眼目真理

 僕は今どうしようもない局面に立たされていた。

 なぜだ。なぜなんだ。パン屋は17時で閉まっていた。

 なんだったんだあのパンの香りは。期待だけさせといて。しかも振り返ったら加持も近くにいるんだぞ。


「ねぇ、なにしてるの?」


 途方に暮れて立ち止まってると女の子の声が響いた。目を向けると小学生が笑っていた。二重でくりっとした目が特徴的な子だった。

 白のシャツに大きな文字で「GOD」と書いてあるのがやけに目をつく。


「閉まった店の前で立ってて変なの。待ってても明日まで開かないよ」


 女の子はひひひ、と笑った。


「あぁ、ちょっと考え事しててさ」


 誤魔化して立ち去ろうとしたその時だった。


「ねぇあの人とは知り合いなの?」


 女の子が僕の後方を指差していた。指先を追うと逆立ちしている男がいる。


「あ、あぁ加持のこと? まぁ知り合いっちゃ知り合いだけど」


 当の加持は片手倒立でくるんと一周回っていた。なにしてんだ、あいつはホントに同じ人間か? 猿の霊にでも憑かれたのだろうか?


「あたしもあんな動きしたい! ねぇ教えてくれるよう頼んでよ」


 女の子はぴょんぴょん跳ねながら僕に言った。


「自分で頼めばいいだろ。それに見ず知らずのやつに教えてやってなんて俺が言うのもおかしいだろ」

「えーだってあの人なんか怖いんだもん」


 うん、確かに加持は少しクール過ぎて話しかけにくいオーラはあるけど、こいつハッキリと物を言うやつだな。


「それに今から自己紹介すればお兄さんとあたしは友達になるから紹介できるね」


 そして女の子は勝手に自分の事を話し始めた。

 自分の名前。好きな食べ物はお餅であること。親が共働きで夜まで暇なこと。今まさに暇で外を歩いていたら加持が体を動かしているのを見て自分もしたくなったこと。僕が加持と話していたのを見たこと。ちょうどいいからこの人に頼もうと思ったこと。


 自己紹介というか今起こったことを話されただけだった。こいつのことに関しては名前と好きな食べ物しか分かってないぞ。


「というわけでお兄さん、友達になったことだしいいでしょ?お願いお願いお願い!」

「わかったわかった! うるさいからお願いを連呼すんな。ていうかお前の名前の「さっか」っていうのはどういう字を書くんだ?」

「眼目。難しい方の字の「め」と簡単な字の「め」を書いて、さっか」

「じゃあ分かった、眼目。お前の言うとおり頼んでやるけど、加持は知らないやつとは積極的に喋ろうとしないし、多分断ると思うぞ」

「えええ! そんな!」


 眼目は目を見開いて口を半分開けて固まった。漫画なら「ガーン」と描かれてることだろう。

 やれやれ、これで諦めてくれるかな。やっと開放される。


「……じゃあお兄さんが教えてもらって、私にそれを教えてくれたら解決だね!」


 ……は?


「それじゃお願いね! 信頼してるぜべいべー!」


 彼女は少し茶色がかった短めの髪をさっと撫でたあと親指を立ててウィンクしてきた。


「いやちょっと待て眼目」

「んー眼目ってあんま呼ばれなれてないから下の名前で呼んでよ。真理って呼んで。そいじゃ頼んだよお兄さん!」


 そういって僕の背中を強引に押し始めた。こうなったら多分逃げるという選択肢はないだろう。


「分かったから押すな。……真理。それからお兄さんじゃなくて真島和也だ」


 後ろからひひひ、と笑い声が聞こえた。



 加持は僕が来たのを気づくと動くのを止めてこちらに顔を向けた。


「よう、閉まってたパン屋で買い物はできたか?」


 ……こいつ。閉店時間知ってたのか。なんてやつだ、教えてくれても良かったのに。


「買えるわけないだろう。それより加持はいまなにしてるんだ?」

「俺? ダンスしてる。ブレイクダンスってやつ」

「ダ、ダンス?」


 片手倒立で回るのがダンスなのか?僕はダンスについて無知もいいところなのでブレイクダンスと聞いてもあまりピンときてなかった。

 ブレイクダンスって頭とか背中で回るやつじゃないっけ。いや、今はそんなことはいい。

 後ろでは真理が待ち構えているだろうし時間はかけてられない。気は進まなかったが僕は意を決して尋ねることにした。


「そ、そのダンスを僕に教えてくれないか?」

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