第3話

 水平線をのぞむ見晴らしのよい丘の上に、僕と妹の暮らす家がある。昔農業をしていた祖父母が暮らしていた年期の入った木造の家だ。遠くから見るとオレンジ色の瓦屋根と白い壁とが空と海の青さによく合っているけど、近くで見ると何年も放置されていたためにところどころ瓦が割れていたり壁のペンキがはがれていたりとひどくみすぼらしい。庭には小さな畑と鶏小屋とがあり、鶏小屋の中では数羽の鶏が真新しい乳草をついばんでいる。

 僕は庭を囲った木柵に自転車を立てかけ、荷台からパンとミルクの入った袋を取って家へと入っていった。

 玄関のドアを開けてすぐのところにあるテーブルに座って、妹のエリカは本を読んでいた。

「あ! お兄ちゃんおかえりなさい」

 エリカはそう言って読んでいた本から目を上げて僕のほうを向いた。肩まで伸びた栗色の髪の右側をお気に入りのピンで留めている。少し離れたくりっとした目とアヒルのような笑みを浮かべる口元には母親の面影が浮かんでいる。

「パンとミルク、忘れずに買ってきてくれた?」

 そう言ってエリカは読んでいた本に押し花で作ったしおりを挟んで閉じた。僕は何も言わずに手に持った紙袋を上げて見せた。

「ちゃんと忘れずに買ってきてくれたんだね。感心感心」

 エリカは屈託のない笑みを浮かべて言った。

「何か食べるでしょ? 今朝はトリトマが卵を産んでたからそれでエッグトーストを作ってあげるよ」

 トリトマとは庭で飼っている鶏のことで、名前はエリカが付けた。エリカはそう言うと左手をテーブルについて椅子から下りた。

「いいよ自分でやるから。お前は本でも読んでなよ」

「なに言ってるのよ。家のことはあたしにまかせてって言ったでしょ?」

 そう言いながらエリカは左手で肘の上から失われた右腕の付け根をさすった。右腕を失ってからのエリカの癖だ。そのしぐさを見るたびに、僕の心はきしむように痛んだ。

 僕はそれ以上なにも言うことができず、ただ小さく苦笑いを浮かべてさっきまでエリカの座っていた席の向かいの椅子に腰をおろした。エリカは慣れた手つきでキッチンにある小さな土窯に火を入れてフライパンを温めはじめた。土窯はコンロとオーブンがひとつになったもので、使い込んでいるのでところどころひび割れている。街では地力を使ったオーブンを使うのが一般的だ。そっちのほうが自由に温度調節ができるし煤も出ない。だけどうちにはそんなものを買う余裕はない。

 エリカは僕が買ってきたパンを切り分け、表面に薄く切ったトマトを乗せてオーブンに入れた。左手で卵を割ってフライパンの上に落とすと香ばしい匂いが立ち始める。それを閉じ込めるようにエリカはフライパンに水を落として蓋をした。

 僕が出来上がったエッグトーストをミルクで流し込むように食べる様子を、エリカは向かいの席に座ってじっと眺めていた。何か言いたげな様子だった。僕はそれに気がついていながらも、あえて話しかけたりはせずに黙って食べ続けた。

 僕が食べ終わったのを見届けると、エリカは大きなため息をついて言った。

「…ねえお兄ちゃん、」

「何?」

「どんな味がした?」

「何が?」

「エッグトースト」

「…ああ、うまかったよ」

「うそだ」

「うそじゃないって。本当に、びっくりして心臓が止まりそうになるくらい、心の底からおいしかった」

「うそだね。もういいよ……あーあ、そりゃあ料理って呼べるほど手の込んだものじゃないけどさぁ、せっかく作ったんだからちゃんと味わって食べてよね。作りがいがないなぁ」

 エリカのぼやきに対して僕は「夕食に期待してるよ」とだけ言って立ち上がり、食べ終わった食器を流し台に持っていった。

「疲れたからもう寝るよ。夕方になったら起こしてくれ。ただし、部屋には入ってくるなよ」

 そう言って僕はふくれ面のエリカを残して自分の部屋へと向かった。

 廊下の突き当たりに小さな木戸があり、それを開くと細く暗い階段が地下へと延びている。僕は戸のすぐ脇のテーブルに置いてある小さなランプに火を灯して、その明かりを片手に地下へと降りていった。地下にはもうひとつ扉があり、その先は石壁で覆われた小さな部屋になっている。小さいと言っても僕が立って歩いても支障のない高さの部屋だ。ここは昔、祖父が農園を営んでいた時には採れた作物の貯蔵庫として使われていたけれど、今は僕が自分の部屋として使っている。

 部屋に入ると僕はまず天井から吊るしてある大きめのランプに火を移した。部屋の中には小さなベッドと小さな本棚、そして大きめの作業机が置いてある。僕は作業机の上にかけておいた麻布をはずし、その下に隠しておいた作りかけの機械をランプの灯に照らしながら丹念に点検した。薄い鉄板やコードをいくつも組み合わせ、人の手の形に似せて僕が作ったものだ。曲がらないひじ関節、膨れ上がった手首の関節、そしてその先に取り付けた鋭利なフォークのような関節のない指…。エリカの新しい腕となるべきものだけど、完成には程遠い。

 机の上には人の手のスケッチや何枚もの設計図が散乱している。木片を削って釘で繋げただけのシンプルな腕の模型には思いついたこととその日付を書き留めたメモ用紙が何枚も張り付けてある。いくつもの新しいアイデアを思いついてメモをとったとしても、実際に役に立ちそうなものはほんのわずかだ。

 ひとしきり鉄製の腕を点検したあとで、僕はバッグの中から今朝廃材置き場で拾ってきた鉄パイプを取り出し、作りかけの腕と鉄パイプとを重ねて眺めながら構想を練った。しばらく考えた後で僕はまた新たに骨組みを作ることに決め、肘から上の骨格に合うように長さを測ってから鉄ヤスリを使った地道な削り出しに取り掛かった。

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