第八十〇話 堕獄<番外編・二>

「———様、そ、そろそろ対象者の邸宅に到着します。」


男は我にかえると、静かに頷いた。濃い暗闇の中でその動作が相手に見えたかどうかは分からない。しかし、そんなことはどうでもよかった。


「そ、その、親方様からこちらのブツを預かってまして・・」


そう言った従者が震える手で箱を手渡した。

男が蓋を開け中身を確認すると古びた土器が一つ、入っている。

土器は二つの腕を合わせたような球体で、継ぎ目の部分には厳重に呪符が貼られていた。


「今回の儀式に使う道具と聞いております。何でも依頼主の方が闇市から取り寄せた呪具じゅぐらしいです。相当な金を積んで手に入れたんじゃないでしょうか・・?」


「なぜそう思う?」


「は、はい、そ、その、私は貴方様と違って日銭を稼ぐくらいしかできない流しの陰陽師分際ですが、その呪具については風の噂で聞いたことがあります・・。そ、それは、『鬼蛇オニヘビ』とかいう恐ろしい代物じゃないですか?」


男は暗闇の中で沈黙する。


「や、やっぱり!そ、それにしても、こんな恐ろしい呪具を使ってまで呪いをかけたいとなると、依頼者は相当な怨みを持っているとしか・・。それに、な、何ていうか、さっきから中で何かがうごめいているような気配がして・・。」


「それ以上の詮索はやめたほうがいい。」


「ヒィィ!!はっ、はい!!!すいません!!!」


上空の強い風が月にかかった分厚い雲を押し流すと、青白い月光が地上に降り注ぐ。再び風に流されてきた雲が月にかかると、途端に光が消え失せて暗闇が立ち込める。

僅かな月明かりに照らされた男の横顔は長い睫毛を憂いに伏せながら瞳には深い悲しみの色を湛えていた。

色素の薄い肌は滑らかで、肩にかかった柔らかい髪は艶があり、華奢な体つきが月夜に浮かび上がると、まるで本物の女が佇んでいるようだった。


「そ、それにしても高貴なお方は男であってもべっぴんさんですね・・。見惚みほれます・・。」


何人かの物はその従者の発言に驚き、何人かの者は先を越された嫉妬に身を焦がした。

男は、この従者に男色の気があると悟る。


「僕には心に決めた人がいるんだ。」


「・・そ、そうでしたか。そうですよね、私なんかが身分もわきまえず失礼を・・、申し訳ございませんでした。それにしても、貴方様のような美しいお方に想われるなんて、そのお方は幸せな女性ですね。」


「・・いいや、僕なんか足元にも及ばないくらい何もかもが美しい人なんだ。絶対に手が届かない。だけど、大切にしたいんだ。あの人を想う自分の気持ちを・・。例え一緒になれなくても、そばで支えるくらいなら許されると思ってる。」



一行が呪詛じゅそ対象者の邸宅に忍び込んだ。

闇夜に浮かぶ赤い満月が黒い雲間から不気味に嗤う。

ポツリポツリと大きな雨粒が降り落ち、遠くの空で稲光が走り、いよいよ雨が本降りになりそうな気配が漂ってきた。

従者達は男の指示に従い、庭の一角に大きな穴を掘り始める。呪具を穴に埋めて呪詛の儀式を行うのだ。

離れた場所からその作業を横目にいよいよ男が呪具に手を伸ばすと、中で何かがうごめき、封じられた妖気が今にも割れ出そうな気配が漂った。

ふと、呪具に貼られた呪符の一つが破れかかっていることに気がついた。破れ目の下に覗く土器の接合部分から黒いもやのような妖気が微かに漏れ出しており、深夜の闇の中にもかかわらず、さらに濃い闇色は男の目にはっきりと見えた。


--呪詛などやらない。


それが男の意志だった。男は破れかけた呪符に指を置くとゆっくりと剥がそうとした。中身を抜いて儀式を行えば呪詛は効力を発しない。しかし、意に反して手元は震えた。父親に逆らい己の意志を通そうとすればするほどてのひらが汗ばみ、滑る指先は中々呪符を剥がすことができない。

ところが突然、呪具に亀裂が入った。

刹那せつな、土器が二つに割れ落ちると、一欠片の不吉なうろこが闇夜に浮かぶ。男は咄嗟とっさに飛び退しさると距離を空けて怪しい陰影に目を凝らし身構えた。



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