変容


 気付いたら僕は筑紫野駅の広場に練習をしに来ていた。空っぽの心のまま体だけを動かす。

 なんで練習なんかしてるんだろう。今はそれどころじゃないだろ。

 自分に言い聞かせるが止まらなかった。よくわからない恐怖が心に眠っていた。

 ダンスを辞めてしまったら何かが壊れてしまう、そんな気がしてならない。

 練習をしてもやはり加持のことが思い浮かぶ。見てるみんなを沸かせるパワームーブ、厳しい言葉で教えながらも少し笑っている顔。それもすべて僕が壊してしまった。後悔と共に力が入ってしまう。

 事故の後遺症とかってあるんだろうか。何ともなく復帰してくれたらいいのだけれど。

 こればっかりは神様に願うしかない。皮肉なものだった。あれだけ神様は信じてないとか言いながら、いざ事が起きると信じるしか道がないのだから。


 次の日も次の日も抜け殻のような生活を送った。練習をしている間だけほんのわずかな安心感を得る事ができる。家でじっとしていたら塞ぎ込みそうだった。加持の復帰を祈りながらただただ日数を重ねていく。

 そんな日々にも遂に終わりが来た。リンから連絡が来たのだ。


「明日午後一時に病院に行くわよ。十二時に家まで迎えに行くから」


 文面を読み上げ、ふぅと息をつく。

 明日、遂に会うことができるのか。どんな顔をして会いに行けばいいんだろう。加持は何を思っているんだろう。


「明日……か」


 いざ会えるとなると緊張して全く眠れなかった。

 病院で何を話そう。元気になってるといいな。いや考えてる場合じゃない。早く寝ないと。そんな事を考えては打ち消しを繰り返しをしているうちに時間は過ぎていく。

 結局朝九時になって二時間程仮眠を取った。目だけは瞑っていたのだが意識ははっきりしていて疲れが全く取れなかった。

 何もすることがないので時計の針を眺めた。秒針が動くたびに気持ちもふらつく。何度目かのふらつきをした時車のエンジン音が聞こえた。すぐに携帯電話が震える。見なくてもわかる。リンだ。急いで玄関のドアを開け外に出た。


「お待たせ。タカとミズキも行きたがってたけど、大勢で行くのも迷惑かもしれないからうちらで行くわよ」

「……うん。」


 かすれた声しか出なかった。ずっと喋ってなかったせいで喉元に何か張り付いてる感覚がある。


「あんた大丈夫なの? ちゃんと寝てないでしょう。病院着くまで寝てなさい」


 リンが車に乗り込んだので慌てて乗り込む。出発してからというもの度々僕が寝てるか確認された。しばらく目を開けていたらお腹に拳が飛んできて痛い目を見た。数回繰り返されてようやく目を瞑ることにした。

 四、五十分くらい経った頃だろうか。駐車券を発行するアナウンスが聞こえた。どうやら病院に着いたらしい。

 高い建物に徳心会と書かれているのが見える。駐車場は二時間無料という案内板が出入り口ゲートの傍に立っていて、その奥が病院だった。

 駐車場を出ると芝生が広がっていて小さく舗装された道が病院の入口へと繋がっていた。

 俯きながら入口まで歩いた。あぁ、なぜだか日差しが眩しく感じる。

 病院の中に入っても僕はリンの足元を見ながら着いていった。エレベーターのボタンを押してリンがふーっと息を吐くのが聞こえる。永遠とも感じられる時間が過ぎた。このままエレベーターが止まらなければいいのに。そんな僕の淡い妄想も叶わず目的地へと一歩ずつ近づいていった。


「ここよ、三○五号室」


 リンが準備はいいかと言わんばかりに僕の目を見る。少しの沈黙の後小さく頷いた。

 ドアノブにかけた彼女の右手が左から右へと流れる。右足が前に出て左足も続く。僕も同じく足を動かす。ベッドの足が視界に映り徐々に目線を上げる。

 次第に見えてきた加持の姿を見て体が強張った。瞳孔が開いて下唇が震える。


「……よぉ」


 弱々しい声がした。加持は体を動かす事ができないみたいで目線だけを僕に向けていた。体の至る所から管が出ておりベッドの下に続いている。管には血液が流れていた。きっと何もしなくても出血が止まらないのだろう。

 ズキンと胸に衝撃が走った。


「か、加持……」

「悪いな……こんなことに……なって」


 ゆっくりと加持が言葉を紡ぐ。それだけで胸が張り裂けそうだった。

 違う。謝らないでくれ。僕なんだ。僕が、僕が謝らなくちゃいけないんだ。

 だけど何も言葉を発する事ができなかった。


「こんな状態だけど、加持君がまーしーに会いたいって言ってたの。何も喋らなくてもいいから少し傍にいてあげて」


 リンが僕の背中を優しく押した。ベッドの横にふらふらと行くと椅子が二脚あった。僕は座らずに立ち尽くす。

 加持は薄く目を開いて僕を見ていた。傍に行くと呼吸の音が一層大きく聞こえる。

 加持……。何を思って僕を見てるんだろう。恨んでるかな。怒ってるかな。

 僕は沈黙を続けるほか無かった。加持も話すのも辛いのか何も言わず僕を見ていた。


「……そろそろ帰りましょう。あまり起きとくと身体に悪いわ」


 十分ほど経ってから僕達は席を外すことにした。

 別れの挨拶をすると加持は目を瞑った。足音をなるべくたてないように室外へと向かう。

 扉をそっとあけて外に出ると部屋の脇に女性が立っていた。僕達が出てくるのを待っていたみたいだった。


「あ、加持君のお母様。こんにちは」


 リンが頭を下げて挨拶をする。その言葉に僕は一瞬の間を置き反応する。

 加持の母親?


「こ、こんにちは」


 慌てて僕も挨拶をする。


「あぁ、林さん。お見舞いありがとう。そちらにいらっしゃるのはもしかして真島君?」


 名前を呼ばれて少しドキっとした。

 そうかリンは事故当日病院へ行ってるんだから母親とも会ってるよな。その時僕の事も話したのかもしれない。


「はい、自己紹介が遅れてすみません。真島和也です」

「そう……。あなたが真島くんね。もう帰るとこ? 外まで送るから少し話しましょう」

「えっ」


 僕の返事を待つ暇もなく母親は既にエレベーターへと歩き出している。こちらに拒否権は無さそうだった。

 何も考えることができないまま寂しげな後ろ姿を追いかけた。

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