5.写真の山に埋もれて
中学校や高校は小学校から少し離れたところにあり、私達は自転車で通っていた。小さな町だ。顔触れはほとんど変わらない。
辛かったり悲しかったことが全くなかったというと嘘になるが、皆一緒で寂しくないのは私には本当に有り難かった。やっぱり別れは少ない方がいい。
それに両親も勉強しろと口うるさく言ってこないのも良かった。二人は私が元気に通学しているだけで嬉しいようだったし、急かすと体調を崩すかもしれないと恐れてもいたのだろう。
「ちなっち、また撮ってるの?」
「うん」
私と全く同じブレザー姿の晴香がベンチの隣に腰かける。茶色がかった長い髪が海から断続的に吹いてくる湿った風に遊ばれていた。ざざん、ざざんと寄せては返す波の音も耳に心地よい。
もうすぐ夕暮れだ。海岸通りに設けられたこの
「毎日毎日、よく飽きないね」
「飽きる? あり得ないよ」
こうして水平線を見詰めていれば分かる。同じ夕日、夕暮れなんて一つもないのだ。むしろ、撮れば撮るほど惹き込まれていく。
両手に包み込んだデジタルカメラをそっと撫でる。小学生時代から使い続けている冷たくて赤い相棒は塗装が
『そんなに高いものじゃなくていいの』
カメラを買って欲しいとお願いした時、父と母は驚いた顔をしただけで深く理由を聞いてはこなかった。とても景色が素敵なところだから当然、とでも受け止めてくれたみたいだ。
私がそれまで何かが欲しいと――「外に出たい」という願い以外では――強く
我慢とは違う。ただ、どんな物を手に入れても意味がないと思っていた。少し遠出しただけで風邪を引いて熱を出し、珍しいものを食べただけで腹具合を悪くする自分には。
『何色にする?』
『……これ』
田舎町にも幾らか車を走らせれば家電量販店はあって、家族で訪れたその店であれこれ買い物をするついでに小さなカメラを買って貰った。子どものオモチャにしては高価、くらいの値段だった。
目を引いたのはオレンジがかった赤色で、嬉しそうに笑う娘を両親は複雑そうな顔で見ていた。何を撮りたくて欲しがったのか、薄々気付いていたのだろう。
それからは友人や家族の笑顔、家の近所などの身近な人やもの、景色を次々に撮影した。そしてもちろん、毎日訪れる夕日や夕暮れを。雨や雪の日はそれらが見せる情緒を収めた。
撮った中から特に好きなもの、イノちゃんに見せたいものをプリントアウトしてアルバムを埋め尽くしていった。
「暮れてきたね」
晴香の呟きを皮切りに、その日も太陽が沈みきるまでシャッターを押し続けた。
季節は流れる。年月もあっという間に過ぎていく。
夕暮れはぼやけた記憶を僅かに鮮明にはしてくれたものの、効果は膨大な「時間」の前には無に等しい。
『――!』
人は声から忘れていくなんて言うけれど、それは事実だった。耳の奥に残っていた残響は消え失せ、
遠い遥か向こうに夕日と照らされたブランコ、手を振る誰かの影が浮かび上がるだけだ。
「イノちゃん、見てくれたかな?」
せめてもの抵抗として、撮った写真をコンクールに応募し始めた。何度も繰り返していると、じょじょに認知もされるようにもなった。ネット上にも画像を投稿し、写真撮影やカメラが好きな人達と交流する機会にも恵まれた。
投稿者名は「チナツ」。載せるのは大抵、あちこちで撮った夕暮れ。イノちゃんに気付いて貰うためだ。私の顔や声を忘れても、目を射抜く赤が二人を結び付けてはくれないかと願って――。
「あっ……」
ところが、高校も卒業間近に迫ったある時、膨大な量になりつつある写真とデータを整理しているうちに知ってしまった。
手から一枚が滑り落ちる。夕日を背に、晴香と二人で笑っている写真だ。
これらが記憶の風化に拍車をかけた事実に気付いたのだ。
イノちゃんと再会するため、した時のためにと続けてきた行為が、彼との思い出を余計に遠くへと追いやってしまったのだと。
もう待てなかった。これ以上時間が過ぎてしまえば、きっと全てが
子どもだった私に、成長した自分が「前を向きなさい」と優しく諭しにかかる予感があった。いや、足音なら聞こえているのだ、ずっと前から。
がさがさと乱暴にアルバムを漁る。
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