第19話

 幼いころから、僕は積極的に人や物事にかかわろうとはしない人間だった。両親に対しても、意識的にではないにしてもどこか一線を引いていたように思う。

 両親に対して深い思い入れを持つようになったのは二人が亡くなってからのことだ。二人が亡くなってから、両親が僕にしてくれたことやかけてくれた言葉がずっと重みを持つようになった。なぜかは分からないけれど、二人が死んでしまったあとのほうが、二人が僕にとってずっと身近な存在になったと思う。言葉にするととてもひどい、冷たい印象になる。けれども冷たさとは少し違うと思う。そう思うのは、あるいは僕の心がどこか壊れているからなのかもしれない。

 たびたび僕は両親のことを思い出す。二人が僕に言った言葉を。それらは僕の記憶から出て僕の心に届く。僕はときどき涙する。二人の愛情を深く感じる。感謝する。だけど、二人はもういない。


 エリカは僕にとってかけがえのない存在だ。僕はエリカをとても身近な存在だと感じている。僕の心はエリカに寄り添っている。死んでしまった両親と同じように。

 エリカの失われた右腕に、僕は自分の居場所を見つける。僕は彼女の失われた右腕を通じて彼女とつながっていると感じる。それは不自然な関係だと思う。対等ではない。まるで彼女の弱みに付け込むように、僕の心は彼女の失われた右腕に寄生し、彼女と共にあろうとする。彼女を助ける振りをして、あるいは自分は彼女にとってなくてはならない人間なのだと自分自身に信じ込ませることによって、僕はかけがえのない存在を手に入れようとする。

 けれどもあの時のエリカの言葉が僕を捕らえる。あのふたつの言葉が僕をエリカから突き放し、同時に、離れられなくさせる。

 僕の心の歪みは、もしかしたらあの時に生まれたものかもしれない。それまでの自分も、それからの自分も、今考えればあの時に歪められ、そのまま無理やりつじつまを合わせるように形作られていったのかもしれない。


 アニマ。もう一人の自分。もうひとつの、僕の可能性。

 あの日から、アニマは僕が仕事に行くのを嫌がるようになった。出掛ける時間になるにつれて不機嫌になり、「別の仕事を探したら?」とか「今日は休んじゃえばいいのに」と言うようになった。けれどもしばらくすると諦めてくれたようで、代わりに僕が出掛ける時間は自分の部屋に閉じこもって出てこなくなった。

 これは僕の知る限り、アニマに起きた変化の中で一番大きなものだと思う。それまでの彼女は諦めるということをしなかった。どこまでも頑なに自分の意見を通そうとした。諦めるというのは言わば僕の役割だった。

 日ごとに僕とアニマの領分が曖昧になっていった。僕がアニマについて考えるとき、そこにはいつも薄いヴェールが横たわるようになった。これまではアニマという存在について僕なりにはっきりと理解できていたように思う。けれども時間が経つにつれて彼女の存在がぼんやりとしたものになり、僕は彼女を指し示す言葉を見つけられなくなってきた。僕の目に、彼女はとらえどころのないものとして映るようになっていった。


 そして、その日が訪れた。

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