パンと焦り
再会してから五日間、加持から練習の誘いがくることは無かった。自分から連絡しても良かったんだけれど向こうも忙しいのかもしれないという遠慮から何もできずにいた。
せっかく教えてもらったチェアーと倒立も最初の三日くらいは少し練習したけどうまくいかずに投げ出してしまった。人間やる気に溢れても数日経てばその興奮は収まっているものだ。
どうにかしなければいけないという思いだけが頭の片隅に置いてある状態だった。そのどうにかしないといけないを放っておけなくなったのが五日目の今日というわけだ。
連絡は取りづらいので前に加持に会った場所に向かってみることにした。もしいなかったら前に食べれなかったパンも買おうと思う。どちらに転んでもオーケーというわけだ。
最寄り駅まで原付を走らせると暖かく心地よい風が僕の肌を撫でた。三年ぶりに町並みを見たもののこんな短期間じゃ変わり映えのないものだな。住宅街と飲食店とコンビニばっかりの田舎過ぎない田舎というべきか。
駅に着くと工事中の看板が目に付いた。入り口が駐輪場より少し離れた場所に移動している。
こんなところだけ変わんなくてもいいのになぁ。
加持と会った駅までは二駅ほどなのですぐに着いた。ホームに降り立つとやはりパンの匂いがしたので思わず口が綻ぶ。まぁでも第一優先は加持だよな。
出口のすぐ傍の広場を見渡したが加持の姿はどこにも無かった。勝手に期待していただけなんだか少し残念な気持ちになった。
少しばかりのため息を吐きながらパン屋へと足を進める。
店内に入ると焼きたての匂いに包まれ暗い気持ちが吹き飛んだ。以前広告で見たメロンパンが頭から離れなかった為とりあえず取っておく。もうひとつくらい買っておくかと近くにあったカレーパンを選んで会計へ向かう。値段は四百五十円となかなかの値段だった。
店を出た僕はその場で食べたい気持ちを抑え、傍にあったベンチへと向かって歩き出した。
「やっほー、真島ん」
立ち止まって顔を横に向けると真理がいた。手をひらひらと振ってサイダーを片手に持っている。
「久しぶり。そうだ、お前この間急に帰っただろ」
「いやあごめんね。家庭の事情でさ!」
いや、そんなこと言われたら突っ込みにくいだろうが。しかも明るいトーンで言ってるから絶対嘘だし。
「まぁいい。何してんだ? こんなところで」
「ひひひ、いつも通り暇人なのさ。それより見てみて!」
そう言うと真理はしゃがみ出して地面に頭をつけ始めた。このシーンだけ切り取ったら女の子に土下座させている変態じゃないか。そう思った次の瞬間衝撃が走った。
「……え、チェアーじゃん」
なんと真理はチェアーができるようになっていた。僕はできなくて根をあげたのに。
……まじか、抜かれた。小学生に。どうしよう。
目の前の光景に焦りがスピードを上げて体を蝕んできた。
「いやー暇さえあればずっと練習してたから三日くらいでできるようになったよ。やったら意外にできるもんだね」
言葉は聞こえてくるものの全く理解できていなかった。
まずい。まずい。僕は何もできてないぞ。真理が何か言っている。三日?三日って一日が三回のやつだっけ。やばいやばいやぱい。
「真島はどんな感じ?もう次のステップに」
「悪い真理! 用事思い出したまた今度! それからこのパン食べていいぞ!」
真理の言葉を遮って紙袋を無理やり手渡すと僕は一目散に改札口へ走り出した。
「え? ちょっ! ……ひひひ、変なの」
真理が何か言ったが聞く余裕は無かった。早く帰って練習しないと。あぁちくしょう、またパンが食べれなかったな。
帰り着いた僕はすぐに練習を開始した。
負けていられるものか。何時間かけても成功させてやる。
だが僕の意思とは裏腹にチェアーは一時間も経たないうちにできるようになってしまった。
どうやら最初に練習した三日間で何となく要領は掴めていたみたいだった。ただあと一歩の所で練習を投げ出してしまっていただけなのだ。
なんてところで僕は止めてしまったんだ。もしチェアーができてたら今日パンを食べて真理と一緒にチェアーの比べあいでもできたかもしれないのに。
もやもやした気持ちをぶつけるかのごとくそのまま倒立と一歩の練習を始めた。
***
目を覚まして体を起こそうとすると腕と足に痛みが走った。筋肉痛だ……。昨日は練習し過ぎたかな。
起き上がるのもしんどくて天井を眺めていると携帯電話が振動を始めた。
「明日、17時から筑紫野駅で練習する」
加持からの初めての連絡だった。明日の五時……か。加持が僕のチェアーを見て驚く姿を想像すると自然に笑みが零れていた。
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