第2話 菊っちゃん 2020/06/21

 小学3年生の頃、僕は、チビ・ヤセ・気弱と三拍子揃っていた。本とアニメが好きで、運動が苦手。友達と遊ぶより、本を読んでいる方が好きな子供だった。


「坊主。ワシのことを、おじいちゃんと呼ぶな」と、その腕時計は言った。


「えぇ…」

 訳が分からない。おばあちゃんの家から帰ってきて数日、そんな日が続いていた。


 おばあちゃんから貰った腕時計は、古くて金色だった。文字盤は白くて、本体が金色。ベルトも金色で、蛇腹のようにビヨーンと伸び縮みした。けど、僕が腕にはめてもガバガバだ。


「お父さんのお父さんなんだよね?」

 僕は、遠回しにお爺ちゃんなんだよね?と尋ねてみる。


「そうだ」


「おばあちゃんの旦那さんなんだよね」

 僕は、遠回しにお爺ちゃんなんだよね?と尋ねてみる。


「そうだ」


「えぇ…」

 おじいちゃんじゃん!


「ワシの名前は、石井 菊次だ。坊主の親父の名前は?」


「石井 菊三だよ」

 ずいぶん古めかしい名前だ。


「坊主の名前は?」


「石井 一郎」

 我ながら、なんというか角刈りが似合う名前だ。


「そうだ。だから、お前がワシの孫なら、菊の字が付くはずだ。順当なら菊四だろうが、四は縁起が悪い。それにしたって、例えば濁点つけて、菊次郎とかあったはずだ。…菊次郎とか」


 菊次郎がお薦めらしい。どこの時代の名前だよ。菊次郎って。


「僕、理由知ってるよ」

 お母さんから、聞いたことがある。答えを知っているのが嬉しくて、ちょっと前のめりになる。


「お父さん、自分の名前が嫌だったんだって。笑点に出ている落語家みたいで。だから、自分の子供には菊を付けなかったって」


 腕時計は、しばらく黙っていた。


「そういう問題じゃない」


「えぇ…」


「そもそもワシが死んだのは55才だ。まだジジイじゃない。ジジイ呼ばわりされる謂れはない」


「はぁ…」僕はため息をついた。


 大きく深呼吸して、心を静める。小学三年生が、何でこんなに気を使っているんだろう。すごい疲れる。人と話すの苦手なのに。


「じゃぁ、何て呼ぶ…?」


「菊っちゃんで良い。皆そう呼ぶ」


 凄い面倒くさい。初めからそう言えば良いのに。この時計、おばあちゃんに返せないかな。


「じ、じゃぁ、菊っちゃん、お願いがあるんだ」


「なんだ?」


「僕のことも、坊主じゃなくて…名前で呼んでくれる?」

 実はさっきから気になってた。坊主呼び。


「…分かった。イチ坊。よろしくな」


「イチ坊…」

 なんだろう。もう違和感しかない。


「ん? イチ公が良いのか?」


「それは、どっかの名犬みたいだから…」

 改札前で待ってましょうか。ボス。


「じゃ、イチ坊」


「せめて、イチで…」

 僕は何の交渉をしているんだろう…。


「ガキのくせに細かいこと気にする奴だな。

 どうせ、俺の声なんてお前にしか聞こえないのに」


「えぇ…」

 それ言う? それ言っちゃう?


「ん?」と菊っちゃん。

 僕の心の叫びが聞こえたのかもしれない。


「まぁ細かいこと気にするなよ」と、菊っちゃんは言った。

 ニヤリと笑った気がした。


「オジイの言うことなんだから」


「やっぱ、オジイなんじゃん! もう、オジイで良いじゃん!」

 その場で叫ぶ僕がいた。


 


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