が言った。
「どうだ? 最近ダンスの調子は?」
「うーん、まぁトーマスの練習がぼちぼち出来てきたかなって感じ。加持がいつ戻ってきてもいいよう頑張ってるよ」
「え、……あぁ、そうか」
一瞬だけ少しくらい顔をしたのが見えた。
思わず眉をしかめてしまう。なんだろう、今の表情は……。
「お前知らなかったんだな。俺さ、左腕動かないんだわ」
「えっ」
視界が揺らいだ気がした。遠くに見える景色が近くに感じる。
奥にある自動販売機の売り切れの赤い文字がやたらはっきり見えた。
「肩の神経がやられてな、左腕全体が麻痺して全く動かないんだ。日常生活も支障があるレベルさ」
「じ、じゃぁもう……」
もう、ダンスはできないの?
出かかった言葉が途中で詰まった。その先を考えると怖くてたまらなかった。
あぁ子供がジュースを買おうとしている。何度入れてもお札が返ってきて困ってる。諦めるのかな。
「いや、手術で腕の神経を一本肩に移植して応急処置はできるらしい」
「そ、そうなんだ!」
「ただ成功しても肩に痛みはあるし腕を動かす感覚も違ううえにうまく力が入るかも分からないとさ。また運動できるようになるかって聞いてみたら、諦めたほうがいいって言われたよ。手術するかは任せるって言われたけど、手術しても良くなる見込みがあまりないからなぁ」
「そ、そんな……」
衝撃的な言葉だった。
これで終わりなんだろうか。今まで積み上げてきた練習が、一緒に過ごした日々が崩れていくようだった。
「夢も目標も失った気分だな」
「加持……」
なんて声をかけていいかわからなかった。声をかけていいのかも。
前に僕はウィンドミルが練習してもうまくできなくて悔しかったし辛かった。でも今の加持は……。
続けていたダンスができなくなってどんなに辛いだろう。やりたくてもできない悔しさはウィンドミルができなくて悔しかった僕よりもどのくらい悔しいんだろう。
「なんだか辛気臭くなってしまったな、すまん。そろそろ戻るか。……あーあ、それにしても病院ってのは退屈で参るわ。来月から申請すれば一日だけ自宅に帰れるみたいだから今度帰るとするかな」
「うん……」
考えが上手く纏まらずにいた。ぼんやりしたまま加持に着いていく。
視界の端に映る少年はまだ自動販売機の前で立ち尽くしていた。
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