第三十六話 丑の刻参り<後編>

--ここは・・、どこ・・?


私はゆっくりとまぶたを開けた。

辺りを見回すとそこは途方もない暗闇の空間になっている。

すぐに自分の体の存在を確認しようとするけれど、闇が濃すぎてほとんど何も見えない。

足元もおぼつかないくらいの濃い闇の中で、自分が地に足を付けている感覚が上手くつかめなかった。

すると、どこからともなく嫌な気配がただよってくる。


--・・こ、の、・・感覚・・・。


私の心臓の鼓動がどんどん大きく早くなっていく。

そして、心の奥底に閉じ込めたはずの恐怖がゆっくりと確実に近づいてくるのが分かった。


--・・いやだ!


あいつが近づいてくる。

腐肉のような強烈な臭いとともにズルズルと何かを引きずるような音が大きくなっていく。

私の体が反射的にふるえ出す。

鼓動が妙に大きく振れて、そこだけ飛び出しそうになる。

喉が一気に乾いて吐きそうになる。


--助けて!


私は震える足を懸命に動かそうとするけれど、漆黒の暗闇の中でどちらに進んでいるのかよく分からなくなってくる。


--ダメだ、怖い。


影の音が大きくなる。

背中のすぐ近くに何かが迫るような気配がした。

巨大な影が私をからめとろうとする。

私は必死に逃げる。

だけど、圧倒的な影の気配が私を飲み込もうとする。


--嫌だ!!


すると、声がした。


おうちゃん・・。』


--この声は・・。


「母様?!!」


『こっちよ・・。こっちにいらっしゃい・・。』


「母様!どこ!?どこにいるの!!?」


私は母様の声のする方へ走り出そうとする。

けれど、恐怖で強張こわばった体は思い通りに動かない。


「母様!!どこにいるのですか!?」


『こっちよ・・。』


私は震えで上手く動かない足を必死に前へ進める。

やがて、暗闇の向こうになつかかしい顔が見えた。


「母様!!!」


そこには母様がいた。

母様はすばる様が贈った羽織を着ている。

黒曜石のように深く神秘的な瞳、薄紅色の上品な口元、玉のような美しい肌、長く綺麗な御髪みぐし

母様は微笑んでいた。


『桜ちゃん、会いたかったわ・・。』


私は母様に駆け寄って抱きついた。

母様は私の髪に触れると、頭部の上から下に向かって無造作に手を移動させる。

私の頭をでてくれたようだった。


「母様?」


私は母様の顔を見上げる。

けれど、その瞳は底のない沼のように悲しげだった。


「母様!!大蛇オロチがきます!ここにいてはダメ!!すぐに私と一緒に逃げて!!」


母様は悲しげな瞳のまま何も答えない。


「母様!!逃げましょう!!早く!!!」


私は母様の手を引こうとした。

すると、その手が冷たいことに気が付く。


「・・・母様!?」


私が驚いて見上げると、母様の顔がわずかに揺らいだ。

次の瞬間、母様の首が裂けはじめる。

血が噴き出してボタボタとしたたり落ちる。


「嫌・・!」


ぬちゃりとした肉の裂ける不吉な音とともに母様の首が取れた。

そして、そのまま無機質むきしつに落下する。

鈍い音とともに母様の首が転がった。


「ぁ・・、ぁ・・」


私は目の前に転がる血だらけの頭から後退あとずさると、恐怖でそのまま腰をつく。

そして、悲しげな瞳のままの母様が私に言った。


『桜ちゃん・・、あなたはもう、・・逃げられないわ!』


母様の頭が腐り始める。

同時に、大量の蛆虫うじむしいてくる。

皮が溶け、肉が腐り落ち、目玉が落ちて、段々と頭蓋骨ずがいこつが姿を現す。


--そんな・・。母様が、母様が・・!


