第13話
アニマが現れてから一週間ほど経った頃、夜番明けに僕は街のはずれにある図書館へと向かった。普段から義手を作るための参考となる本を読むために通っている場所だけど、今日は別の目的があった。それはこの街に伝わる古い伝承や神話を調べることだった。
僕がアニマと出会った日に、白衣の老人はこう言っていた。『再び世界を元の形に戻さなければいけない』と。僕はその言葉の意味を知りたかった。それを知ることができれば、今僕が置かれている状況が少しは理解できるかもしれないと思ったからだ。
図書館は古くからあった屋敷に手を加えた建物で、赤レンガの壁にはあちこちに細かなひび割れができている。小さなガラス窓のある入口の木戸は色あせて少し傾いでいるので、どんなに慎重に開けてもギイっときしむ音がする。それでも僕はなるべく音をたてないようにそっとその戸を開けた。
図書館の中は親密な静けさに包まれていた。窓枠にそって日の光が差し、あたりは古い本と木の匂いに満ちていた。
丸ぶちの眼鏡をかけたしかめ面の図書館司書のおばさんがちらりと僕のほうを見たけど、彼女は何も言わずにまたすぐ手元の用紙に目を戻した。彼女とはほとんど話をしたことがないし、誰かと話をしているのを見たこともない。だけど僕はそのおばさんになんとなく好感のようなものを抱いていた。無愛想な中にも図書館の利用者に対する気遣いや仕事に対する誠実さが感じられたからだ。
「神話・伝承」と書かれたプレートがさげられた書棚は、図書館の一番奥にあった。僕が普段借りる本とは違い、どれも長い年月を経ているため赤茶けている。そこにある多くの本はうっすらとほこりを被っていて、長い間誰の目にも止まらなかったことを物語っていた。
神話や伝承に関しての様々な本が並ぶ中に、一際厚くほこりを被った本があった。僕は何げなくその本を手に取り、息を吹きかけて埃をはらった。色あせた黄色の本の背表紙にはかすれた字で『聖なる戦い』と書かれていた。
僕はその本を持って入り口近くの窓の横に置かれた読書用のテーブルに腰かけ、本を開いた。それはかつてこの土地であった民族の対立とそれによって引き起こされた争いについての歴史書だった。本の冒頭には次のように書かれていた。
「今日我々の暮らしているこの肥沃な土地には、かつて我々の祖先の他に古くからこの土地に暮らす先住民があった。
彼等は我々のような崇高な信仰心を持たず、自然を朋友として土と木で造られた粗末な家に住み、質素で粗野な生活を営んでいた。
我々の祖先は偉大なる文明を持って此の土地に移り住み、彼等に慈愛を持って文化の恵みを与えんとした。しかし頑なる彼等は此れを拒み、終いには我等に土地を退くよう訴え出た。
これが永きに渡る聖なる戦いの始まりである」
僕はその後のページをぱらぱらとめくって目的のものが書かれているところを探した。『先住民の生活様式』と題されたページで、僕は手を止めた。
その本によるとかつてこの土地で暮らしていた先住民は狩猟と小規模な農耕を営む民族だったらしい。彼らはいくつかの小さな集落に分かれて暮らし、年に一度、すべての集落の人が集まって古くから伝わる儀式をしていたそうだ。戦争のさなかでさえ、彼らはその儀式をかかさなかったらしい。
隣のページにはその儀式が行われた場所を指す地図が記されていた。驚いたことに、それは僕の住む丘の裏の森だった。
僕はカバンからノートを取り出した。表紙に『省察』と書かれたそのノートは、あの日僕が泉の脇で拾ったものだ。ノートは一度濡れたせいで開きにくくなっていて、ようやく開いたページもインクがにじんで読みづらくなっていた。かろうじて読めるページにはこんな走り書きがあった。
『私がグラジオラスとともに膨大な地力をエネルギーとして抽出する技術の実用化に成功したとき、人々は私たちの輝かしい偉業を褒めたたえた。けれどもそのシステムの欠陥に気づく者は誰ひとりとしていなかった。
地力は確かに膨大だ。しかし無尽蔵ではない。やがては汲み尽くすことになるだろう。そして汲み尽くしたあとには草木の生えぬ死の大地が残ることになるのだ。私は何度もグラジオラスに進言したが、彼は頑として耳を貸そうとはしなかった。彼は手にいれた栄光に酔いしれていた。だから私は彼とたもとを分かち、新たな研究に着手したのだ。
この研究こそが、私の贖罪である。』
贖罪、という言葉が僕の胸を深くえぐった。過去の過ちを償おうとしていたあの白衣の男の人と自分とを重ねてしまう。
僕はノートの中に本と合致する部分を探したが、ようやく読み解けた単語は「森」と「ほら穴」、そして少し離れた行にある「確信」という3つだけだった。
僕は再び本をめくった。いついつにどのような戦闘が行われ、どのような規模の被害が出た、というようなことが順を追って書かれてあった。
その中に『呪い』という項目を見つけた。先住民には相手の名前を使っておぞましい呪いをかける風習があったらしい。だから兵士たちは自分の名前を隠し、代わりに草花の名前でお互いを呼び合うようになったそうだ。それが今日我々が本当の名前を隠し、草花の名前を通り名として使うようになったいわれである、と本には書いてあった。世界の成り立ちにはそれぞれ理由があるのだと思った。
不意に猛烈な眠気が僕を襲った。思わず大きなあくびをすると、図書館司書の女の人と目が合った。僕は恥ずかしさを覚えてノートをカバンにしまって本をもとあった場所に戻し、足早に図書館をあとにした。
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