今までと、これから


 廊下を歩くときもエレベーターに乗っている時も加持の母親は一言も話さなかった。気まずい思いを感じながら後ろ姿を追いかける。

 外に出てしばらくしてから立ち止まったので僕も足を止めた。リンは病院内の出入口近くにあるソファーに腰掛けて携帯電話を弄っていた。


「翔也、あまり話さなくて無愛想でしょう?」


 突然の問いかけに少し戸惑ってしまう。

 翔也って……加持のことか。普段名前で呼ばないから一瞬眉を細めた。


「いえ、そんなことは……」

「あの子、家でもそうなのよ。外で何してるかもなーんにも話してくれなくて。無表情で。でも最近は何だかとても楽しそうだったわ。……母親だからね、何となくわかるのよ」

「はぁ」

「それでこんな事態になったでしょう。悪いとは思ったけど、何があったのか知りたくてあの子の携帯電話を見てしまったの。そして今日あなたに会った。それを踏まえてあなたに言っておきたいことがあるわ」


 心臓が高鳴った。携帯電話を見たということは最後に僕とやり取りしたメッセージを見たということだ。自然と顔が下を向いてしまう。

 きっと僕に恨みがあるんだろう。そりゃそうだ。息子が事故にあった原因がいままさに目の前にいる。手が早い人だったらきっと僕の頬は赤く染まっている頃だろう。


「その顔見たらあの日からずっと後悔してるのがよくわかるわ」


 そこで言葉をとめた。きっと僕をじっと見つめているだろう。どんな顔をしているのだろうか。確認をするのが怖い。目線を上げることもできず歯を食いしばった。


「……あなた、責任を感じなくていいのよ」

「えっ?」


 それは意外な言葉だった。

 罵声を浴びせられ叩かれるかと思った僕は拍子抜けの声を出してしまった。


「で、でも僕のせいで加持が……。僕が連絡しなかったら事故は起きなかったはずです!」


 罵って欲しかった。「あなたのせいで」と頬にビンタして欲しかった。そうすることで僕の後悔も少しは昇華されると思ったから。


「それは違うわ。翔也はあの日飛び出した子供を助けたのよ。あなたが連絡したにせよしなかったにせよ事故は起きた。それは変わらない事実」

「だけど……!」

「こんな状況になってもね、翔也が人を助ける為に自分を犠牲にしたことを誇りに思うわ。あの子は自分で犠牲になる道を選んだ。そこにあなたが送ったメッセージがどうこうは関係ないの」


 言葉が出なかった。心の中が何かで満たされていく感覚だけがあった。


「だから私は事故の原因はあなただとは思ってないし思いたくもない。気にするなとは言わないけど責任を感じずに過ごして欲しい。またみんなで笑って仲良く過ごして欲しいの」


 目頭が熱くなり唇が震えてくる。叩かれることでも罵声を浴びせることでもない、本当に欲しかった言葉をかけられていた。


「翔也も同じことを思ってるはずよ。何となく私にはわかるの。……母親だからね」


 満たされていく感情と共に徐々に上げた目線に写るのは涙をそっと拭いながら微笑む母親の姿。

 僕の頬にも一筋の線がすーっと降りていった。


 ***


 ベッドに倒れこむと安心感と疲れが入り乱れすぐに瞼が重くなった。寝ようとすると蝕む罪悪感と後悔が嘘のように消えていた。

 あぁ、そうか、僕は……。許されたかったんだ。自分では納得できないから誰かに言葉にしてもらって。

 次第に薄くなっていく意識の中で加持の母親の涙する姿が浮かんだ。


 目が覚めるともやが晴れたように気持ちがすっきりしていた。背伸びをしたあと体勢を起こし窓の外を眺める。

 今日も練習に行こうかな。今まではよくわからない恐怖感で練習していた。だけどそんなんじゃダメなんだ。今後加持が復活したときに向けて胸を張っておかえりと言える様に。前に進まないと。

 視界に写る雲に向かって手を伸ばしてみたけど全く届きそうに無かった。明るい日差しまでもが雲を見ようとする僕の視界を遮ろうとしていた。

 あぁ、一日が始まった。始まりがあるということは終わりがあるということで。今日を終えるまさにその瞬間に後悔しない人生を選んで生きたい。

 ただそれが出来ないでいるから、出来ないからこその僕の人生なんだよな。

 目を瞑ると車の走る音が聞こえてきた。僕もそろそろ動かないと。



 今までの自分とは打って変わって技に集中することができた。

 どこにどう力を入れたらいいか感覚で分かる。トーマスも最初のステップはクリアしたと見ていいだろう。

 少しだけ笑いが込み上げていつものように練習場を見回した。その途端に現実が視界に写る。あぁそうかいつも見てくれてた加持はここにいない。これからは自分で乗り越えなきゃいけないんだ。頼ってばかりじゃダメだよな。


 トーマスのやり方を調べるために携帯電話で動画サイトを検索することにした。

 様々な人が「完璧にできる!」や「誰でもできる!」と広告を謳って動画をあげていた。

 馬鹿馬鹿しい。完璧なんてこの世に無い。世界中の人に教えてから誰でもって書くべきだ。こういった安易な文章を使う人はあまり信用できない。もちろん僕の個人的な意見だけれども。

 それよりかは「トーマスのやり方」と淡白に書いてある人のほうが、エンターテイメント性はないけれどしっかり技の解説をしていることが多い。

 動画を開くと挨拶をそこそこにスローモーションの動きを見せながら説明文を見せる解説が始まった。いきなりテンション高い奴が意味の分からない言葉を叫ぶ挨拶から始まって妙な子芝居を始める動画よりかは遥かに好印象だ。

 脳内でシミュレーションをして手に体重を乗せたり足を少し振りながら動画を見た。


「それ、さっきお兄さんがやってた技でしょ」


 背後の声に振り向くと目を輝かせて一生懸命動画を見てる少年がいた。


「あ、うん。そうだよ」

「すごい動きだなぁってずっと見てたんだ! こんな動き出来るなんて憧れるなぁ」

「そんなことないよ」


 そう言いつつも僕は少し顔が熱くなった。面と向かって褒められた事なんてなかったから。

 男の子にしては少し長い髪を揺らしながら食い入るように画面を注視していた。

 この子も僕の動きを見て何か思う事があったのだろうか。加持と再会した時の自分を思い出し懐かしく感じる。

 ……あぁ、加持もこんな気持ちだったのかな。

 僕は未だに届かない空を見上げて加持の踊る姿を思い出していた。

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