私の体が恐怖で震え上がった。

すると、すぐに声がする。


『桜ちゃん!!』


すばる様!?」


『こっちだよ!!早く!!!』


私はうように昴様の声のする方へけ出そうとする。

けれど、震えで何度も転んでしまう。

それでも私は声のする方へ必死に進もうとする。


「昴様!!」


『桜ちゃん!!』


暗闇の向こうで両手を広げた昴様が待っていた。

私は無我夢中で駆け寄る。

その腕を必死につかもうとしたその時・・、昴様が私を突き飛ばした。

私はそのまま地に打ち付けられる。


「痛い・・。」


私がうめく。

すると、髪を強く引っ張られる痛みを感じた。


『・・お前さ、まだ分からないの?』


昴様は倒れた私の髪を掴んだまま上に引き上げる。

そして、私の顔をにらみ付けた。


「昴様・・・、どうして・・?」


『お前はもう逃げられないんだよ!!』


昴様は私の髪を掴んだまま引きずり飛ばす。


「ぁあああ!!!」


私は体ごと地を転がり、力無くその場に横たわった。

倒れた私に昴様が近づく。

そして、もう一度私の髪をつかんで顔を上げさせると、今度は首元を鷲掴わしづかみにした。

私は首を掴まれたまま上から吊られるように絞め上げられる。


「ぅぁあぁ・・・」


『お前なんか生きてても無駄なんだよ!!さっさと諦めろ!!!』


--どうして・・、こんな・・ことを・・?

--・・・この人は、・・昴様なの?


昴様が私の首を掴んだまま、もう一度投げつけた。


「ぁああ!!!」


私の体が鈍い音とともに転がり倒れる。


--昴様・・?


私は痛みの走る首元を押さえながらき込んだ。

再び昴様が近づく。

私は自分の父親を見上げた。


「・・昴、様・・・、あなたは・・、本当に、昴様なの・・?」


突然、昴様が私の上に馬乗りになった。

私の両腕がつかまれてそのまま地になじり付けられる。

強い力で押し付けられた腕は振りほどくことができない。


「痛、い・・。ど、う、して・・?」


『お前は生きている意味がないんだよ!!何度言えばわかる!?言っても分からないならこうしてやろう!!!』


昴様が両手で私の首を締め付けた。

私は何とかその手を振り解こうとするけれど力の強さでかなわない。


--嫌だ。殺されたくない!!


もう一度、必死に目を開けてその顔を見上げた。

けれど、そこにいる男の目は昴様の目ではなかった。

それは、瞳孔どうこうが縦に切り裂かれた形の蛇の目だった。


--違う・・!この人は・・、この人は昴様じゃない!!


男が私を殺そうと冷酷な殺気を放つ。

私は息が苦しくて段々と体が動かなくなっていく。


--苦しい・・。


すると、わずかに闇がゆがみ始めた。

男がうめく。


『う゛ぅあ・・・、ぐそっ・・・、うぐぁあああ!!!』


眼前の男の顔が変わっていく。

その男の顔半分がたちまちうろこに覆われて、口から長い舌を出す。

昴様の形から蛇の男に変わっていく。


--大蛇オロチ!!!


大蛇オロチは顔を歪ませると頭を抱えるように立ち上がった。


『くそぉぉぉ!!昴か!!や、めろぉぉああああ!!!』


大蛇オロチ蹌踉よろめきながら私を鋭くり上げる。


「ぁあ!!」


私は転がりながらうめいた。

再び大蛇オロチの足が振り上げられて私を踏みつけようとする。


--嫌だ!


私は何とか体を横に回転させてその足を避ける。

けれど、私は蹴られた痛みに耐えられずうめき続ける。


--・・ダメだ。このままじゃダメだ!


私は痛みに耐えながら両腕の力をいっぱいに使って何とか起き上がろうとした。

そして、なぜ自分の力で立ち上がりたいのかということの想いが湧いてくる。


--・・ああ、そういうことなんだ!


私は自分の足で立ち上がる。


--私は生きたいんだ!!


昴様から手渡されたまもり刀のつかに手をかける。


--私は生きる!!


私は両手でその短刀を握り締め、大蛇オロチに向かって走り出した。


大蛇オロチ!!私はお前なんかに負けない!!私は絶対に生きてやる!!!」


体の奥底からを振り絞って叫ぶ。

すると、左胸のあざが光り出す。

私は自分の強い言霊ことだま大蛇オロチに放つ。


「私は、命をかけて生きるんだ!!!」


大蛇オロチふところに走り込む。

左胸の五芒星ごぼうせいから強烈な光があふれ出す。

次の瞬間、私は大蛇オロチの心臓に思い切り短刀を突き刺した。


『こ、の・・・、小娘がぁぁあ!!』


大蛇オロチが叫んだ。

それでも私はもう一度、大蛇オロチの心臓を深くえぐるように短刀を押し込む。

左胸からあふれる光が短刀を伝い、大蛇オロチの心臓へ大量に流れ込む。


『うぁあああがががががぁぁあああ!!!!』


強い光が闇を満たしていく。

同時に意識が薄れていく。

私は光に包まれた場所へ戻っていく・・。

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