Second

 ジョージが願いを見守るのは、ティムで五人目だ。これまで担当した人間の内訳としては、あっという間に挫折したのが二人。頑張ってはいたけど結局は別の道を選ぶことにしたのが一人。翌日には願ったことすら忘れていたのが一人。最後に、公園のベンチにひっくり返りながら叫ぶ酔っ払いの視線の先に、偶然自分がいたという不幸が一つ。

 それと比べたら、今回は当たりくじだ。

 まだそんな甘い考えに浮かされていたころは、レクイエム作りのあっけない幕引きを確信していた。経歴のどの部分をとっても、ティムは音楽家として優秀そのもので、疑念の余地がない。お役御免。流れ星としての生活とも速攻おさらばだ。そうなると、退屈で仕方ないこの仕事も愛しく思えて、名残惜しさすら感じる。

 これまで、いろんな人間を見てきた。

 朝早く起きて会社で働くって大変そうだな、とか。目玉焼きにはマヨネーズより塩だと思う、とか。お酒って飲みすぎてしまうほど美味しいものなのかな、とか。印象に残ったものが、走馬灯のように思い出される。

 そんなことに現を抜かしているうちに、一週間が経ち、数ヶ月が過ぎ、気づけばいくつも年を越していた。待てど暮らせど、曲は完成しやしない。感傷に浸り過ぎて溺れかけたところで、白旗を挙げた。こいつはのんびりしている場合じゃない。

「そうは言っても、僕にできることは何もないんだけどさ。という訳で、結局今までで一番、とびっきりのハズレくじだったんだよ。あのチェロ弾き」

 老人と初めて言葉を交わしてから二年が経った。今日、老人は青い星を机に置いて作業している。到着したときから「ちょっと待ってて」と、こちらはほったらかしだ。

 流れ星は茶色く、かけられた願いが叶えば青くなる。青い星は、老人の手によって人々の頭上で絶えず灯る星として宇宙へと送り出され、旅人に方角を示し、星座を成し、ロマンチストたちの話の肴になってやるのだ。それまでは、人間を見守りながら、時折りこの惑星でメンテナンスをしてもらう。

 ここは、流れ星にとって傷を癒すオアシスであり、最後を迎える墓場だった。

「さて、これでお終いだ」

 老人は、いつもの棚からビンを取り出した。スプーンで金色の砂を少量すくい、青い星に振りかけると、ボッという音とともに炎に包まれ、次の瞬間には星が白っぽい光の塊になって現れた。老人が今度はそれを天にかざす。光を放ち続ける星は、表面をキラキラと瞬かせながら宇宙に吸い込まれるように手を離れ、やがて見えなくなった。

「それにしても、めずらしく派手にやったもんだね」

 老人は眉をひそめて、あきれた顔で傷だらけの僕を見た。

「本当は運動神経いいんだよ」

「それで調子に乗って油断したんだろう」

 痛いところを突かれて反論の余地もない。

 流れ星の傷の大半は、時間とともに劣化してできたものだ。今回の僕の場合は、犬に追いかけ回されたり、危うく大気圏で燃え尽きそうになったりと、自分で蒔いた種から芽生えた涙なしじゃ語れない冒険があったのだ。

「それで、最近のチェロ弾きはどうなんだ?」

「相変わらず、鳴らしちゃ書いて、書いては消して、消してはまたチェロを鳴らしてるよ」

 ティムは、毎日律儀に曲作りに取り組んでいる。着任したころから特別変化はない。いつ終わるのか、今は全体の何割完成しているのか、皆目見当もつかなかない。

「ここまで来ると、そもそも本当にレクイエムは完成してないのか疑わしいな」

「僕のこと、何色に見える?」

「茶色だな。ここの砂みたいに赤っぽくて、青には程遠い感じの。そうじゃなければ、修理のしすぎで金色だ」

「そこまで聞いてないよ」

 この人、存外にいい性格をしている。いつも黙々と仕事する姿を見て、愚直で真面目な印象だったけど、こうも違うとは。

「あなたの方の調子はどう?」

「変わらないよ」

「それは何よりだ」

 ティムの生活もだが、この惑星の景色も代わり映えがしない。来るたびに、テープを巻き戻して何度も同じ場面を再生しているかのようで、百年先も寸分違わず同じ光景が広がっていそうだ。

「ティムが作るレクイエムってさ、妻――ニーナっていうんだけど、彼女からのリクエストだったんだ」

「ほう」

「〝私にレクイエムを作ってほしい〟っていうメッセージを、死に際に残したんだよ」

 老人が手際よく僕のひびに砂を詰めだした。細かい作業に、修理されているこっちが緊張する。

「贅沢な餞別だな。世界屈指の音楽家が作る自分だけの曲なんて」

「ね。死んだら元も子もないのに」

「そんなことはないだろう。レクイエムは魂を鎮める曲なんだから」

「でもさ、作れないなら早く諦めて第二の人生を始めた方がいいと思わない?ティムにはまだ仕事の依頼があって、今からでも充分やり直せるんだしさ」

「まあ、その気持ちはわかるよ。ただ、続ける理由が彼にはあるんだろう」

「理由ねえ。僕には死んだ人間に囚われているとしか思えないよ」

 それが決して悪いことだとは思わない。でも、もっと有意義に時間を使えばいいのに、という焦れったさはずっとくすぶり続けていた。

「今まで数えきれないくらい流れ星を直してきたけど、多くの人間は長くて十年も上手いこといかなければ、諦めるか、そもそも願い事をしたことすら忘れてしまう。でもティムはそうじゃないんだろう?」

 レクイエム作りは、それこそ人生をかけるほど価値があるものだろうか。

 どんなに遠くて険しい道のりでも、叶えたいことがあるのなら自由に挑戦したらいいと思う。そうしていつか、その重ねた努力は報われてほしい。けれど、ティムはもう手が届くことのない亡霊を追いかけるばかりで、自分が生きている世界を見ようとしてないじゃないか。

「あーあ。いつになったらレクイエムは完成するんだろう」

「気長に待つしかないな」

「流れ星じゃなかったら、ティムのお守り役なんてとっくに放棄してたよ」

「流れ星じゃなかったら、ティムのお守りをすること自体、なかっただろうよ」

「たしかにそうだ」

 地面に穴があきそうなほど深いため息をもらす横で、老人はクックと笑っていた。

 本当、他人事なんだから、やんなっちゃうよ。

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