チェアーと倒立
加持は少し目を見開いたあと頭を掻きつつ下を向いた。
「お前もか。まぁいきなり技を教えても無理だから基本ならな」
お前も……? まさか真理のやつ他の人にも頼んだんじゃないだろうな。
加持は華麗なフットワーク捌きをしてなんだか窮屈そうな形でピタっと止まった。素早い動きからのいきなりの静止。流れるような加持の動きを見てなぜか鼓動が高鳴るのが聞こえた。
……僕もこんな動きができるのだろうか。
「まぁこんな感じ。最後に止まったのがチェアーってやつで基本のフリーズだから最初は重点的にやったらいいよ。フットワークはお好みで」
耳に入ってきた説明は何がなんだかさっぱりだった。かろうじてチェアーという窮屈そうな体勢は重要そうなのがわかったぐらい。
チェアーはまず腹筋の横の少しへこんでいる辺りに肘をつけるらしい。僕は右利きだったのだが加持が左で説明してたので左肘をつけた。
そしてそのまま頭を地面につけて、両手で体を支える。足を曲げながら浮かせるとチェアーになるそうだ。
ちなみに僕は全く足が浮かず、無理やり浮かせようものならごてんと背中から転がった。
「かなり難しいなこれ」
「まぁ最初はそうだろうな。後は倒立も重要だけど倒立はやればできる」
そう言って加持は自分の練習に戻った。どうやら後は自分でやれってことらしい。
僕は一旦真理の所へ戻って先ほど教えてもらった手順を伝えた。
「うーん、難しいなぁ、真島の教え方が下手なんかなぁ」
数回チャレンジして上手くいかない彼女はぼそっと呟いた。
かなり失礼なことを言われたが、まぁその通りかもしれないので黙っておいた。
それにしても本当に足が浮かないな。力とは別に何かが必要な気がする。試行錯誤してみてもなぜかうまくいかない。
「なに場所移動して復習してんだ? こっちこいよ」
集中してたら後ろから加持に声をかけられた。確かに言われてみたらそうだな。
「うん、行こうか」
振り向いて声かけたが真理の姿が無かった。集中し過ぎて周りを見ていなかった。あいつはいつの間に帰ったんだ?
その後も加持は黙々と練習して特にアドバイスはくれなかった。ただチェアーだけの練習も味気ないと思ったのかフットワークも少し教えてくれた。しゃがんだ状態で右足を反時計回りに回し、左足まできたら飛び越える「一歩」というやつだった。
一時間くらい練習したが全く成果はなかった。だいたいのスポーツは多少なりともできそうな感覚があるけどダンスはさっぱりできる気がしない。
「腹減ったし何か食いにいこうぜ」
加持の言葉にお腹がぐうと鳴った。夢中になって忘れてたけど僕はパンを買い損ねて昼ごはんを食べてなかったんだ。
「行こう。早く行こう」
加持が向かったのは二駅ほど離れた場所にある小さなカフェだった。移動にも時間がかかったので僕のお腹はぐうぐうと鳴り響いている。一人でオーケストラができる気がした。できるわけないけど。
「ここ、カフェの割りに量が多いんだ。雰囲気も少し好きだから通ってる」
店内に入る際看板に目をやるとおしゃれな筆記体で何かが書いてあった。店の名前だろうか。何なのか全くわからなかった。
「そういや髪染めたんだな。髪も少し伸びてるし」
加持は高校時代ボウズで過ごしていたのだ。キリッとした顔立ちがやけに際立って最初は少し怖いイメージだったけっけ。
一年生の頃生活指導の藤林から髪が耳にかかってる事を一回注意された後、めんどくさくなってずっとボウズにしてたそうだ。
「まぁな。今は自由だし。それより注文しようぜ」
加持は急に店員を呼びオムライスを頼んだので、僕は慌ててメニューを見てぱっと目についたハンバーグセットを頼んだ。
仲が良いわけでもなかった僕たちは昔話に花を咲かせるでもなく、加持がダンスについて話したりこの人はすごいと動画を見せられた。
正直見せられる人全てが異次元過ぎて全員一緒の動きをしているように見えた。とりあえず跳んで回ってるのだ。全員猿の霊に憑かれていた。
目を輝かせてダンスについて語る加持を見ると、なんだかダンスって楽しいんじゃないかと思えてくる。まずはチェアーと倒立か。
それからしばらくは無言でダンスの動画を見ていた。マラソンの時のぎこちない沈黙ではなく自然体で過ごせた。
「ラストオーダーの時間ですが何かご注文はよろしいですか?」
不意にそんな言葉を受け、長い時間滞在していたことに気づいた。
「いや大丈夫です。そろそろ帰るか」
帰宅した僕は壁を睨み付けていた。逆立ちの練習は壁を使うと最適とインターネットに書いてあったので、挑戦するところである。しかし足をつけて逆立ちに持っていこうとしたが手に力が入らないし足も動かない。……ホントに最適か?
三十分ほど練習したが全くうまくいかなかった。挫折という文字が頭に浮かぶ。
諦めて布団の中に入りため息を吐く。携帯電話の連絡先に新しく増えた「加持翔也」の文字を見てその日は眠りについた。
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