不可解


 しばらくして会場の中へと再入場した。ざわざわと人だかりが動き始めている。

 ちょうど初心者クラスの決勝戦が終わり、十分間DJタイムが始まったところらしい。中央のフロアを覗くと加持が丁度練習している最中だった。

 加持は僕に気付くと右手をあげて近くに寄ってきた。


「もう晴れた顔してんじゃん。数日は引きずると思ったけど」

「いや、まだ引っかかってはいるよ。ただ切り替えなきゃと思って」

「ふーん。お前切り替え早いタイプなのね。いいじゃん」


 いや、僕は切り替えは早くない。どちらかというと引きずって自己嫌悪に陥りやすいタイプだ。何か僕の中で変わるきっかけがあったとするならば……真理、だろうな。

 そういえばあいつ、僕のバトル見たからってさっさと帰ったけど上級クラスのバトルは見たくないんだろうか。せっかく加持も出るのに。


 会話に詰まり目線を逸らすとダンススタジオのポスターが貼ってあるのに気付いた。何やらインストラクターの先生を募集している。

 ……加持ならいい先生になるだろうな。こんな僕ですら道を敷いてくれて励ましたりアドバイスくれるんだもん。

 僕は加持が教えるスタジオに通う自分の姿を想像して少し微笑みそうになった。なんだよ今の想像。大して現状と変わりないじゃないか。もっとこう加持は僕なんかを育てるよりも有望なダンサーを育てるべきだろ。


「なぁ君、エイトの弟だろ?」


 不意に後ろから声がかかったので振り返ると何だか見た事あるような人が立っていた。強いパーマをかけた髪に少し細い顔、一重で少し目つきが悪い人だった。

 ええと、どこで見たっけこの人。……あぁ今日のジャッジの人だ。紹介見てなかったから一瞬誰か分からなかった。

 それにしても、加持の事知ってるのかな。


「俺一回だけ君とエイトと練習したことあるんだよ。君はまだ始めたてだったから覚えてないだろうけど。それにしてもすごく上手くなったな。まるで昔のエイトみたいだ」


 一気に捲くし立てるジャッジの人に比べ、加持はあまり反応を示さなかった。ぼんやり「……はぁ」と相槌をうっている。


「そろそろ戻らないと。じゃ、エイトの弟、頑張れよ!」


 そう言うと彼は審査員席に戻っていった。他のジャッジの面々と談笑を始めている。

 何だか嵐のような人だったな。というか加持はあの人の事覚えているのだろうか。加持の方を向いて話しかけようとしたが、彼の顔が曇っており言葉を喉元で飲み込んだ。

 ……なにか気に障ったのだろうか。


 程なくして上級者クラスの予選が始まった。

 始まったと同時に加持はすぐさま前に出てパワームーブやフットワークをして会場を沸かせた。

 何だかその踊りはいつもの破棄が無かった。とりあえずという感じで技を繰り出している。普段の練習の時とは様子が違った。それでも技のクオリティが高いので会場は沸いていた。

 違和感に気付いているのは僕だけだった。なぜあんなにも力を抜いて踊るんだろう……。


 全員が踊り終わり出場者はジャッジに背を向けた。ジャッジが話し合って通過者を決めて、背を向けた出場者の肩を叩くというシステムの為だ。

 先ほどの嵐のような人が話し合いの途中で加持を指差した。他のジャッジもうんうんと頷いている。

 通過者を決めたようでそれぞれ肩を叩きに向かった。案の定加持は予選を通過したのだが、その顔は曇っている。


「俺の通過を決めたのってさっきの奴だったか?」


 バトルを終えてすぐに加持は僕の所へ向かってきた。


「う、うん。なんか指差していたし、肩を叩いたのもあの人だったよ」

「やっぱりか……」


 加持はそう言うと僕に背を向け歩き出した。どこに行くかと思えば受付でトーナメント表を受け取っているMCに近づいていった。加持が何かを喋りMCが驚いた表情をしている。加持に何か訴えていたが彼は目を瞑り首を横に振ってこちらに戻ってきた。


「うし、帰るぞ」


「うん、え、えっ?」


 帰る? 何を言ってるんだ。予選を通過したばかりじゃないか。

 加持はさっさと荷物をまとめて出口へと向かって行った。僕も慌てて荷物を引っつかみ彼の背中を追った。

 外に出ると僕は彼の肩を掴み呼び止めた。


「どういうことだよ、加持。せっかく予選通過したのに」

「……忖度だよ」

「え?」

「忖度。ダンス業界ではよくあるのさ。知り合いだからバトルを勝たせるとか仲がいいから贔屓目で見るとかな。俺はそんなものを受けるためにバトルに出たんじゃない。」

「そ、そんなことないよ。実力でも普通に上がれていたよ」

「予選はな。もし次のトーナメントで俺と拮抗する奴が出てきたら?どっちが勝ってもおかしくない状況……いや、仮に少し向こうが有利でも俺に勝ち星が付く。そんな世界なんだよ、胸糞悪い」


 何だか加持は怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。


「それでも僕は──」


 それでも僕は、加持のバトルを……バトルで勝つ姿を見たかったよ。


 僕の呟きは誰にも聞こえず風が持ち去って行ってしまった。


「悪いな、お前のせいじゃないのに当り散らして。今日はもう帰るか」


 僕は呆然と立ち尽くしたまま去っていく彼の背中を見送った。




 その日は疲れと緊張が解けたこともあって、家に帰ると翌日まで眠ってしまった。

 早朝に目を覚ましてぼんやりと昨日の事を思い浮かべた。

 緊張で動けなくなったこと。真理に蹴飛ばされたこと。バトルでは更に緊張したこと。目に付いたポスター。曇っていく加持の顔。去り際の寂しい後ろ姿。あぁ、夢じゃないよな。

 僕は背伸びをして携帯電話を確認した。ところが通知は何も来ていなかった。

 おかしいな。加持は夜の九時頃になったら翌日の練習時間をメッセージしてくるのに。もしかして昨日のバトルが尾を引いているんだろうか。

 初めての事象に戸惑いつつも、まだぼーっとしている頭と体を無理やり動かしてベットから起き上がった。

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