第三十三話 旅立ち<後編>

一行は京を迂回しながら北へ進んだ。

道は整備された街道から草木の茂る道へ変わっていく。

山に囲まれた道を進んでいくとやがて湖に出た。


「わあ・・、大きな水たまり!」


目の前には対岸が見えないほど広大な湖とそれを囲む山々の景色が広がる。

おうは感心したように目を大きく輝かせた。


「ここは淡海乃海あふみのうみだよ。海といっても本物の海とは違ってこっちは湖。だけど、波もあるし魚も獲れるし船も通る。大きさは海にはかなわないけど、すごく大きい湖なんだ。」


なぎが桜に教える。


「湖・・。風もあって水面が輝いてとても綺麗・・。それにどこまでも広い。」


桜ははじめて見る湖の景色に目を奪われた。

雄大な山々に囲まれた大きな湖は穏やかに揺れ、大小様々な舟に乗った人々が荷物を運んだり魚を獲ったりしている光景が目に入る。

近くの山から来たであろうとびが湖の上空を悠々と旋回し、水面から時々大きな魚が飛び跳ねた。

そして、気持ちの良い風が吹き抜けて、水がキラキラと輝いた。

しばらく進むとすばるが湖畔で馬を止める。


「京を迂回したから少し時間がかかったね。この辺で一休みしようか。」


一行は簡単な食事を済ませると思い思いの場所でくつろいでいる。

桜は小虎を膝にのせ湖に向かって笛を吹いた。

風がそよぐと一つに綺麗に結いあげた彼女の髪が風にのってなびいていく。

桜の奏でる美しい笛の音色が湖の波間を跳び馳せて、水面の輝きとともに空を舞う。

笛の音色は透き通るように伸びやかで迷いなく凛とした強さを感じさせた。

その傍らの木陰で双子が寝そべりながら笛の音に耳を澄まし、凪と昴は近くの岩場に腰を下ろしていた。


「桜ちゃんの笛はいつ聴いてもいいねえ・・。」


昴が目を閉じて娘の笛の音に聴き入っている。

すると、少し間を置いてから凪が昴に問いかけた。


「・・なあ、昴。京を迂回するのには理由があるのか?目的地には京を通った方が早いだろう?」」


「ああ、んーとね、確かに京の中を突っ切った方が早いんだけど、見つかると色々と面倒だからね。」


「面倒?」


「うん。実は今夜、御所で歌合わせが行われるんだ。その歌合わせを見物するために京中の公家が御所に集まる。要するに、御所以外の場所は割と手薄になってる。だから、人目につかずに目的地に辿り着くためには今日が最適ってわけ。・・まあ、念には念を入れてかなり遠回りはしているけどね。」


「そうだったのか・・。でも、昴はその歌合わせに参加しなくてよかったのか?」


「うーん、俺も誘われたんだけど・・、上手く理由をつけて断ったよ。俺にとっては桜ちゃんの封印を解くことの方が大事だからね。」


昴は一度、笛を吹く桜を眺めてから凪に顔を戻す。


「歌合わせに関しては陰陽寮の下の奴らに任せてあるから適当に上手くやってくれるさ。それに、俺が行ったところで誰かに会えばどうせ下らない依頼が増えるだけだし、行かないほうが身のためだっていうのもあるけどね。」


昴が苦笑する。


「あ、下らない依頼っていうのはね。例えば、凪だったら『なくし物をした』としたらどうする?」


「自分で探すよ。」


「正解。自分で探すよね。」


昴が一度息を吐き出す。


「だけど、中には何でも陰陽師の力で探させようとする人もいるんだ。自分では何も考えずにね。・・疲れるよ。それでも俺は受けた依頼はあまり断らないほうだからやってあげる。」


昴は再び溜息ためいきをついた。


「あ!言っとくけど、まつりごとや祭事に関しては本業だから真面目にやっているよ。それに対立派閥の中には陰陽師の神託にかこつけて政を曲げようとするやからもいるからね。そういう奴らともやりあわなくちゃいけなくて、それはそれで大変なのよ。」


昴がちらりと桜を見て凪に視線を戻す。


「だけどね、もっと面倒臭いのは依頼を断らなくちゃいけない時だよ。いろいろあるんだけど・・。以前から再婚の申し込みをされている公家がいてね、俺にはその気がないからずっと断っていたんだ。ある時、その公家のあるじが病に倒れたから祈祷きとうや医術をほどこして欲しいと依頼があって行ってやると、部屋に通されるなりいきなり裸の女が抱きついてきた。」


うんざりした表情の昴が続ける。


「とはいっても、はっきり断ると角が立つからねえ。公家の世界は面倒臭いんだよ。だから俺は女を傷付けないように一首いっしゅんで帰った。なんで無理やり抱きつかれた俺が気を遣わなくちゃいけないのかわからないけどさ・・。」


昴がもう一度苦笑する。


「公家ってそんな世界なのか・・、昴もいろいろ大変なんだな。」


「一度や二度じゃないから慣れたけどさ・・、だけど、好きでもない女は抱けないだろ?」


そう言った昴が何かの真意を確かめるように凪の顔をのぞき込む。


「それとも凪はできるの?」


「できるわけないだろっ!・・・。」


凪は言ったすぐ後に桜の姿が脳裏に浮かぶが、すぐに慌てて自分の妙な妄想を振り払う。

すると顔が少し赤くなった。

それを見た昴が「ふふ」と笑う。


「白と黒だけじゃないって面倒臭いよねえ。まったく。はっきりできれば簡単なのに・・。」


「白と黒か・・。俺も親父から内政の一部を任されるようになって白と黒だけじゃダメなんだっていうことを思い知らされた。それは戦場と似ているところがある・・。戦場では前に進むのさえ難しい時もあるし、退路を断たれそうになる時もある。八方から攻められる時もある。時には痛み分けを選択することもある。だけど、どうやったら生き延びられるのか、どうやって軍の被害を最小にして、どうやって勝つのか、何を守るのか、そういうことを総大将の自分を守り戦ってくれる兵たちのために死に物狂いで考える。」


凪は昴へ顔を向ける。


「だって、最後に首を取られるのが俺だとすれば、兵の命は俺の命だから。」


「・・つまり、凪は戦場の『兵』を内政の『民』に置き換えるってこと?」


「そうだよ。多分、そういうことなんじゃないかと思ってる・・。」


昴は凪を見つめる。


「あたってるんじゃない?」


やがて、桜の笛が終わり湖を吹き渡る風がそよそよと湖畔の木々の葉を揺らした。

すると、凪が前方にある穏やかな湖の様子を眺めながらつぶやく。


「それにしても、妙に静かだな・・。」

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