First
あちこち摩耗して、サイズが一回り小さくなっているのと、深めのひびが一つと、欠けて歪になっているのが少し。直すのは造作もなさそうだ。
突然流れ星と会話ができるようになった理由に、心当たりはない。長く続けていれば、こんなこともあるのかもしれないと、理由をてきとうにまとめて自分を納得させた。
コンコン、ガチャガチャと、自分が作業する音と、ラジオから流れる声だけが聞こえる。いつもと変わらないはずが、同じ空間に意思疎通できる者がいるだけで、とんでもなく居心地が悪い。ついに我慢ができなくなって、仕方なく、どこぞの人間がこれほど長らく傾倒するものはなんなのか、尋ねることにした。
「なあ、ジョージ。君にはどんな願いが込められているんだ?」
粘土の塊を破けるギリギリまで薄くのばし、欠けた部分の型を取っていく。
「レクイエムを完成させたいらしい」
「レクイエム?」
「そう。願い事をしてきたのは、ティム・ベネディクトというチェロ弾きだ」
二十年前、ティムは世界中からコンサートに招かれるような有名な音楽家だった。出演が決まればチケットは即完売。新しい曲を発表すれば、必ず話題をさらっていく。高級なレストランから場末のバーにまで彼の曲が流れ、夜の路上では若者たちがアレンジを加えた演奏を披露し、その周りには幾重もの人垣が築かれる。街がティムの音楽に溢れていた。
だけど、そんな人気の絶頂期、彼の妻が亡くなった。
そして、それからティムは来る仕事全てを断り、表舞台からぱったりと姿を消した。次から次へと新しいものが生まれて廃れる時代の流れは、あっというまにティムを過去の人にする。今では人々の口上に彼の名前が挙がることはほとんどない。そんな世界の片隅で、ティムはひっそりと妻に手向ける曲作りに明け暮れていた。
「懐かしい。僕もよく聴いてたなあ」
ジョージが口ずさむメロディを、聴いたことがある。一時期ラジオから頻繁に流れていた。
「なんだ。願い事って曲一つ作るだけか?」
「そうだよ」
「それにしちゃ、ずいぶんと時間がかかっているな」
「同感だよ。部屋に飾られたトロフィーはレプリカなんじゃないかって、何度疑ったことか」
はあ、と深いため息が聞こえる。ずいぶんと手を焼いているようだ。乾燥した粘土の型に金色の砂を流し込み、押し固めてパーツを作っていく。
「周りの人は何も言わないのか?」
「当初は色々言われたよ。でも、最近じゃめっきり聞かないね。ティムには他に家族もいないから」
「寂しい話だな」
「そうでもないよ。代わりと言っちゃなんだけど、たまに、仕事仲間だったらしい夫婦とその子どもが二人訪ねてくるよ。元気にやってるのか、ちゃんとご飯は食べてるのかって世話を焼きに。子どもの方は、僕が担当し始めたころにはまだ赤ちゃんだったのに、すっかり大人になっちゃってさ」
偏屈で孤独な老人を想像していたが、どうやらそうでもないらしい。
「それに、いまだに仕事の声がかかるよ。どこから噂を聞きつけてきたのか知らないけど、最近レコード会社がティムにレクイエムの音源化を打診してきたんだ。過去に一世を風靡した名匠が新曲をひっさげて堂々復活って筋道で。でも、ティムは断っちゃった」
「せっかくの才能がもったいないな」
「天才も、何もしなければ凡人と変わらないさ」
老人は、完成したパーツを一つひとつ欠けたところにくっつけて、ひび割れにきめ細かい砂粒を注いだ。
「そういえば、君は他に誰かと会話できるのか?」
「いいや。人間とも星とも話したことなかったよ。あなたは?」
「私も同じようなもんだ。会話すること自体、久しいよ」
「いつもあなたが修理してくれているけど、この惑星に他に人はいないの?」
「今のところ出会ったことないね」
惑星を一周して探索したわけではない。それどころか、遠くに見える地平線の向こう側のことは何も知らないし、興味もなかった。
「それって寂しい?」
「どうして?」
「さっき、ティムのこと寂しいって言ってたから、そうなのかなって」
そうだっただろうか。作業しながらだったから、無意識にでた言葉の綾といったところだろう。
「考えたことないな。これが私にとって当たり前だし」
「ふーん。僕は退屈過ぎて死ぬかと思ったけど、そんなもんか」
「退屈で死んだ奴なんて聞いたことないよ」
「じゃあ僕がその歴史的第一号になるかもしれない」
「不名誉な一号だな」
誇らしげに言ったところに茶々を入れながら、紙やすりで表面がなめらかになるまで磨く。布で粉を払えば元通りだ。満足いく仕上がりに、やっと一息つく。
「それにしても、流れ星は人間を見守るって本当に見ているだけなんだな」
「せめて、一言アドバイスとかさせてほしいけど、流れ星の仕事として音楽の鑑賞はしても願いの干渉はするなってことなんだろうね」
僕今上手いこと言った?とはしゃぐ声は流して尋ねる。
「もし一言チェロ弾きに伝えられるなら、なんて言うんだ?」
何の気なしに聞いただけだったが、これまでぺらぺらと饒舌だったジョージからの反応がピタリとなくなった。いい加減、今まで話していたのは自分の妄想だったのかと思い始めたころ、やっと静かな返事が返ってきた。
「もう諦めたらって言うよ」
「応援してやらないのか」
「曲作りを支えようなんて気持ちでそばに居たこと、一度もないよ」
まだ言葉が続くかのように思えたが、この話題はそこで切り上げられてしまった。
「それよりさ、あなたはコーヒーって飲むの?」
「ここしばらくは飲んでないな。今は豆も道具もないから用意できないよ」
ラジオ以外の嗜好品や趣味の類といった仕事に関係のないものとは、いつのまにか距離ができていた。
「いや、いいんだ。ただ、午後の三時を過ぎると、ティムがコーヒーをよく飲んでいることを思い出してさ」
ジョージは、そこで言葉を切った。老人は、もう一度だけ布で丁寧に流れ星の表面をなでた。
「さて、こんな感じでどうだ?」
「助かったよ。完璧だ。あの調子じゃ、僕が解放される日は、きっとまだまだ遠いだろうから」
「次また来ても、ちゃんと直してやるさ」
「それは心強い。じゃあ、いってくるよ」
ジョージは、そのままティムのもとへと飛び立った。
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